さまざまな技法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:05 UTC 版)
康熙年間には新技法の磁器のほか、青花、釉裏紅、五彩、豆彩などの従来型の磁器も製作された。銅呈色の釉裏紅は、鮮明な赤色に発色させることが困難な技法であったが、清時代には技術上の困難が克服され、滲みや黒ずみのない鮮烈な赤色に発色した作品が作られた。ただし、粉彩の技法でさまざまな色が出せるようになったことから、焼成の困難な釉裏紅は雍正以降は衰退した。五彩は従来、赤が主要色の一つであったが、康熙年間の五彩は赤の使用が抑制的で、その分、緑色が目立つことから、この時期の五彩を欧米ではファミーユ・ヴェルト(緑手)と呼んでいる(粉彩をファミーユ・ローズと呼ぶのに対する呼称)。五彩も雍正以降は粉彩顔料と併用されるようになり、従来技法の五彩は衰退した。雍正期にはかつて「古月軒」と称された一連の琺瑯彩磁が作られた。いわゆる「古月軒」は、皿などの見込みに絵画的な図柄を描き、余白部分に題句を書き入れたものである。題句の文字とその前後の朱印も顔料で描かれている。なお、「古月軒」の名称の由来は不明であり、清末をさかのぼる名称ではないことから、今日では「古月軒」の呼称を用いず「琺瑯彩」の名称に統一されている。乾隆時代には粉彩の技法を用いた夾彩(きょうさい)と呼ばれる技法の作品も製作された。これは、文様のみならず地の部分も粉彩で塗り込めたもので、七宝に近い仕上がりになっている。地の部分に針書で細かい文様を表したものもある。 素三彩は、磁胎に透明釉を掛けずに焼き上げ(これをビスケット地と通称する)、これに直接色釉を用いて図柄を表したものである。素三彩の大瓶は欧米で愛好され、黒地のものをブラック・ホーソン、緑地のものをグリーン・ホーソンと称する(ホーソンはサンザシの意)。赤系の釉では、従来の銅呈色の紅釉のほか、桃花紅、胭脂水(えんじすい)などがある。桃花紅は数種の銅紅釉を掛け、部分的に酸化炎を用いて微妙な色彩を出したものとされる。胭脂水は金呈色の粉彩による紅釉である。青系の釉には月白釉、天藍釉、東青釉などがある。このほか、紅釉と青釉を掛け分けた火炎青、火炎紅もある。炉鈞釉(ろきんゆう)は、焼き締めた胎土に数種の釉を掛けたものである。黄釉には従来のもののほか、酸化アンチモン呈色でより鮮明な黄色に発色したものがある。雍正年間から現れる茶葉末(ちゃようまつ)釉は深緑色に発色したもので、鉄釉がケイ酸と反応して結晶化することによる発色とされる。烏金釉(うきんゆう)は深く艶のある黒色に発色したもので、釉に鉄、コバルト、マンガンを含むという。この他、宋・明の古典の模作が盛んに作られ、青銅器、漆器、木、石などの容器を磁器で模したもの(倣製器)も作られた。 乾隆以降、皇帝および年号は嘉慶、道光、咸豊、同治、光緒、宣統と続くが、国内の混乱と時代の下降に伴い、景徳鎮の作陶はかつての水準を維持することができず、衰退していったとするのが研究者の共通した見方である。 明・清時代の、景徳鎮以外の窯で特筆すべきものとしては宜興窯と徳化窯が挙げられる。江蘇省の宜興窯は煎茶器を焼く窯として著名で、朱泥、紫泥などの無釉の焼き締め陶器を製作している。福建省の徳化窯は純白の白磁を製する窯で、観音像などの彫塑的な作品で知られる。徳化窯の白磁はヨーロッパに数多く輸出され、ブラン・ド・シーヌ(Blanc de Chine、中国の白)として知られる。 粉彩色花鳥文方瓶 素三彩山水図瓶 五彩人物文壺 清初 五彩花卉文盤(康熙) 五彩花鳥文盤(康熙) 夾彩団竜文双耳瓶 青花釉裏紅竜濤文盤清(雍正) 黄地緑彩唐子文鉢清(雍正)サンフランシスコ、アジア美術館 桃花紅合子 紅釉花瓶(雍正) 茶葉末花瓶 炉鈞釉瓶 無双譜: 咸豊期(1850-1861)の中国製磁器に描かれた班超 (32-102)。
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