この後の制作挑戦(2005年から2016年)
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「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」の記事における「この後の制作挑戦(2005年から2016年)」の解説
オリジナル版の制作が頓挫した後、映画の出資者のために保険の支払が提起された。アメリカドルで1500万ドルが支払われたと報じられており、また脚本の権利は保険会社へと移った。ギリアムがプロデューサーたちと共に、制作再開に向けた支援を取り付けようとしているという噂は、2003年以来幾度となく挙がっていた。2005年の第58回カンヌ国際映画祭では、ついに決定的なニュースがいくつか入り、イギリスのプロデューサーで『ローズ・イン・タイドランド』に関わったジェレミー・トーマスが、プロジェクトの再始動に関心を持っていると発表された。2005年には、ギリアムがドン・キホーテ役にジェラール・ドパルデューを望んでいると明かした。 2006年7月、フランスのプロデューサーやドイツの保険会社との6年近くに及ぶ法的義務交渉の末、権利問題がクリアになった。ギリアムはミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭(英語版)で、制作会社がギリアムに権利を認める方針で、ジェレミー・トーマスが制作へ意欲を持ち続けていると述べた。2006年8月、ギリアムは『ローズ・イン・タイドランド』の上映後質問会の場で、制作頓挫による複雑な法的問題は最終的に片付き、脚本の権利は近い将来にギリアムと共作者グリソーニの元に戻るだろうとした。 .mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 再制作版で名前が挙がったデュヴァルとマクレガー 2008年、ギリアムは再制作版のプリ・プロダクションを再開した。映画は全編再撮影されることになり、ロシュフォールが演じるはずだったドン・キホーテ役は別の俳優が演じることになった。2008年には、かつてモンティ・パイソンで同僚だったマイケル・ペイリンがギリアムと会談し、ロシュフォールの役を引き継いでドン・キホーテを演じると報じられた。2009年11月には、ギリアムが再配役を完了したと述べたが、誰が選ばれたのかについては口を割ろうとしなかった。2009年12月にCollider.com(英語版)で行われたインタビューで、ロバート・デュヴァルがギリアムの新ドン・キホーテに選ばれたと明かし、ギリアムは後にこれを認めて、グリソーニ役にはまだデップを考えているとした。デップは既にディズニー映画2本にサインしており、さらなる制作の遅れが危ぶまれたが、撮影開始は2010年初めに設定され難を逃れた。ところが、デップは自身のタイトなスケジュールにギリアムの映画が入る余地は無いと発言し、制作スケジュールがこのまま維持されるのかは不透明になった。またデップは、自分がこの映画の再製作に戻りたいと思っているのか、全く定かではないと発言した。作品はレコーディド・ピクチャー・カンパニー(英語版)のジェレミー・トーマス制作で作られると決まり、また国際配給はハンウェイ・フィルムズ(英語版)に決まった。 ギリアムは2009年に、再度主要プリ・プロダクションを始めた。再び脚本の権利を得たギリアムとグリソーニは、2009年1月に脚本の再執筆を始め、1か月以内に終わる見込みだとした。2009年8月にはデップの降板が発表され、2010年5月17日にはユアン・マクレガーの起用が発表された。 2010年9月5日には、ギリアムが『バラエティ』誌で、1か月半前に資金繰りが頓挫し、再撮影がいまだに始まっていないと明かした。またギリアムは、タイトル・ロールにロバート・デュヴァルが決まり、ユアン・マクレガーも出演するとして、主要キャストが最終決定したと述べた。2011年末にはマクレガーの降板が報じられた。2012年には、ジョニー・デップがプロデューサーとしてこの作品の制作に戻ると報じられた。 2014年1月、ギリアムは自身のFacebookページに、「ドン・キホーテの夢は再び始まった。[中略]老いぼれのくそったれを、今年中に彼の馬に乗せてやれるだろうか?」と綴って、巨人が登場するコンセプト・アートを投稿した。『エンパイア』誌ウェブサイトでのインタビューで、ギリアムは2014年9月29日にカナリア諸島で制作が始まる予定だと明かした。同時に資金面でスペインのプロデューサーであるアドリアン・グエラ(西: Adrián Guerra)の参加も明かされ、ギリアムはグエラについて、「本当に頭が良くて映画を愛している。彼は未だに映画を愛しているくらい充分に若いわけだけど、自分たちは何を差し置いてもキャスティングをしてお金を用意しなくちゃいけないわけで、これが現状だ」と述べた。またギリアムの共作者デイヴ・ウォレンによる新しいコンセプト・アートも発表された。2014年8月、『TheWrap(英語版)』のインタビューにおいて、ギリアムは資金確保を明かし、映画の筋書きが変わったとして、「僕らの主役は、実際にドン・キホーテ映画を何本も以前に制作しているが、その作品は大衆が満足できるものとは言い難い。荒れ狂うやつも、呑んだくれになるやつも、あばずれ女になるやつもいるんだ」と述べた。2014年9月には、ジョン・ハートがデュヴァルに代わってドン・キホーテ役に決定したと報じられた。 『ゼロの未来』プロモーションで『ローリング・ストーン』誌のインタビューを受けたギリアムは、次の映画について「自分の計画では[『ドンキホーテを殺した男』]だが、現実味のある話はなにもない。[中略]現時点で言える事は何も無くて、それはちょっとした小休止に陥っているからなんだ——またね」と述べた。何故この映画を作り続けるのか聞かれたギリアムは、「本当に自分でも全く分からないんだ。最近では『もし今回も上手く行かなかったら見限るぞ』って思い始めている。この仕事をするのに人生の多くを無駄にし過ぎたよ」と述べている。 2015年6月9日、アマゾン・スタジオが作品を劇場公開すると発表し、その後Amazonでストリーミング配信されると明かされた。ギリアムはこのことについて、「このやり方にそそられている。作品はまず映画館で公開され、1、2か月後にストリーミングされる。大きなスクリーンで観る機会があるのはいいことだと思うし、映画館で観るよりDVDで観る人の方が多くて、今じゃそれが普通のことだってことも分かってるしね」と述べた。2015年9月には、ハートが撮影直前に膵臓癌と診断されたため、映画制作が再び中止されたと報じられた。この際グリソーニ役にはジャック・オコンネルの名前が挙がっていた。 2016年、ギリアムは第69回カンヌ国際映画祭の席で、撮影が2016年10月に始まる予定で、キホーテ役にペイリン、グリソーニ役にアダム・ドライバー、女性主役にオルガ・キュリレンコが決まったと発表した。新バージョンは舞台を現代に設定し、コマーシャルを撮影する監督で、かつて『ドン・キホーテ』物語を翻案した学生映画を撮影したグリソーニが、ロケ地にした小さなスペインの村に戻り、映画が悲惨な影響を及ぼしていたと知る。同時に新たなコンセプト・アートが公開された。しかしながら2016年10月2日、プロデューサーのパウロ・ブランコが資金確保に失敗したことから制作の更なる遅れが発表された。この事態についてギリアムは、未だに撮影の意志はあると明かし、「映画が死ぬ前に自分が死ぬんじゃないかな」と茶化した。
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