『記・紀』・風土記と万葉集の編纂とは? わかりやすく解説

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『記・紀』・風土記と万葉集の編纂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 08:29 UTC 版)

奈良時代」の記事における「『記・紀』・風土記と万葉集の編纂」の解説

712年和銅5年)にできたとされる『古事記』は、宮廷に伝わる「帝紀」「旧辞」をもとに天武天皇稗田阿礼によみならわせた内容を、元明天皇時に太安万侶筆録したのである神話・伝承から推古天皇にいたるまでの物語であり、多く歌謡収載している。口頭日本語漢字音・訓用いて表記されている。 それに対し714年和銅7年)に紀清人三宅麻呂国史撰集させ、舎人親王中心となって神代から持統天皇までの歴史編集720年養老4年)に撰上されたのが『日本紀日本書紀)』30巻・系図1巻である。これは、中国の歴史書の体裁ならったもので、漢文編年体記されている。こののち、『日本三代実録』まで漢文正史編まれて「六国史」と総称されるが、『日本書紀』はその嚆矢となったのであるまた、政府713年和銅3年)には諸国に「風土記」の編纂命じた。これは、郷土産物や山や川などの自然、あるいはその由来古老言い伝えなどを収めた地誌である。『出雲国風土記』がほぼ完全に伝存するほか、常陸国播磨国豊後国肥前国風土記それぞれ一部伝えられている。これは、古代地方様相を示す貴重な文献資料になっている文芸の面では、751年天平勝宝3年)に現存最古漢詩集『懐風藻』が編集され大友皇子大津皇子文武天皇長屋王などの作品を含む7世紀後半以降漢詩おさめている。奈良時代中期代表する漢詩文文人として淡海三船石上宅嗣著名であり、いずれかが『懐風藻』の編集たずさわったであろう推定されるが、確実な証拠はない。 和歌世界でも、和銅年間から天平年間にかけて山上憶良山部赤人大伴家持大伴坂上郎女らの歌人あいついであらわれた『万葉集』759年天平宝字3年)までの歌約4500首を収録した歌集で、雄略天皇の歌が巻頭をかざっている。舒明天皇推古天皇以降飛鳥時代奈良時代和歌収められ著名な歌人や宮廷人の作品ばかりではなく東歌防人歌など、地方農民素朴な感情あらわした作品多く収められており、このなかには心に訴え優れた歌が多くみられる漢字の音と訓をたくみに組み合わせて日本語を記す万葉仮名用いられていることも大きな特徴である。

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