『記号論理学雑誌』の編集者として
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「アロンゾ・チャーチ」の記事における「『記号論理学雑誌』の編集者として」の解説
チャーチは『記号論理学雑誌』(Journal of Symbolic Logic)の創刊者の一人に名を連ねており、創刊された1936年から1979年にかけて、同誌のリヴュー部門編集者を務めた。この間に彼がリヴューを執筆した論文は膨大な量にのぼり、この仕事はチャーチのライフワークともいえるものだった。チャーチは1967年にプリンストン大学からカリフォルニア大学ロサンゼルス校へと移ったが、これは、プリンストンがこのリヴュー編集への支援を打ち切ったことが原因だと言われている。 また、1936年に彼が編纂した『記号論理学文献表』[3] は、その時点までに出版されたほぼすべての論理学文献を網羅し、その一つ一つに注釈をつけたものであり、これは「論理学文献の博物学者」ともいうべきチャーチの面目躍如たる仕事である。
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