「英米分析」哲学からの影響
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「ネオプラグマティズム」の記事における「「英米分析」哲学からの影響」の解説
ネオプラグマティスト、特にローティとパトナムは、チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズ、ジョン・デューイなどの古典的プラグマティストの考えを利用している。パトナムは、『言葉と生(Words and Life)』(1994)の中で、新しいプラグマティストが最も説得力のあると考える古典的なプラグマティストの伝統的発想を列挙している。パトナムの議論をまとめると次のようになる。 完全な懐疑論(哲学的懐疑論への信念は他の信念と同じ程度に正当化を必要とするという見解) 可謬主義(Fallibilism、信念を修正する必要性を否定する形而上学的保証はないという見解) 「事実」と「価値」の二元論の否定 適切に解釈された実践こそが哲学において第一義的重要性を有するという見解 (『言葉と生』p.152) ネオプラグマティズムは、主に20世紀初頭から中頃にかけて起きた哲学における言語論的転回の影響により、古典的プラグマティズム(ジェームズ、デューイ、パース、およびミードのプラグマティズム)とは区別される。哲学の言語論的転回は、心、観念、そして世界についての語りを、言語と世界の2つに還元した。哲学者は、心の中にあるとされる観念や概念について話すのをやめ、「心的言語(mental language)」と、これらの概念を用いる際に使用される言葉について話し始めた。20世紀初頭の言語哲学者たち(例えば、A.J. エイヤー、バートランド・ラッセル、G.E. ムーア)は、言語を分析することが意味、客観性、そして最終的には外的実在に関する真理の到来をもたらすと考えていた。この伝統では、言語が非言語的対象と適切な対応関係にあるときに真理が得られると考えられた(これは「表象主義(representationalism)」と呼ぶことができる)。言明または命題が真であるためには、それは現実に存在しているものに対応する事実を与えなければならないと考えられていたのである。これは真理の対応説(correspondence theory of truth)と呼ばれ、ネオプラグマティズムの真理論からは区別されるべきである。 初期の英米分析言語哲学の方法論の正当性が突き崩され始めた20世紀半ばに、多くの哲学的な探求がなされた。1960年に出版された『言葉と対象(Word and Object)』において、クワインは我々の概念が現実との強い対応を持つという観念を攻撃した[6]。クワインは、言語は実在について純粋に非主観的な描像を記述しうるという考えを攻撃する趣旨の、存在論的相対性(ontological relativity)を主張した。より具体的には、存在論的相対性とは、我々が世界に存在すると信じるものは、私たちの主観的な「心的言語(mental languages)」に完全に依存していると主張するテーゼである。「心的言語」とは、端的には、我々の心の中の概念を指示する言葉が、世界における対象にマッピングされる方法のことである。 存在論的相対性についてのクワインの主張は、おおよそ次のようにまとめられる。 実在に関するすべての観念や知覚は、我々自身の心的言語の観点から我々の心に与えられる。 心的言語は、我々の感覚与件(センスデータ)から世界における対象がどのように解釈されるかを特定する。 異なる心的言語は異なる存在論(世界に存在する異なる対象)を特定する。 2つの異なる心的言語を完全に翻訳する方法は存在しない。すなわち、各言語の用語を他の用語に対応付ける方法は、常に複数ある。 我々の知覚から切り離された実在は、真の対象言語(object language)、すなわち物事が「実際にどのようにあるか」を特定する言語を構成するものと考えることができる。 2つの心的言語間の翻訳と、実在についての対象言語と人間の心的言語の間の翻訳とでは、何も違いがない。 したがって、2つの心的言語を客観的に翻訳する方法がないのと同じように(一方の用語から他方の用語への一対一のマッピングは存在しない)、実在についての真の対象言語を我々自身の心的言語に客観的に翻訳する(あるいは適合させる)方法は存在しない。 したがって、実在を表象するために一貫して保持することができる存在論は多数(おそらく無限に)存在する。 (『言葉と対象(Word and Object)』第2章を参照。) 上記の議論は、言語の写像理論(picture theory of language)、すなわち探究の目的は自らの言語で実在を正しく表象することであるという見解に抗するネオプラグマティズムのテーマを彷彿とさせる。 ネオプラグマティストにとって2番目に決定的に影響力のある哲学者は、トーマス・クーンである。彼は、現実を表象するための我々の言語、あるいは彼が「パラダイム」と呼ぶものは、将来の実験や観察を可能にする程度によってのみ評価されると主張した。科学哲学者であるクーンは、『科学革命の構造(The Structure of Scientific Revolutions)』において、「科学の進歩」は一種の誤称であると主張した。クーンによれば、我々が科学を進歩させていると言いうるのは、古い科学的パラダイムとそれに関連する概念と方法を捨てて、それに代わって行われるべき新しい実験と新たな科学的存在論を提供する新たなパラダイムが採用されるときである。クーンにとって、「電子」が存在すると言えるのは、我々が採用した新しいパラダイムについて、より多くを明らかにすることを可能にするであろう、新しい実験を私たちに提供するのに役立つ限りにおいてのみである。クーンの考えでは、異なるパラダイムたちは世界に何が存在するかについて異なるものを想定するゆえ、互いに共約不可能(incommensurable)である。この点を見てとるもう一つの方法は、諸パラダイムは新しい言語を記述するものであり、それによって我々は世界を新しい方法で記述することができる、という理解である。クーンは可謬主義者だった。すなわち、彼の考えでは、すべての科学的パラダイム(例えば、ニュートンの古典力学、アインシュタインの相対性理論)は、全体としては誤っていると捉えられるべきだが、科学者に新しいアイデアを与えられる限りにおいて受け入れられる。クーンの可謬主義、ホーリズム(holism)、共約不可能性の強調、および客観的実在に関する考えは、ネオプラグマティストの著作によく見られるテーマである。 ウィルフリッド・セラーズは、認識論における基礎付け主義的正当化に反対したため、ネオプラグマティスト、特にローティに大きな影響を与えた。
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