「若狭」の名称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 10:08 UTC 版)
「若狭」の名称は、海の向こうからこの地に来た若い男女が、その後に年をとらなかったという「若さ」にちなんだと言われる伝承がある。 設置当初の7世紀後半には、若侠国と若佐国の2通りの表記があったことが藤原宮跡から出土した複数の木簡からわかっている。若狭国と書かれるようになったのは、8世紀に入ってからでおそらく国印が鋳造された大宝4年(704年)からである。
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