「河野談話」(慰安婦に関する談話)
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「河野洋平」の記事における「「河野談話」(慰安婦に関する談話)」の解説
「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」も参照 1993年(平成5年)、韓国の盧泰愚大統領は従軍慰安婦問題で韓国挺身隊問題対策協議会らが主張する「強制連行」の有無について真相究明を求め、日本政府は「強制連行」となる証拠が発見できずに対応に苦慮していた。韓国への外交的な配慮をするため、河野は「文書を探す調査だけでは十分でないという部分もございますから、関係された方々のお話もお聞きをするということを考えております」と国会で答弁し、7月26日から30日にかけて韓国の太平洋戦争遺族会から紹介された16人の慰安婦に対して聞き取り調査を行った。宮澤喜一改造内閣の官房長官として、それまで認めていなかった慰安婦の強制性を認め謝罪する「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(「河野談話」)を発表した。河野は談話中で、「総じて本人たちの意思に反して行われた」「募集・移送・管理等の過程全体としてみれば甘言・強圧という方法により強制があった」という趣旨の発言を行った が、事前に韓国政府と談話の内容を調整していたことや慰安婦の証言の裏付け調査をしていなかったことが明らかにされている。 1997年に平林博内閣官房内閣外政審議室長が「従軍慰安婦に関する限りは強制連行を直接示すような政府資料というものは発見されませんでした」と国会で答弁しており、当時官房副長官であった石原信雄も、当時の日本政府の調査では、軍など日本側当局が慰安婦を強制連行したという資料は確認されなかったと述べている。 調査期間が短かった理由については、第40回衆議院議員総選挙で非自民党の連立政権が発足されることが確実になったため、政権としての実績を残したい焦りがあったためと指摘されている。(談話が発表された翌日に宮澤内閣は総辞職している。) 2012年8月24日、河野談話について、慰安婦の強制連行について証拠がないにも関わらず、慰安婦の強制性を認めたことについて、石原慎太郎は「訳分からず認めた河野洋平という馬鹿が日韓関係を駄目にした」、橋下徹は「証拠に基づかない内容で最悪だ。日韓関係をこじらせる最大の元凶だ」と相次いで批判し、松原仁国家公安委員会委員長や安倍晋三元首相(当時)も河野談話を問題視する発言を行っている また、野田佳彦元首相も、2011年の参議院予算委員会で河野談話について「強制連行したという事実を文書では確認できなかった」と発言している。河野は「『昔はどこの国でも(慰安婦は)いたんだよ』と発言するのは卑怯です。スピード違反で捕まった人が、『ほかの人もやっているじゃないか』と自分の罪を認めず、開き直る態度に似ている。」と批判し、「河野談話以降の日韓関係は非常に良好だったじゃないですか」と河野談話が日韓関係を改善させたと主張している。 河野談話は証拠に拠るものではなく、河野の個人的な政治信念に基づくものであることは、本人により認められている『朝鮮日報』(2012年8月30日付)の取材に対して「私は信念を持って談話を発表した」「(慰安婦の徴集命令を裏付ける証拠資料がないとする批判には)処分されたと推定できる」と述べている。河野は韓国の太平洋戦争遺族会から紹介された16人の慰安婦からの証言(非公開)を「証言は被害者でなければ語り得ない経験である」と判断したことが慰安婦の強制連行を信じる根拠となったと発言していた が、現在は、インドネシアでオランダ人女性が日本軍に強制連行された白馬事件を根拠としている。 慰安婦募集の強制性(強制連行)について、河野は「紙の証拠がない」と証言しており、また、「背後に強大な、圧倒的な権力を持った者がいて、甘言、あるいはだまして(女性を)連れていった」「これはもう結果として断ることができない、本人の意志に反して連れて行かれたということは、言ってみれば強制だった」という見解を述べている。
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