「河野」の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 15:38 UTC 版)
越智玉興(伊予橘氏の祖)と越智玉澄の兄弟が699年(文武3年)に都落ちする際、瀬戸内海の備中沖で飲料水が無くなり、玉興が弓を海中に差し込み潮を掻き分けた所、真水が湧いてきて渇を癒す事ができた。これが水島の地名の由来となり、この故事に鑑みこの水の源は越智氏の領地である伊予国高縄山から流れてきたものであるとし、「この水の可なること、予が里よりす」と玉興が言った事から「水」「可」「予」「里」の4字を組み合わせて「河野」とし、居館の地域を「河野郷」と称し、養子となった玉澄が「河野」を苗字とした。
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