藩校
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主な郷学 (大身旗本領内に設置)
交代寄合の大身旗本領内に設置された藩校相当の教育施設は郷学に分類される。
- 新城領
- 有教館(1730年) ※名称を借り受け、愛知県立新城高等学校の体育館名に使用→愛知県立新城有教館高等学校
- 立石領
- 無逸館(1837年)立石領の領主は木下氏
江戸幕府(参考)
琉球王国(参考)
関連文献
- 大石学 編 『近世藩制・藩校大事典』 吉川弘文館 ISBN 4642014314
- 奈良本辰也 監修 『幕末維新・ものしり辞典』 主婦と生活社 雑誌コード 61340-81
- 『藩史大辞典』 雄山閣出版
- 山下武 『江戸時代庶民教化政策の研究』、1969年、校倉書房
- 土田隆夫 『柏の社』、1998年、新潟県立長岡高等学校同窓会
- 箱崎和久 『日本の美術538 近世の学校建築』 ぎょうせい、2011年 ISBN 978-4-324-08747-3
脚注
関連項目
外部リンク
注釈
出典
- ^ タイムスクープハンター(NHK総合1ch 11:30~0:00)2013年5月25日放送分 第7話『サムライたちの受験戦争』番組内説明
- ^ 原田忠四郎「学制の主導者的研究 : 特に洋行/洋学者」『日本体育大学紀要』第3巻、日本体育大学、1973年6月、87-101頁、CRID 1050282676647099520、ISSN 0285-0613。
- ^ 『歴史と旅 新・藩史事典』(秋田書店、1993年)p.418.
- ^ “幕末期の教育”. 学制百年史. 文部科学省ホームページ. 2014年6月1日閲覧。
- ^ “147年の歴史に幕…埼玉・行田の北河原小学校が閉校 朝夕に鳴らしていたカリヨンベル最後、花火舞う”. 埼玉新聞. 2022年3月15日閲覧。
- ^ “29.培根堂・洋学館・国学館跡/行田史跡石碑”. 行田市観光協会. 2019年3月15日閲覧。
- ^ 公益財団法人雲浜奨学会「講正学舎の歩み」 2021年8月16日閲覧。
- ^ “好古学園大学校の概要”. 姫路市 (2014年4月3日). 2024年1月17日閲覧。
- ^ “東学問所修猷館跡碑”. 中央区みどころ情報発信館. 福岡市中央区ホームページ. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月1日閲覧。 “明治4年(1871年)の廃藩置県により、藩校修猷館は廃校になったが、同18年(1885年)黒田家の援助もあって再興された。”
- ^ タイムスクープハンター(NHK総合1ch 11:30~0:00)2013年5月25日放送分 第7話『サムライたちの受験戦争』番組内説明
- ^ 当時の規定で分校には第3学年までしか設置できなかったため、第4学年以上は旧制鹿児島県第一中学校(鹿児島県立鹿児島中学校)(現・鹿児島県立鶴丸高等学校)へ移籍・進学
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