飛行記録
1981年
STS-1 | STS-2 |
STS-3 | STS-4 | STS-5 |
STS-6 | STS-7 | STS-8 | STS-9 |
STS41-B | STS41-C | STS41-D | STS41-G |
STS51-A |
STS51-C | STS51-D | STS51-B | STS51-G |
STS51-F | STS51-I | STS51-J | STS61-A |
STS61-B |
STS61-C | STS51-L |
STS-26 | STS-27 |
STS-29 | STS-30 | STS-28 | STS-34 |
STS-33 |
STS-32 | STS-36 | STS-31 | STS-41 |
STS-38 | STS-35 |
STS-37 | STS-39 | STS-40 | STS-43 |
STS-48 | STS-44 |
STS-42 | STS-45 | STS-49 | STS-50 |
STS-46 | STS-47 | STS-52 | STS-53 |
STS-54 | STS-56 | STS-55 | STS-57 |
STS-51 | STS-58 | STS-61 |
STS-60 | STS-62 | STS-59 | STS-65 |
STS-64 | STS-68 | STS-66 |
STS-63 | STS-67 | STS-71 | STS-70 |
STS-69 | STS-73 | STS-74 |
STS-72 | STS-75 | STS-76 | STS-77 |
STS-78 | STS-79 | STS-80 |
STS-81 | STS-82 | STS-83 | STS-84 |
STS-94 | STS-85 | STS-86 | STS-87 |
STS-89 | STS-90 | STS-91 | STS-95 |
STS-88 |
STS-96 | STS-93 | STS-103 |
STS-99 | STS-101 | STS-106 | STS-92 |
STS-97 |
STS-98 | STS-102 | STS-100 | STS-104 |
STS-105 | STS-108 |
STS-109 | STS-110 | STS-111 | STS-112 |
STS-113 |
飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/26 06:45 UTC 版)
2004年5月25日13時54分43秒(GMT、以下同)、バイコヌール宇宙基地のSite 1/5からソユーズ-Uロケットによって打ち上げられた。 5月27日13時54分43秒にズヴェズダのAftポートにドッキングし、ISSに推進薬、クルーの食料、水、酸素および科学研究用の機器など計2,285kgを輸送した。 2か月後の7月30日6時4分48秒にドッキングを解除し、プログレスM-50にポートを譲った。同日の10時37分0秒に軌道を離脱。太平洋上空にて大気圏再突入を果たし、およそ11時23分35秒に燃え尽きなかった機体の一部は海上に落下した。
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 00:33 UTC 版)
2007年8月2日17時33分47秒(GMT、以下同)、バイコヌール宇宙基地のSite 1/5からソユーズ-Uロケットによって打ち上げられた。M-61は8月5日18時40分ピアースモジュールにドッキングし、約5ヶ月後の2007年12月22日3時59分にドッキングを解除した。その後軌道離脱に先立って1ヶ月間、プラズマ・プログレス計画の一環として技術実験研究を行った。2008年1月22日19時6分に軌道を離脱し、太平洋上空で大気圏突入し燃え尽きた。約19時51分にM-61の破片が海に着水した。 M-61は宇宙ステーションに推進薬、水、食料、宇宙飛行士用の酸素、科学研究器具を含めた物資計2,318kgを輸送した。
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/10 05:27 UTC 版)
1985年7月19日13時5分(GMT、以下同)、バイコヌール宇宙基地のSite 1/5からソユーズ-Uロケットによって打ち上げられた。同月21日15時5分にサリュート7号にドッキングした。8月28日にドッキングを解除してステーションから離れた後、ドッキング機構の信頼性テストのため再びドッキングした後、同日21時50分にドッキングを解除した。8月30日に軌道を離脱し、1時20分に太平洋上にて大気圏再突入を果たした。 コスモス1669号は、トラブルを起こしていたサリュート7号が復旧された後に到着した初の補給機であった。サリュート7号が停止されていた間の低温で損傷して使えなくなった宇宙服と交換するため、新しい宇宙服を輸送した。またサリュート計画における最後のプログレスでもあり、以降サリュート7号への補給ミッションにはTKS補給船が使用された。プログレス補給船が使用された次のミッションはミールへのプログレス25である。
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 08:21 UTC 版)
2001年8月21日9時51分32秒(GMT、以下同)、バイコヌール宇宙基地のSite 1/5からソユーズ-Uロケットによって打ち上げられた。M-45は8月23日9時51分32秒ズヴェズダモジュールの後方にドッキングし、ISSに推進薬、食料、水、酸素、科学研究を行うための装置など計2,561kgを補給した。 このフライトでは、日本の微小粒子捕獲実験および材料曝露実験(MPAC&SEED実験)装置と、高精細度テレビジョン(HDTV)カメラ・システムが搭載された。 プログレスM1-7にドッキングポートを譲るため、3ヶ月後の11月22日16時12分01秒にアンドッキングし、太平洋上空で大気圏再突入した。
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 06:21 UTC 版)
「スペースシャトル・エンデバー」の記事における「飛行記録」の解説
打ち上げ日任務名備考1992年5月7日 STS-49 通信衛星インテルサット6号を捕捉、修理の後、再放出 1992年9月12日 STS-47 スペースラブ実験 SL-Jミッション。毛利衛搭乗(日本人初) 1993年1月13日 STS-54 データ中継衛星TDRS-Fを放出 1993年6月21日 STS-57 SPACEHAB-1。ヨーロッパのEURECA衛星回収。 1993年12月2日 STS-61 ハッブル宇宙望遠鏡の第1回目の修理 1994年4月9日 STS-59 地表探査用の宇宙レーダー実験(SRL-01) 1994年9月30日 STS-68 宇宙レーダー実験(SRL-02) 1995年3月30日 STS-67 スペースラブ アストロ-2(Astro-2)実験 1995年9月7日 STS-69 Wake Shield Facility (WSF)-2及び他の実験 1996年1月11日 STS-72 日本の実験衛星Space Flyer Unitの回収 1996年5月19日 STS-77 SPACEHAB-4 1998年1月22日 STS-89 宇宙ステーション ミールへの8回目のドッキングミッション。交代要員移送 1998年12月4日 STS-88 国際宇宙ステーションの建設 (2A)、ユニティ取り付け 2000年2月11日 STS-99 地表探査レーダー実験 (Shuttle Radar Topography Mission) 2000年11月30日 STS-97 国際宇宙ステーションの建設(4A)、P6トラスを運搬 2001年4月19日 STS-100 国際宇宙ステーションの建設(6A)、カナダアーム2取り付け 2001年12月5日 STS-108 国際宇宙ステーションの補給フライト(UF-1)、交代要員移送 2002年6月5日 STS-111 国際宇宙ステーションの補給フライト(UF-2)、交代要員移送 2002年11月23日 STS-113 国際宇宙ステーションの建設(11A)、P1トラス運搬、交代要員移送 2007年8月8日 STS-118 国際宇宙ステーションの建設(13A.1)、S5トラス運搬 2008年3月11日 STS-123 国際宇宙ステーションの建設(1J/A)、「きぼう」日本実験棟船内保管室とカナダのSPDM「デクスター」の運搬 2008年11月14日 STS-126 多目的補給モジュール(MPLM)を使った、装備品の搬入や物資の補給等(ULF-2) 2009年7月15日 STS-127 国際宇宙ステーションの建設(2J/A)、「きぼう」船外実験プラットフォームなどの運搬 2010年2月8日 STS-130 国際宇宙ステーションの建設(20A)、トランクウィリティーとキューポラの取り付け 2011年5月16日 STS-134 アルファ磁気分光器とエクスプレス補給キャリアの取り付け同機の最終ミッション
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 02:40 UTC 版)
詳細は「スペースシャトルのミッション一覧」を参照 主なシャトルの飛行記録は以下のとおりである。 スペースシャトル主飛行記録日時軌道船主なできごと/注記1977年2月18日 エンタープライズ シャトル輸送機に搭載されての初飛行 1977年8月12日 エンタープライズ 初の単独滑空飛行。ロジャース乾湖に着陸。 1977年10月12日 エンタープライズ 三度目の飛行。尾部保護カバーを取り除いての初飛行。ロジャース乾湖に着陸。 1977年10月26日 エンタープライズ エンタープライズ最後の滑空試験。エドワーズ空軍基地のコンクリート滑走路への初着陸。 1981年4月12日 コロンビア 宇宙空間への初飛行 (STS-1) 1982年11月11日 コロンビア 4名の飛行士を搭乗させての初の実用飛行 (STS-5) 1983年4月4日 チャレンジャー チャレンジャー初飛行 (STS-6) 1984年8月30日 ディスカバリー ディスカバリー初飛行 (STS-41-D) 1985年10月3日 アトランティス アトランティス初飛行 (STS-51-J) 1986年1月28日 チャレンジャー 発射73秒後に機体が爆発 (チャレンジャー号爆発事故) (STS-51-L)。7名の飛行士全員が死亡。 1988年9月29日 ディスカバリー チャレンジャー号事故後の初の再開飛行 (STS-26) 1989年5月4日 アトランティス シャトルを使用しての初の探査機発射(マゼラン、STS-30) 1990年4月24日 ディスカバリー ハッブル宇宙望遠鏡発射 (STS-31) 1992年5月7日 エンデバー エンデバー初飛行 (STS-49) 1996年11月19日 コロンビア 17日間と15時間にわたるシャトルの最長宇宙滞在記録 (STS-80) 2000年10月11日 ディスカバリー シャトル100回目の飛行 (STS-92) 2003年2月1日 コロンビア 大気圏再突入時に空中分解 (STS-107)。7名の飛行士全員が死亡。 2005年7月25日 ディスカバリー コロンビア号事故後の初の再開飛行 (STS-114) 2010年2月8日 エンデバー 最後の夜間発射 (STS-130) 2010年5月14日 アトランティス アトランティス 号の計画上での最後の飛行 (STS-132)(後にSTS-135が追加され、それが最後の飛行になった) 2011年2月24日 ディスカバリー ディスカバリー最後の飛行 (STS-133) 2011年4月29日 エンデバー エンデバー最後の飛行 (STS-134) 2011年7月8日 アトランティス アトランティスおよびスペースシャトル計画最後の飛行 (STS-135) 出典:NASA打上げマニフェスト、NASAスペースシャトル公文書記録
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 00:28 UTC 版)
最初の飛行は1970年7月2日パイロット、ビル・ダナによって行われた。M2-F2よりも非常によい制御性能を示し、3回の滑空飛行の後の1970年11月25日すぐに動力飛行実験に切り替えた。リフティングボディ通算100回目の飛行実験は1972年10月5日に行われ、20,200メートルの高高度をマッハ1.370(時速約145万5千メートル)で飛行した。27回のミッションが行われ、最高速度マッハ1.6(時速約170万メートル)にまで達した。最高高度は1972年12月20日の20,790mであり、これは最終飛行で出た記録である。 反応制御スラスターシステムは宇宙機の軌道に似ており、機体制御の為に有用であるため研究数値をインストールした。この飛行実験の終わりが近づいたとき、実験でレートコマンド増加制御システムや、現代多くの航空機に使われている着装武器制御機器や制御幹を評価した。 M2-F3は1973年にスミソニアン学術教会に寄贈され、現在は国立航空宇宙博物館に1965年から1969年までパートナーとして働いたX-15型の1号機の隣で静に時を過ごしている。
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 21:04 UTC 版)
キャンペーン飛行や納機のための飛行が、商業機によるノンストップ飛行記録を更新した。 1989年8月、カンタス航空にとって最初のボーイング747-400であるシティ・オブ・キャンベラが、ロンドン・シドニー間の17,016kmを20時間9分かけてノンストップ飛行したことにより、商業機の長距離記録を作った。その目的は、747-400を用いたカンタスの長距離サービスへの評判を高めることだった。その機には、5人のパイロットに加え、2人の客室乗務員と16人の乗客が乗っていた。 1993年6月16日、World Rangerと呼ばれるエアバス A340-200が、パリ航空ショーからニュージーランドのオークランドへ21時間32分かけて飛行し、5時間滞在した後、復路は21時間46分かけて戻ってきた。これは、ヨーロッパとニュージーランドを結ぶ最初のノンストップ飛行だった。パリからオークランドへの19,277kmのフライトは、22人と5基の中央燃料タンクで実現した。 この記録は、ボーイング 777-200ERがマレーシア航空への納機のために、シアトルからクアラルンプールへ20,044km飛行した1997年まで守られた。 2005年11月9日、パキスタン国際航空のボーイング 777-200LRが世界最長飛行記録を更新した。これは、香港からロンドン(ヒースロー空港) へ、通常の西向きの飛行(9,648km)とは逆に、東向きに21,602km飛んだもので、22時間22分かかった。乗員は8人のパイロットで、ボーイングで最初の女性テストパイロットになったスザンナ・ダーシー=ヘンネマンを含んでいた。また、乗客は27人だった。 4ヶ月後の2006年3月25日、ブリティッシュ・エアウェイズのボーイング 777-200ERが、有償客を伴う最長ノンストップ飛行を行った。その便はイギリス首相のトニー・ブレアとその側近やジャーナリストたちが、ブリュッセルでの会談後、確実にメルボルンでの2006年コモンウェルスゲームズの閉会式に間に合うようにチャーターされたものだった。そのフライトは20人の交代要員を乗せ、17,157kmの飛行に18時間45分かかった。 2016年2月27日、国際女性デー(3月6日)の少し前、エア・インディアが女性乗員だけによる世界最長飛行記録をボーイング 777-200LRを用いて、デリーからサンフランシスコへの定期便であるAI 173便で成し遂げた。この15,300kmを14時間30分かけて飛んだフライトは、客室乗務員、運航乗務員、医師、顧客担当、そして運航管理者、技術者などの地上スタッフも含め、女性のみによって運航された。その当時、通常のフライトは大西洋上空を飛ぶ西向きの飛行だったが、エア・インディアは距離記録を作るために逆向きに飛んだ。2016年3月4日、復路のAI 174便も同じ乗員でサンフランシスコからデリーへ東向きに飛行し、女性だけによる地球1周飛行を成し遂げた。2016年10月、エア・インディアはAI173便を常に東向きに飛行することに変更した。その便は大圏ルートを飛ぶこともあれば、ジェット気流が時間短縮や燃料削減に役立つ時は太平洋上空ルートを飛ぶこともある。
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/30 09:13 UTC 版)
2004年8月11日5時03分07秒(GMT、以下同)、バイコヌール宇宙基地のSite 1/5からソユーズ-Uロケットによって打ち上げられた。8月14日5時1分8秒、ズヴェズダモジュールにドッキングし、ISSに推進薬・食料・水・酸素・科学研究を行うための装置など計2,542kgを補給した。このプログレス補給船には、JAXAの高品質タンパク質結晶生成プロジェクトの第4回宇宙実験のタンパク質試料が搭載された。 約4か月後の12月22日19時37分02秒にドッキングを解除し、プログレスM-51のためポートを空けた。 同日22時32分06秒に軌道を離脱して太平洋上空で大気圏再突入を果たし、およそ23時23分38秒に燃え尽きなかった機体の一部は海上に落下した。
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 04:50 UTC 版)
2006年10月23日13時50分36秒(GMT、以下同)、バイコヌール宇宙基地のSite 1/5からソユーズ-Uロケットによって打ち上げられた。 23Pは、10月26日14時28分46秒(GMT)にズヴェズダモジュールの後方ポートにドッキングしたが、ドッキング直前に、クルスドッキングシステムのKURS 2AO-VKAアンテナの引っ込みを行った事が確認できなくなり、ドッキング後の最終ラッチ作業が約3時間遅れた。ISSにクルーの食料・水・酸素および科学研究用の機器など計2,205kgを輸送した。 軌道上で確認した結果、実際にアンテナの格納が出来ていないことが分かったため、2007年2月21日に修理のための船外活動を行って、このアンテナのロッドを切断して、ワイヤで固定して格納する作業を行い、ISSから安全に分離できるようにした。 23Pは、約5か月後の2007年3月27日18時11分に、ISSからアンドッキングした。 27日22時44分30秒に軌道を離脱。太平洋上空にて大気圏再突入を果たし、およそ23時30分22秒に燃え尽きなかった機体の一部は海上に落下した。
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 04:53 UTC 版)
2006年6月24日15時8分18秒(GMT、以下同)、バイコヌール宇宙基地のSite 1/5からソユーズ-Uロケットによって打ち上げられた。 同月26日16時25分にピアースモジュールにドッキングし、ISSに推進薬・クルーの食料・水・酸素および科学研究用の機器など約2,309kgを輸送した。 約5か月半後の2007年1月16日23時23分52秒にアンドッキングし、プログレスM-59にポートを譲った。 17日2時29分に軌道を離脱。太平洋上空にて大気圏再突入を果たし、およそ3時15分20秒に燃え尽きなかった機体の一部は海上に落下した。
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 00:32 UTC 版)
2007年5月12日3時25分36秒(GMT、以下同)、バイコヌール宇宙基地のSite 1/5からソユーズ-Uロケットによって打ち上げられた。 5月15日5時10分にズヴェズダモジュールにドッキングし、推進薬、食料や水、酸素、科学実験用機材など計2,324kgをISSに補給した。 約4か月後の2007年9月19日0時36分にドッキングを解除した。その後の一週間はプラズマ・プログレス計画の一環として技術実験研究を行い、9月25日9時1分に軌道を離脱。太平洋上空で大気圏再突入を果たし、およそ19時47分に燃え尽きなかった機体の一部は海上に落下した。
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 00:37 UTC 版)
M-66は2009年2月10日5時49分(GMT、以下同)にバイコヌール宇宙基地31番射点からソユーズUロケットによって打ち上げられた。これは1992年のプログレスM-15以来初の31番射点からのプログレスの打上げだった。 2月13日7時18分にISSのピアースモジュールにドッキングし、推進薬、水、食料、科学研究のための機材など計2,657kgを補給した。また新しいオーランMK宇宙服を補給し、ステーションでの船外活動に使用された古いオーランM宇宙服1着と交換した。 5月6日15時18分にアンドッキングし、プログレスM-02Mにポートを譲った。その後12日間自由飛行を続けプラズマ・プログレス計画の一環として実験を行った。同月18日14時28分00秒に軌道を離脱し、大気圏再突入、およそ15時14分45秒に太平洋にデブリが落下した。
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 00:42 UTC 版)
2002年9月25日16時58分24秒(GMT、以下同)、バイコヌール宇宙基地のSite 1/5からソユーズFGロケットによって打ち上げられた。同月29日17時00分54秒ズヴェズダのAftポートにドッキングし 、ISSに食料、水、酸素、科学研究を行うための装置などを補給した。 約4ヵ月後の2003年2月1日16時00分54秒にドッキングを解除し、プログレスM-47のためにポートを空けた。同日19時10分00秒に軌道を離脱して、太平洋上空で大気圏再突入を果たした。この時間は丁度コロンビア号空中分解事故の6時間後だった。燃え尽きなかった機体の一部はおよそ20時00分28秒に海上に落下した。
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 00:34 UTC 版)
2007年12月23日7時12分41秒(GMT、以下同)、バイコヌール宇宙基地のSite 1/5からソユーズ-Uロケットによって打ち上げられた。 12月26日8時14分にピアースとドッキングし、推進剤(862kg)、酸素(46kg)、ドライカーゴ(1325kg)など計2,246kgをISSに補給した。 約40日後の2008年2月4日10時32分にドッキングを解除した。その後10日間Plasma-Progress実験(スラスタを噴射して、地上のレーダーでそれを観測することにより電離層への影響を調べる実験)を実施した後、2月15日9時44分に軌道を離脱 。太平洋上空で大気圏再突入を果たし、およそ13時29分に燃え尽きなかった機体の一部は海上に落下した。
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飛行記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 00:36 UTC 版)
2008年9月10日19時50分(GMT、以下同)、バイコヌール宇宙基地のSite 1/5からソユーズ-Uロケットによって打ち上げられた。 M-65は9月17日18時43分にズヴェズダのAftポートにドッキングした。ドッキングは元々9月12日の21時01分に予定されていたが、ハリケーン・アイクがテキサス州に接近した影響でジョンソン宇宙センター(JSC)が閉鎖されたため、当初の予定から5日間延期された。この間のバックアップ管制センターとしては、テキサス州オースティン近郊のホテルと、アラバマ州のマーシャル宇宙飛行センターが用意され、要員が派遣された。 ISSからのアンドッキングも、STS-125ミッションとの競合を避けるため10日間前倒しで行われ、11月15日の16時19分にアンドッキングし、その後プラズマ・プログレス実験を実施した。12月8日の8時2分から142秒間エンジンを点火させ軌道を離脱した。太平洋上空で大気圏突入し燃え尽きた。8時49分頃に燃え残った破片が海に着水した。
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