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ミール 1 [meal]
ミール 1 [(ロシア) mir]
ミル 1 [mil]
ミル [Mill]
(2)〔John Stuart M.〕(1806-1873) イギリスの哲学者・経済学者。(1)の長男。ロマン主義の影響下、ベンサムの功利主義を修正して質的快楽主義を唱える一方、帰納法の論理を完成して社会科学に貢献。経済学については社会主義思想の高まりの中で改良主義の立場からリカード分配法則を中心に修正を施した。著「経済学原理」「自由論」「論理学大系」「女性の隷従」
時事用語のABC |
ミール(みーる)
旧ソ連のソユーズ計画から発展したもので、1986年 2月20日にプロトン・ロケットを使って打ち上げられた。その後、ミールは、地球の周回軌道をまわる有人の宇宙ステーションとして、現在に至る。ミールとは、ロシア語で「平和」を意味する言葉だ。
周回軌道上のミールには、宇宙船「ソユーズ」を使って乗組員を送り込む。また、数カ月おきに、宇宙貨物船「プログレス」が食糧や資材を持ち込む。このようなシステムによって、宇宙での有人飛行の滞在時間を1年以上にまで延ばした。
ミールは、宇宙科学ステーションとして、植物栽培、物性、医薬品開発などのモジュールをドッキングさせ、宇宙実験を行っていた。
さらに、1995年には、それまで宇宙開発で熾烈な競争を繰り広げてきたアメリカのスペースシャトルとのドッキングに成功し、1998年には国際宇宙ステーションの建設が始められるなど、国際協力の時代となった。
しかし、プログレスとのドッキングが失敗し、1997年には本体の一部が破損した。そのほか、コンピュータが故障するなどのトラブルが相次ぎ、老朽化が進んでいる。しかも、ロシア政府の財源不足により手を打つことができず、宇宙空間に漂う「粗大ゴミ」となっている。
廃棄処分されることが決まったが、日本上空を通過した後に太平洋に落下させるとあって、心配の種は尽かない。
(2001.02.25更新)
スペース百科 |
ミール

名称:ミール(MIR)
開発機関・会社:ソ連科学アカデミー/ロシア宇宙庁(RKA)(現 ロシア航空宇宙庁/Rosaviakosmos)
運用機関・会社:ソ連科学アカデミー/ロシア宇宙庁(RKA)(現 ロシア航空宇宙庁/Rosaviakosmos)
打ち上げ年月日:1986年2月20日ミール本体打ち上げ(有人運用1986年3月13日~)/1987年4月5日クバント1、ドッキング(本格運用1987年4月12日~)/1989年12月6日クバント2、ドッキング/1990年7月10日クリスタル、ドッキング/1995年6月1日スペクトル、ドッキング/1995年11月15日シャトル・ミール用ドッキング・モジュール/1996年4月26日プリローダ、ドッキング
運用終了年月日:2001年3月23日
打ち上げ国名・機:ロシア(CIS)・旧ソ連/ソ連科学アカデミー/ロシア宇宙庁(RKA)(現 ロシア航空宇宙庁/Rosaviakosmos)
打ち上げロケット:プロトンK/スペースシャトル
ミールは、国内の政変の影響を受けて、その存在もあぶなくなったソ連の宇宙開発機構が、最後に残した、未来への希望でした。
もっとも、中心部となるミール・モジュールそのものは、先行するサリュート6号やサリュート7号と構造的にあまり変わっていません。大きな違いは、サリュート6号、サリュート7号と同様の前後2つ、軸方向のドッキング・ポートに加えて、前方部から側面4方向にさらに4つの増設用ポートが加わったことです。あわせて5方向での結合が可能な、この球形区画のおかげで、サリュート本体(コア部)は、こけしのような特徴的な形状となっています。
この性能を利用することにより、有人の往還宇宙船や補給無人船とのドッキングに加え、ミールでは、さまざまな恒久的モジュールの増設が可能となりました。
ミール本体には、有人宇宙船(ソユーズTM)や無人補給船(プログレスM)をのぞいても6つのモジュールが結合しており、コア部の打ち上げ当時とは見違えるほどの外見と大きさになりました。
1995年2月のランデブー飛行につづき、6月にはスペースシャトル、アトランティスとのドッキングに成功。1995年11月には、同じくアトランティスにより、シャトル・ミールドッキング用のモジュールが運ばれ、来るべき国際宇宙ステーション計画の予行演習としての、スペースシャトルとの長期的な共同ミッションの態勢が整いました。
1998年6月までの間に、スペースシャトルとのドッキングは8回を数え、その後も宇宙飛行士の長期滞在が続けられました。これまで姿勢制御システム不調によるドッキング失敗、中央コンピューター故障などのトラブルに見舞われましたが、幸い人的被害はありませんでした。1999年8月にミールは無人となりました。その後、2001年 3月23日午後 3時00分(モスクワ時間2001年 3月23日午前 9時00分)に南緯40度、西経160度を中心とした海域に落下し、15年に渡る運用を終了しました。
1.スペースシャトルはどんな形をして、どんな性能を持っているの?
ミールは、帰還船となるソユーズTMや輸送船プログレスをのぞけば、本体コアを含めて7つのモジュールから構成されています。
それぞれのモジュールは、補給船との独自のドッキング・ポートを備えたクバントがコア部の後方に、前方側面方向には、時計回りにプリローダ、スペクトル、クリスタル、クバント2の各モジュールが接続され、クリスタルの先端にはさらに、シャトルとのドッキング用モジュールがつけ加えられています。本体前方、軸方向のポートはソユーズ有人宇宙船やプログレス無人輸送(補給)船とのドッキング用に確保されています。
本体のコア・モジュールは単体でも宇宙ステーションとして機能できるように、独自の居住空間、生命維持システム、それに太陽発電パネルを用いた動力システムを備えています。最大直径4.15m、全長13.13m、総重量20.4t、居住可能な与圧部の容積は90m3、3基、76m2の太陽発電パネルを備えています。
クバント(クバント1)は、1987年、コア部後方に増設された天体物理学研究のための望遠鏡など各種の観測機器と、姿勢制御システム、それに独自の生命維持システムを装備しています。内部は与圧された実験室区画と真空の機器区画とにわかれ、実験区画は作業用と居住用に使われています。コア部と反対側には、ソユーズやプログレスとのドッキング・ポートが設けられています。最大直径4.15m、全長5.8m、総重量11.5t。与圧部容積40m3で、2基の太陽発電パネルをそなえています。
クバント2は、1989年12月6日、まず、軸部にドッキング、2日後の12月8日に側面方向に移され、固定されました。クバント2には船外活動(EVA)用の機器やシステム、エアロックが装備され、ミールの運用能力を大きく高めました。また、生物学的研究や地球観測用の科学機器とともに、シャワーや洗濯帰飲み水の供給装置などが搭載されていました。最大直径4.35m、全長12.4m、総重量18.5tで、与圧部容積は61.3m3。2基、53m2の太陽電池パネルをそなえています。
クリスタルは、1990年にまず軸部前方にドッキング、翌日には、ミールの前方側面方向、クバントの反対側に固定されました。クリスタルは、科学研究用の機器や太陽電池パネルと発電システムに加えて、100tにも及ぶ重量との結合が可能なドッキング装置をそなえています。これはソ連版スペースシャトル−ブランとのドッキング用に開発されたものですが、1995年6月27日にはスペースシャトルとの初ドッキングに使われました。この時、クリスタルは、スペクトルの増設にともない、クバントと直角位置のポートに移動されていました。
ところが、そのままの位置ではスペースシャトルとミールがぶつかってしまうため、船外活動によって、クリスタルを一時的に軸部のドッキング・ポートに移す作業がおこなわれました。スペースシャトルとのドッキング後、クリスタルは、ソユーズやプログレスとのドッキング・スペースを確保するため、また、もとの位置にもどされました。この問題を解決するために増設されたのが、あとで解説するスペースシャトル・ミール用ドッキング・モジュールでした。クリスタルは最大直径4.35m、全長11.9m、総重量19.64トンで、与圧部容積60,8m3。2基、70m2の太陽発電パネルをそなえています。
スペクトルは1995年6月1日、まず軸部にドッキング後、側面方向、クバント1の反対側に固定されました。モジュールとしての主な用途は地球観測ミッションです。最大直径4.35m、全長12m、総重量19.64t、与圧部容積61.9m3。4基、35m2の太陽発電パネルをそなえています。
スペースシャトル・ミール用ドッキング・モジュールは、クリスタルを移動することなくスペースシャトルとドッキングできるようにするための、仲介役の延長装置で、ロシアで製造され、1997年11月、スペースシャトル・ミール2度目のドッキング・ミッションの際にスペースシャトルで運ばれ、クリスタルと結合、固定されました。ドッキング装置の向きを360度近く回転させることによって、スペースシャトルとの安全かつ信頼性の高いドッキングが可能となっています。直径2.2m、全長4.7m、総重量4.09tで、側面に2基の太陽電池が装備されています。
プリローダは、1996年4月、ミール本体最後の増設用ポートに固定されました。地球観測用のリモート・センシング機器が搭載され、最大直径4.35m、全長12m、総重量19tで、与圧部容積は66m3となっています。
プリローダの結合により、ミールに可能な基礎構造の増設は完了しましたが、以後も、太陽発電パネルの増設など、改良はさらにつづけられました。

2.宇宙でどんなことをして、今はどうなっているの?
コア部の軌道投入から13年以上の間、ミールはソ連崩壊に前後する政変にもかかわらず、国際的な協力のもと、本当の意味で恒久的なものとしては人類初の宇宙ステーションへと成長しました。来るべき国際宇宙ステーション計画実現へ向けての第1段階(フェイズ1)として、スペースシャトルを含む国際的な協力のもとでの運用がおこなわれています。
1999年8月28日、最後の3人の飛行士が帰還しミールは無人となりました。
3.この宇宙ステーションにのりこんだ宇宙飛行士は?
L・キジム、V・ソロビヨフ、Y・ロマネンコ、A・ラベイキン、A・ビクトレンコ、A・アレクサンドロフ、M・ファリス、V・チトフ、M・マナロフ、A・レフチェンコ、A・ソロビヨフ、V・サビヌイフ、V・リャホフ、V・ポリヤコフ、A・モフマンド、A・ウォルコフ、S・クリカレフ、J・クレチアン、A・セレブロフ、A・バランディン、G・マナコフ、G・ストレカロフ、V・アファナシェフ、M・マナロフ、秋山豊寛、A・アルツェバルスキ、H・シャーマン、T・アウバキロフ、F・フィーボック、A・カレリ、K・フレード、S・アブデエフ、M・トニーニ、A・ポリショック、V・スビリエフ、J・ピエール・ハグネア、Y・ウサチョフ、Y・マレンチェンコ、T・ムサバイエフ、E・コンダコワ、W・メルボルト、V・デジュロフ、N・サガード、R・ギブソン、チャールズ・プレコート、E・ベーカー、G・ハーバー、B・ダンバー、N・ダブリン、Y・ギゼンコ、S・アブデエフ、T・ライテル、K・キャメロン、ジェームズ・ハルセル、クリス・ハドフィールド、J・ロス、W・マッカーサー、Y・オヌフリエンコ、K・チルトン、リチャード・シーアフォス、R・セガ、M・クリフォード、L・ガットウィン、S・ルシッド、V・コルザン、C・デエー、ウィリアム・レディ、テレンス・ウィルカット、T・エーカーズ、J・ブラハ、J・アプト、C・ウォルツ、マイケル・ベーカー、B・ジェット、J・グランスフェルド、M・アイビンズ、P・ウィッソフ、J・リネンジャー、A・ラズートキン、V・ツィブリエフ、R・エワルト、アイリーン・コリンズ、J-F・クレルボア、E・ルー、C・ノリエガ、E・コンダコワ、M・フォーレ、P・ビノグラドフ、ジェームズ・ウエザビー、M・ブルームフィールド、S・バラジンスキー、J-L・クレティアン、D・ウルフ、T・ムサバイエフ、N・ブダーリン、L・エイハート、G・パダルカ、Y・バトューリンです。
4.どのように地球を回るの?
打ち上げ直後の軌道は、近地点高度387km、遠地点高度395km、軌道傾斜51.6度、公転周期92.4分で、大気の抵抗による高度低下を打ち消すため、搭載の小型ロケットやドッキング状態の無人宇宙船プログレスを使っての軌道修正が繰り返しおこなわれました。
ウィキペディア |
ミール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/16 16:58 UTC 版)
ディスカバリーから見たミール(1998年6月12日)
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ミールの記章
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| 詳細 | |
|---|---|
| COSPAR ID | 1986-017A |
| コールサイン | Mir |
| 乗員数 | 3名 |
| 打上げ日時 | 1986–1996年 |
| 発射台 | バイコヌール宇宙基地・LC-200/39およびLC-81/23 ケネディ宇宙センター・LC-39A |
| 再突入 | 2001-03-23 05:50:00 UTC |
| 質量 | 124,340 kg (274,123 lbs) |
| 居住空間 | 350 m³ |
| 近地点 | 354 km (189海里) |
| 遠地点 | 374 km (216海里) |
| 軌道傾斜角 | 51.6 度 |
| 日周回数 | 16.34 |
| 周回日数 | 5,519日 |
| 滞在日数 | 4,592日 |
| 総周回数 | 86,331 |
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2001年3月23日 04:57:10 UTC現在
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脚注:[1]
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| 詳細図 | |
ミール(ロシア語:Мир、英語:mir)は旧ソビエト連邦によって、1986年2月19日に打ち上げられ、2001年3月まで使われた宇宙ステーションである。ミールという名前は、ロシア語で「平和」「世界」を意味する。サリュートの後継機。
目次 |
概要
コアモジュールはサリュート6・7号とほぼ同じ構造を使用しているが、新たに5個のドッキングポートを有する球状のドッキング区画を装備した。サリュート6, 7号が2箇所のドッキングポートしかなかったのに対して、ミールのコアモジュールは計6箇所のドッキングポートを利用できた。これを利用して1996年までの10年間に5つの大型モジュールが打ち上げられ、それらを結合することによって規模を拡大させた。残りの1箇所とクバント1のドッキングポートには、ソユーズ宇宙船とプログレス補給船のドッキングに使用された。
1990年代にアメリカ合衆国主導の国際宇宙ステーション計画へロシア連邦が参加することが決定し、1997年のプログレス補給船衝突事故以降、施設の老朽化と陳腐化が関係者の間で問題となり、またロシア側が新たな基本モジュール(名称:ズヴェズダ。ミールのコアモジュールの改良型)の打ち上げに意欲を示したことから、国際宇宙ステーションに飛行士が滞在するのに合わせて廃棄する事となり、2001年3月23日に大気圏に突入した。15年もの間、旧東側諸国を中心にアメリカやヨーロッパからも100人以上の宇宙飛行士が訪れた。
宇宙飛行士の往復には主に有人宇宙船ソユーズ(ソユーズT、ソユーズTM)が使用され、補給品の輸送には無人貨物宇宙船プログレス(初代およびプログレスM、プログレスM1)も使用された。またスペースシャトルも8回のドッキングを行った。
歴史
- 1986年2月19日、コアモジュールの打ち上げ。
- 1990年12月にはTBSの秋山豊寛が宇宙特派員として日本人初の宇宙飛行を達成、ミールから9日間に渡る宇宙リポートを行った。
- 1994年1月から1995年3月までワレリー・ポリャコフがミールに滞在し、437日間の連続宇宙滞在記録を樹立。
- 1995年6月30日、アメリカ合衆国のスペースシャトル「アトランティス (STS-71)」がドッキングした。米露のドッキングは1975年のアポロ・ソユーズテスト計画以来であり、これ以降、STS-74、STS-76、STS-79、STS-81、STS-84、STS-86、STS-89がドッキングした。
- 1997年2月23日、クルーが交代のため6人が滞在していた時に、クバント1に装備していたバックアップ用の酸素発生キャニスター(SFOG)を使用した際に炎が噴き出し、一時、船内は煙で充満した。クルーは酸素マスクを装着して消火器を使って鎮火させ、その後空気浄化装置を使って有害なガスを除去した[2]。
- 1997年6月25日に無人宇宙輸送船プログレスM-34のミールからのTORUシステムを使用した手動ドッキングテスト時に、スペクトルモジュールに衝突する事故が発生し、空気漏れが生じたため、スペクトルモジュールを閉鎖。この緊急時にハッチ閉鎖のために電力ケーブルなどを切断したため電力不足にも陥った。その後、3回の船外活動でスペクトルモジュールからの電力供給をほぼ回復させる事はできたが、空気漏れの箇所の特定・修理は2000年4月までできず、スペクトルモジュールは使用できなくなった[3]。
- 1998年8月13日のソユーズTM-28に乗り込んだ日本のガチャピンが、ポンキッキーズ の「ガチャピン宇宙へ」企画で8月15日から8月20日までの5日間滞在。定期的にP-kiesワンダーランド会場(臨海副都心青海Q地区)と中継する計画であったが、通信事情が劣悪で殆ど映像を伝送できず、帰還後の8月30日に予定していた特別番組の放送が中止された。
- 1999年8月28日にソユーズTM-29が分離し、ミールは2000年4月6日まで無人となった。
- 2000年4月6日にソユーズTM-30がドッキング。アメリカのMirCorp.が資金提供し、ミールの修理を行い、今後の商業利用の準備を整えた。2000年6月16日に帰還すると再び無人状態となった。
- 2001年3月23日に南太平洋上の大気圏に再突入、廃棄処分された。
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- ^ “Mir-Orbit Data”. Heavens-Above.com (2001年3月23日). 2009年6月30日閲覧。
- ^ “Historical Incidents: The Mir Fire (クルーの証言映像あり)”. Space Safety Magazine 2011年12月11日閲覧。
- ^ “Progress M-34 collides with Mir (クルーの証言映像あり)” 2011年12月11日閲覧。