チャレンジャー号爆発事故
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チャレンジャー号爆発事故(チャレンジャーごうばくはつじこ)は、1986年1月28日、アメリカ合衆国のスペースシャトル"チャレンジャー"が打ち上げから73秒後に分解し、7名の乗組員が全員死亡した事故である[1]。同オービタは北米東部標準時午前11時39分(16:39UTC、1月29日1:39JST)にアメリカ合衆国フロリダ州中部沖の大西洋上で空中分解した。この打ち上げはチャレンジャーにとって10回目であり、ミッション名はSTS-51-Lであったが、打ち上げ直後に発生したため、ほとんどの予定が遂行されずに終わった。
- 1 チャレンジャー号爆発事故とは
- 2 チャレンジャー号爆発事故の概要
チャレンジャー号事故
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「スペースシャトル計画」の記事における「チャレンジャー号事故」の解説
「チャレンジャー号爆発事故」を参照 1986年1月28日、STS-51-Lにおいてチャレンジャー号が打ち上げ 73 秒後に爆発し、7 名の飛行士全員が犠牲になる事故が発生した。乗員の中には宇宙授業計画(英語版)で宇宙へ行く最初の教師としてクリスタ・マコーリフが含まれており、NASA TV などを通して生中継が行われていたために社会的に大きな騒動となった。事故調査のためにロナルド・レーガン大統領によってロジャース事故調査委員会が組織され、墜落事故の原因を探ることとなった。残骸の回収が大規模に行われ、史上最大規模の海上捜索が行われた。 原因は当日の冷え込んだ気温による固体燃料ブースターのOリングの破損であり、この破損から派生した破壊で SRB と外部燃料タンクが連鎖的に分解し、最終的にオービタを吹き飛ばしたものとされる。また、事故直後には乗員が生存していた可能性があることも判明した。ロジャース委員会は、以前から契約企業がOリングが冷却下で破損される可能性があることを指摘していたにもかかわらず NASA がこの報告を退けていたこと、またシャトルの利用増加で打ち上げスケジュールが過密化してこれらを見逃す要因になっていたことなどを原因の一端として指摘している。 事故以降、シャトル打ち上げ計画は 32 か月間にわたって中断されることとなり、SRB の再設計ほか多くの改良が行われることになり、ミッション計画の再計画も行われた。NASA は当時スペースシャトル計画に非常に注力していたため、この事故をきっかけに NASA 全体の計画の練り直しが行われることになった。1988年9月29日、チャレンジャー事故後最初のミッション STS-26 が行われ、無事に成功した。なお、失われたチャレンジャーに変えてエンデバー (Endeavour ) が製造され、1991年5月にケネディ宇宙センターに搬入され、翌年に初飛行を行っている。
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