中央パネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 06:33 UTC 版)
イエス・キリストは、イバラの冠を頭にかぶせられ、手や足を釘で十字架に打ちつけられており、9人の死刑執行人たちが、その十字架を立ち上げようとしている場面が描かれている。死刑を執り行う男たちは、筋肉を隆々とさせており、多くは十字架を持ち上げようとしているが、中にはロープを引いている者もいる。
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中央パネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 06:32 UTC 版)
磔刑によって命を落としたイエス・キリストの遺骸が8人の男女によって十字架から降ろされている場面が描かれている。キリストの手や足、脇腹からは、血が滴り落ちている。最上部に描かれた2人は、無名の人物である。彼らのうち、白い布を左手で握っている人物の下、キリストの左側に描かれた男性は、アリマタヤのヨセフであり、彼は長いひげを生やしている。白い布を口でくわえている人物の下、キリストの右側に描かれた男性は、ユダヤ人の学者であるニコデモである。
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中央パネル
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「東方三博士の礼拝の三連祭壇画 (ボス)」の記事における「中央パネル」の解説
中央パネルは伝統的な初期フランドル派の図像に従って描かれた「東方の三博士の礼拝」が描かれている。聖母マリアは不安定な小屋の外に座り、幼児キリストを抱いている。三博士の贈物と衣服はキリストを予兆する『旧約聖書』の各場面で装飾されており、これらの描写によってボスは自身の絵画技術の高さを示している。三博士の最年長者メルキオール(英語版)はひざまずいて、金と真珠で作られた贈物を聖母の足元に置いている。贈物はイエスの受難の予兆であるイサクの犠牲の場面が彫刻されている。彫刻の主題は罪を暗示する数匹のヒキガエルの像に支えられているという事実によって補強される。メルキオールの王冠は地面にあり、天体に対する地上の力の無力さをほのめかしている。 カスパール(英語版)はメルキオールの画面奥に立っており、幼児キリストに提供すべく用意した乳香を銀のトレイに乗せて持っている。彼が着用した金属製のクロークの上部は、東方三博士の礼拝に関連するテーマの1つ、ソロモン王に贈物をするべく訪れたシバの女王が彫刻されている(「列王紀上」10章1節-13節)。その下には神の御使いによって息子サムソンの誕生を予言されたマノア(英語版)とその妻が行った供儀が描かれている(「士師記」13章19節-23節)。サムソンの誕生はキリストの誕生の予兆とされる。 最後に黒人として描かれたバルタザール(英語版)は没薬が入った球形の聖体容器(Pyx)を持っている。容器にはサウル王の死後、ユダ王国のダビデ王の前でひざまずくアブネル(英語版)の姿が彫刻されている(「サムエル記下」3章10節)。これは『ビブリア・パウペルム(英語版)』ではシバの女王の訪問とともに東方三博士の礼拝の予兆とされる。容器にとまったフェニックスはくちばしに穀物を集めており、キリストの復活を想起させる。白いマントの肩と首を飾るとげのあるアザミの葉はキリストの受難をほのめかしている。ペイジ(小姓)のチュニックの下端も注目に値する。そこでは大きな魚が小さな魚を食べるモチーフが描かれている。これは下描きの段階で描かれているので、三連祭壇画全体に浸透している救いのテーマの文脈で解釈されるべきである。 小屋はブラバント地方の家畜小屋と似ており、2階は干し草置き場になっている。小屋の入口にいる人物は反キリストとされる。反キリストは人々に囲まれ、赤いマントで体を覆い、頭に金属の小枝が付いた王冠を被っている。珍しい要素である右足首の腫れは受難の別の予兆か、信者に迫る異端の象徴、あるいはハンセン病に襲われた後に反キリストとなったユダヤ人の救世主など様々に解釈されてきた。いずれにせよ、この人物の邪悪な性質は2階の壁の隙間に描かれたフクロウによって表現されている。フクロウは獲物として殺したネズミをそばに置き、上から礼拝の様子を眺めている。反キリストの邪悪な外見は小屋の中にいるグロテスクな人々によって強調されている。その中にはボスが描いた悪魔のような頭飾りの女性がおり、彼女の形の崩れた容貌はひどく醜い表情をしている。 右端の人物たちは「東方三博士の礼拝」の伝統的な要素である羊飼いである。礼拝の場面は彼らが壁の穴や屋根の上から覗き見ることで完成している。小屋の後ろの背景の左側には1軒の家が建っている。この家は白鳥の旗と屋根の鳩小屋で売春宿と分かる。1組の男女が家を見つめ、また1人の男が猿の乗った馬を引っ張ってその方向に向かっており、欲望をほのめかしている。そのすぐ下では左右に配置された2つの騎馬隊が走って進軍している。彼らはいずれも東方的な頭飾りを被っているため、ヘロデ王の兵士が誕生して間のないイエスを殺すために探していると特定できる。雲を背景に描かれた遠景の街はベツレヘムである。街のいくつかの建築物は空想的な外観をしており、壁の外側には風車が建ち、その近くに第3の騎馬の一団が描かれている。
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中央パネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 02:09 UTC 版)
中央パネルでは、ボスは乾草車に群がる人間を描いている。これは「イザヤ書」40章6以下の詩「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない」に基づいている。すべての人間は草のようであり、野の花にも似た地上のはかない性質を表している。同時にフランドルの諺をも説明している。すなわち「世界は乾草の山のようなものである。誰も彼もがありったけのものを掴み取ろうとする」。車に積まれている干し草は人間が欲望を向ける対象を象徴しており、ボスは干し草に群がる人々を描くことで、社会階級や出身地に関係なく、人間がいかに物質的な所有欲に取り憑かれているかを表現している。ボスはこの祭壇画を通じて、永遠の罰を避けるために、私たちが地上的な財貨と感覚的な喜びを放棄することを呼びかけ、悪行を避けるべきであると提案している。 天国の贖い主キリストが注意深く見つめる中、すべての異なる社会階層は、貪欲や欲望などの悪徳のためにここで非難されている聖職者を含む、一握りの干し草を掴もうとしている。さらに、彼らは目的を達成するために誰も立ち止まろうとしない。前景では子供たちの世話をし日々の仕事をする女性たちから、歯を抜く男まで、様々な日常生活の光景を見ることができる。対照的に乾草車に群がる人々は、それを運転する者が悪魔のような生物であり、その先に待っているものが地獄であることに気付いていない。乾草車に続く馬に乗る教皇や、父なる神と似た冠を被る皇帝、ブルゴーニュの頭飾りを被った公爵、彼らの周りの群衆たちも同様である。ホセ・デ・シグエンサ神父はこれらの人々を欲望の虜にして地獄へと導く異形の生物が種々の悪徳を象徴していると考えた。 欲望が勝利した乾草車の上では、守護天使が絶望して天国のキリストを見上げているのに対し、悪魔は陽気にトランペットを演奏しており、両者の間に裕福な男女とそれに随行する音楽家が座り、さらに音楽家の奏でる音楽に勇気づけられた2人の召使いが木々の間で戯れている。またその様子を白いフクロウが見ている。
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中央パネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 02:09 UTC 版)
「聖アントニウスの誘惑の三連祭壇画」の記事における「中央パネル」の解説
中央パネルは誘惑を拒む聖人の能力に対するボスの人を惹きつける力を示しており、聖アントニウスの誘惑の場面を適切に描いている。中心に配置されているのは廃墟の塔の中の小さな室内で熟考する聖人である。聖人は祝福する手で指し示されており、彼のいる一室では小さなキリストが十字架を指しているように見える。聖人は左側の悪魔と巫女によって祝われた冒涜的な黒ミサに応えるため真の犠牲を提案するために熟考している。黒人の巫女は魔術と贅沢の象徴であるヒキガエルを乗せた器を持っている。ヒキガエルは両前脚で卵を持ち上げている。豚の顔を持つ黒服の異形の歌手は頭上に小さなフクロウ(異端の寓意)を乗せている。脚の不自由な男性は聖体拝領を受けようとしている。聖人はキリストの方向を指さしながら世界を見つめているが、絵画世界の誰も聖人の指さす方向を見ていない。 画面左端の中景の木の幹に似たヘルメットを被った女性を含む左側の悪魔のグループは、おそらく血なまぐさい暴力を象徴しており、一方の画面右端の水中のグループは、エジプトへの逃避(英語版)または東方の三博士のいずれかの悪魔的なパロディである可能性がある。3番目の悪魔のグループは前景の大きな赤い果実を破って中から抜け出している。このグループにはハープを弾いたり、鶏に乗ったり、中央の魚船の周りを移動したりしている悪魔が含まれている。 上空では船の形をした鳥、トビウオ、翼のあるボートが飛行している。最後に、画面中央部分で赤マントをまとい頭に黒い帽子を被ったあご髭を生やした男性は、両翼と中央の画面全体を支配する幻視を作り出した魔法使いである可能性がある。
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中央パネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 15:19 UTC 版)
「最後の審判の三連祭壇画 (ウィーン美術アカデミー)」の記事における「中央パネル」の解説
ボスは最後の審判の聖なる法廷の下で罰せられる罪人たちを描いている。キリストは裁判官として雲の上に座している。キリストは左右に12使徒、聖母マリア、父なる神を伴っており、さらに4人の御使いが最後の審判を知らせるトランペットを吹き鳴らしている。その下では暗い荒野が広がり、罪人たちは様々な姿の悪魔たちから拷問を受けている。彼らは吊るされ、縛られ、刺され、切り刻まれて、石臼で引き潰され、煮られ、焼かれ、炒められている。ある者は悪魔の鍛冶師によって足の裏に蹄鉄を打ちつけられ、あるいは強制的に労働させられている。またある者は樹木の枝で四肢を刺し貫かれている。ボスはこれらの様々な拷問の描写の中に七つの大罪、傲慢(Pride)、強欲(Greed)、嫉妬(Envy)、憤怒(Wrath)、色欲(Lust)、暴食(Gluttony)、怠惰(Sloth)として知られる致命的な罪を潜ませている。画面左下の胸を指し貫かれている男のように、罪人たちのうち何人かは救いを求めて手を合わせている。また画面左端の中景では1人の罪人が金髪の天使によって救い出されている。
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中央パネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 18:12 UTC 版)
後述のように現生の快楽もしくは性的快楽を表現していると考えられる。明るく鮮やかな色調が印象的で、画面の大部分を占めるのは裸体の男女の群像である。ボスと言えば怪奇幻想の画家という印象が強く、類まれな想像力による妖怪・悪魔・怪獣の如き異形のものがよく知られる。他の作品、たとえば『聖アントニウスの誘惑』や『最後の審判』はその典型であるが、本作の中央パネルにはそうしたものはわずかしか描かれていない。一見すると通常の人間集団のように見えるが、実際には様々な象徴と寓意に満ちており、多くの謎を提示して研究者たちの論議を呼んできたものである。 画面は大きく前景・中景・遠景に分けることができる。前景では、裸体の男女が一見無秩序に群がっているようであるが、彼らは数人のまとまりを作って配置されている。裸体の人々の中で、右下に1人だけ毛皮をまとった男性が描かれており、これはアダムではないかともいわれる。人々の姿態や行動はきわめて多様で、何らかの意味が込められていると考えられる。たとえば、男が巨大なムール貝(イガイ。海産の食用二枚貝)を担ぎ、その貝の中から男女と思われる2組の脚が出ている様子は、明らかに性的な象徴である。また、2人の人間が赤いフクロウをかぶって踊っているのは、フクロウが異教の表象であることから、宗教的な意味が含まれているとされよう。他にも様々な果実が描かれており、これらはいずれも快楽を表す意味があると考えられる。 中景では人間たちに動きと流れが見られる。池で女たちが水浴している所を、男たちが動物に乗って包囲するように動いている。彼らが騎乗しているのは馬・牛・豚などのなじみのある動物だけでなく、ユニコーン・グリフォンのような想像上の怪獣も含まれる。動物に乗る行為も性的象徴とされる。 遠景では、奇妙な形をしたオブジェのような物体がいくつも配置され、その後方の空中には動物や人間がゆったりと飛んでいるように見える。 描かれた人間たちは細身でマネキン人形を思わせ、生気を欠く。しかしこれは決してボスの技術や才能の不足によるものではなく、意図的なものであろう。画面では人間に混じって巨大な鳥や蝶が描かれているが、その描写は極めて的確で写実的であり、ボスの並外れた絵画力を示している。また、数人の黒人も描かれているが、縮れた頭髪、突顎など黒人の特徴が正確に描写されている。 しかし、個々の人間たちが表現する意味はある程度推定できるものの、中央パネル全体としての主題については多くの解釈がある(後述)。
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