三省堂 大辞林 |
ハンセンびょう ―びやう 0 【―病】
〔癩菌(らいきん)を発見したノルウェーのハンセン(1841-1912)の名にちなむ〕癩菌の感染によって起こる慢性伝染病。伝染力は弱い。皮膚に結節・斑紋ができ、その部分に知覚麻痺がある。また、まゆ毛・まつ毛の脱毛、手足や顔面の変形、視力障害などがみられる。かつては不治の病とされたが、新薬の出現により治療可能。日本では新患者の発生はほとんどない。癩病。レプラ。
人権啓発用語辞典 |
ハンセン病
感染力、発病力ともに非常に弱いが、長く治療法が確立せず、患者は顔や手が変形する症状や「遺伝病」との誤解などから、激しい差別や偏見をうけました。
1940年代に米国で治療薬「プロミン」が開発されて以来、治療法の研究が進み、今では発病しても通院治療で治り、後遺症も残りません。
国際保健用語集 |
ハンセン病
ハンセン病は、抗酸菌に属するMicobacterium Lepraeの持続的感染によって皮膚や末梢神経に起こる慢性肉芽腫性病変を特徴とする感染症である。1940年代に近代的化学療法が開発され、体内のらい菌の増殖を阻止あるいは滅菌出来るようになるまでは、不治の病として大変恐れられた疾患であった。しかし、特にリファンピシンを主軸とした多剤併用療法が開発された1980年代以降、ハンセン病は、比較的簡単に治癒可能な疾患となった。1991年以降、世界保健機構(WHO)のイニシアティブの元に世界的な努力が行われた結果、多剤併用療法による感染源対策を戦略としたハンセン病制圧対策は劇的に進んだ。
1980年代初頭に1200万人と言われたハンセン病罹患患者数は、現在では、数10万人にまで減少している。一方ハンセン病は、主として皮膚と末梢神経に病変を持つ病気であり、特に末梢神経に生じる神経炎の結果、目や手足の末梢神経麻痺を中心とした後遺症を残して治癒する可能性がある。世界中で過去に治療の機会を得られなかったり、不十分に治療されたりした多くの患者さんが、この後遺症のために、身体的ばかりでなく、不当な差別や社会経済的に苦しんでいるのは事実である。このため、ハンセン病による身体障害の予防、差別偏見の低減と社会経済的リハビリテーションは、ハンセン病のコントロールと同様に重要である。(石田 裕)
参考URL:WHOホームページ http://www.who.int/topics/leprosy/en/
感染症の種類 |
ハンセン病
ハンセン病(leprosy)は感染症法には含まれない。また、らい予防法は1996年4月に廃止された。ハンセン病はらい菌(Mycobacterium leprae )の感染により、皮膚表面に斑紋、結節などを生じさせ、また神経障害による知覚障害、運動障害、筋肉萎縮をきたし、外形的な変形などの後遺症を残す場合がある。近年のわが国での新患発生は年間20名以下で推移している。 WHOにより、多剤併用療法によるハンセン病対策が推進されている。 疫学
2002年の国外における新患としては、インド(473,658)、ブラジル(38,365)、ネパール(13,830)、 タンザニア(6,492)、モザンビーク(5,830)、マダガスカル(5,482)に多数の発生が見られ、これら6カ国で世界の88%を占める。その他、HIV感染がハンセン病に及ぼす影響については、結核 におけるような明確な変化は報告されていない。 病原体
らい菌のゲノムDNAは3, 268, 203 bpである。蛋白質をコードする遺伝子は1,604である一方、1,116の偽遺伝子が存在し、このことが、らい菌がin vitroにおいて培養不能であることの原因ではないかと推測されている。菌体最外層にはフェノール性糖脂質(phenolic glycolipid-I, PGL-I)が存在し、末端の3糖の構造はらい菌に特異なものとして血清診断に利用される。
ハンセン病の経過中に、らい反応と呼ばれる異なる2種類の急性の炎症反応が起こる場合がある。1)1型らい反応(または境界反応、リバーサル反応):B群の病像 の経過中に急に発赤が増強し、腫張をきたす。Th1型の免疫応答の増強の結果と考えられている。2)2型らい反応(らい性結節性紅斑、erythema nodosum leprosum. ENL):LL型およびBL型に見られる反応で、病変部や正常に見える皮膚に、発赤と疼痛を伴う浸潤性紅斑が出現する。らい菌菌体成分と、これに対する抗体との免疫複合体が血管壁に沈着して起こる症候群である。
予防・治療 実験感染でらい菌の増殖阻止効果を示す例がいくつか報告されているが、ハンセン病に有 効なワクチンは開発されていない。ハンセン病に対しては早期発見、早期治療により後遺症を 残さないことが治療の基本となっている。そのために、WHOの推奨する多剤併用療法(MDT)(表1)が広く適用され、わが国でもそれに準じた治療指針が日本ハンセン病学会により策定さ れている。わが国の治療指針では、菌陰性化および活動性臨床所見が見られなくなるまで治 療を継続することを基本としている(文献3)。それぞれ定められた期間の治療完了を持って治 癒とみなされ、登録から外される。このために図1に示すような急激な患者数の減少となったが、 新患発生の減少は見られず、MDTの感染源対策の意義は絶対的ではない。MDT完了後の再 発率は治療終了時の菌数が多く、時間を経るとともに高くなり、0.01~3.3/100人/年の結果が示 されている。 DDS、リファンピシン、オフロキサシンに対する単剤あるいは多剤薬剤耐性例が認められ、特 に再発例ではその割合が高い。近年、上記3剤についてそれぞれfolP, rpoB, gyrA 遺伝子の特 定塩基の1塩基変異により耐性を獲得することが示され、治療薬選択に利用されている。 <参考文献> |
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微生物の用語解説 |
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ハンセン病
らい(ハンセン病) [Leprosy, Hansen’s disease]
現在、世界的には、インドやタイなどアジアやアフリカを中心に約1、200万人の患者がいると推定されているが、日本では新しい患者の発生は殆ど見られず、予防に成功している。その為に、従来「らい予防法」で隔離されていたらい患者の社会復帰が認められるようになった。
らい菌は非常に感染力の弱い細菌で、生後まもなくの親子間の濃厚な接触以外では感染が起こらない。成人してかららい患者の施設に勤務をしている医師や看護婦、ケースワーカーなどでらいに感染・発症した例は報告されていない。らい菌に感染して発症すると、手などの知覚神経が冒され、熱さや寒さをかんじなくなる。
早期発見できれば、リファンピシンなどの有効な化学療法剤を用いた治療法があるので、日本では以前のように典型的ならいの症状を示す患者はいなくなった。 らいの患者に対する社会の偏見は今でも強く、差別が行われているが、細菌学者からみると滑稽なくらいである。
ウィキペディア |
ハンセン病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/05 13:25 UTC 版)
ハンセン病(ハンセンびょう、Hansen's disease)は、抗酸菌の一種であるらい菌 (Mycobacterium leprae) の皮膚のマクロファージ内寄生および末梢神経細胞内寄生によって引き起こされる感染症である。
- ^ a b c d e f 「ツァラアト」から「leprosy」まで、『ハンセン病のリンク集』
- ^ a b 「死のミサ」は患者が現世の社会でいったん死んで、隔離社会であるらい院で生きるために行われる儀式。患者は祭壇の前に立ち黒いベールを身につけ、「我が友よ、これ汝が、この世で死せる者たるの印なり、されど最後の審判の日には、神より蘇らせ給え」と述べる。
- ^ a b 「模擬埋葬」は、らい院に入所した際に行われる儀式。具体的には、患者は現世でいったん死んだことを明らかにするため、墓地に穴を掘り穴の中に寝て、その上から土をまかれる儀式が行われる。
- ^ 推古天皇20年(612年)の条。
- ^ 833年(天長10年)に清原夏野ら12人によって編まれた。
- ^ 大宝律令の「悪疾」を「白癩」と解釈。
- ^ 今谷逸之助:日本癩病史、1937 - 1939
- ^ 「令義解」には「悪疾所謂白癩、此病有虫食五臓。或眉睫堕落或鼻柱崩壊、或語声嘶変或支節解落也、亦能注染於傍人。故不可与人同床也。」と書かれている。極めて具体的な症状が書かれており現在のハンセン病のことを意味する、という解釈の根拠になっている。これが正しければ日本人がらい感染説を最初に言い出したということになる
- ^ 紀元前3世紀の前漢時代の中国最古の医学書『黄帝内経』に記載がある古い言葉である。
- ^ 「ツァラアト」は元来、旧約聖書のみに使用されていた言葉であるが、翻訳では旧約聖書・新約聖書ともに使われている。
- ^ Rojas-Espinosa O, Løvik M (2001). “Mycobacterium leprae and Mycobacterium lepraemurium infections in domestic and wild animals”. Rev. - Off. Int. Epizoot. 20 (1): 219–51. PMID 11288514.
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- ^ Psychiatric aspects of Hansen's disease, Olivier Hr. J Clin Psychiatry 48, 477-479,1987
- ^ Year Book of Dermatology, 1989, p.174
- ^ HE染色だけでなく菌の検出のため抗酸菌染色を行う必要がある。染色性が良いためFite染色が推奨されている。特殊染色として神経を観察するためS100染色を追加することもある。
- ^ 組織生検の一部を凍結ないし70%エタノール保存しておけば、検査が可能である。
- ^ 実際には、Fernandez反応と光田反応がある。Fernandez反応は、皮内に注射後48時間後の発赤をみる早期反応で、光田反応は注射後2 - 3週間後の硬結をみる晩期反応である。光田反応の名前は、光田健輔の研究 (1919) から発展して作られた検査に由来する。
- ^ a b 国立感染症研究所ホームページを参照
- ^ SLPB:single-lesion paucibacillary
- ^ SLPBは皮疹が1個だけで菌陰性である。1997年にWHOが設置。
- ^ 中国では1578年の「本草綱目」にハンセン病の治療薬として漢方の処方が記載されている。
- ^ 中国から伝わった。公式には明治時代になってからである。
- ^ Norman Tayler著、難波恒雄、難波洋子訳註、『世界を変えた薬用植物』、創元社、1972年
- ^ The Promin Treatment of Leprosy A Progress Report, Faget GH. et al. Public Health Report (1943), 58, 1729-1741
- ^ 石館守三 「はまなすのこみち - 私の歩んだ道 - 」,1988.
- ^ らい看護から 河野和子、外口玉子編 日本看護協会出版会 1980 205頁
- ^ "They really roasted me", Johnny Haron, The Star 54,2,Nov/Dec. 1994.
- ^ 歴史の中の皮膚疾患 監修酒井シヅ 1998
- ^ らいと社会 昆 宰一 岩手医誌 38:2,161-174, 1986.この中に入浴中の写真がある
- ^ 歴史のなかのらい者 ゆみる出版 100p1996,
- ^ 多稼の屋 廃藩置県当時の沖縄の風俗、東陽堂、明治29年、月刊沖縄社復刻 1992年
- ^ 頭痛の場合は頭部である。その他の場所に行われることも多かった
- ^ 菊池一郎:沖縄県における乱切・瀉血療法、皮膚科の臨床、45(4),435-437,2003
- ^ 稲福盛輝:沖縄疾病史、第一書房、1995
- ^ 国立ハンセン病資料館常設展示図録/2008
- ^ 滝尾英二:朝鮮ハンセン病史、未來社、2001.
- ^ 菊池一郎:宮古南静園における戦争中の死亡率,日本ハンセン病学会雑誌,69(3),54,2000.
- ^ 日本精神科医療史,医学書院,2003.
- ^ 宮古南静園入園者自治会:沖縄県ハンセン病証言集,宮古南静園編,2007.
- ^ 瀬名波栄編著:「先島群島作戦 宮古編」先島戦史刊行会1975.6刊.
- ^ 3年間の当園における死亡症例の検討、福島一雄、日本ハンセン病学会雑誌、78,144,2009.
- ^ スティグマのある人は、対等に扱われず社会的に差別され、多くの人のライフチャンスをせばめてきた。スティグマの対象となりうるものはハンセン病以外に、病気・障害・老齢・入墨などの肉体的特徴、精神異常・投獄・麻薬常用・アル中・同性愛・失業・自殺企図・過激な政治運動などから推測される性格的特徴、人種・民族・宗教に関わる集団的特徴などがある。
- ^ Jopling WH.Leprosy stigma.Lepr Rev. 1991 Mar;62(1):1-12.
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- ^ マレーシア、スンゲイブロー療養所長である。対日戦争時には、患者を守るために療養所に残った。1948年12月に愛国ゲリラを治療したことが発覚、チャンギ(シンガポール)に連行され抑留された。その後 マラリア、赤痢で健康を害し、1950年スコットランドに帰国。1953年に亡くなった。
- ^ 感染を防ぐため療養所だけの紙幣を発行したが、1938年に伝染性の有無を調べるために汚れた紙幣を検査したところ菌の汚染はなく伝染はないという結論に至ったため特殊紙幣を燃やしてしまったというエピソードがある。その後、特殊貨幣は廃止された。
- ^ Teoh,I.Unique experiment with currency notes. The Star, Jan.-Feb. 1970.
- ^ 一部は四か国語の美しい紙幣であった
- ^ 1955年頃には場所的には不祥事がきっかけで廃止となっている。
- ^ 青木美憲 遥けくも遠く、朝日新聞大阪厚生文化事業団編 p94 1998
- ^ 社会復帰した人は免許証の名前や病院での呼び出しが実名となるため、違和感を覚える人も多いという。
- ^ 中国の古文書に見られるハンセン病 犀川一夫 沖縄県ハンセン病協会 1998
- ^ この中国の迷信について 宮川量 飛騨に生まれて 1977, p279 にも記載がある。
- ^ a b c d e f 立川昭二、「癩」、『世界大百科事典』、CD-ROM版、平凡社、1998年
- ^ 「ラザレット」は全身に腫れものを持つ乞食を意味する「ラザロ」に由来する。;立川昭二、「癩」、『世界大百科事典』、CD-ROM版、平凡社、1998年
- ^ イギリスでは1347年にエドワード3世によって「患者隔離法」が定められた。スペインでは1284年に「患者隔離法」、1477年に患者を取り締まるための「らい管理制度」が設けられた。スコットランドでは12世紀に「バロー法」が制定されらい院への強制収容が始まった。フランスではシャルル5世が1371年に「患者取締令」を公布した。ノルウェーでは1487年にハンス王が「患者隔離令」を公布。デンマークでも1443年、1478年に「患者隔離令」が公布された。イタリアでは都市ごとに「患者取締令」があった。
- ^ このエリーザベトの活動は度々、宗教画の題材として取り上げられた。
- ^ ハンセン病に罹患した兵士を看護するために教皇ダマシウス2世時代にパレスチナで組織された。その後、エルサレムがイスラム軍に占拠されると多くの騎士団員は殺害された。一部の団員は逃れヨーロッパで、イエス・キリストの「労わり」に基づいたハンセン病患者の看護にあたった。
- ^ 1873年のことであり。偶然であるがらい菌が発見された年である。
- ^ 1946年にリオデジャネイロで開かれた「汎アメリカらい会議」で、新薬プロミンの有効性が発表された。
- ^ 1894年に開所となった療養所である。1942年当時、アメリカ本土には2500人のハンセン病患者がいたが、そのうち療養所には1371名が入所していた。
- ^ 1942年にsulfanilamideの治験論文で20名中、有効6であったが、翌年の1943年のプロミンの成績は22例中15例有効であった。治療研究中、患者に対して説得することに苦労して、この研究の重要性のエッセイをThe Star に書いた。
- ^ Faget GH:Courage.(reprint) The Star, 42(July-Aug) 1-16,1983.
- ^ 菊池一郎「ハンセン病の治療に革命をもたらしたファジェット博士 皮膚科の臨床」49:1351-1353,2007.
- ^ アメリカのハンセン病 カーヴィル発 「もはや一人でない」 スタンレー スタイン 明石書店 2007
- ^ ベティマーティン カーヴィルの奇蹟、文藝春秋新社、1951
- ^ Sister Hilary Ross and Carville part 1, Cynthia M Gould, The Star, 50,5,1991
- ^ Sister Ross and Carville part 2, Cynthia M Gould, The Star, 50,6,1991
- ^ 光田反応はレプロミン反応とも呼ばれ、ハンセン病の複雑な病型を理解する上で重要な反応である。
- ^ 実際には、光田の愛弟子である林文雄が完成した。太田正雄は、この反応をバンコクの学会で知りこのような論文が埋もれているのは惜しいと、国際雑誌を立ち上げた際に林の文献をその1号に掲載した。
- ^ 光田健輔:らい結節乳剤をもってする皮膚反応の価値 日皮泌誌,19:697-708,1919.
- ^ Hayashi F:Mitsuda's skin reaction in leprosy.Intern J Lepr. 1:31-38,1933.
- ^ 回春病室 光田健輔 朝日新聞社 昭和25年
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- ^ Jopling WH:Recollections and Reflections. The Star 51,4,March/April, 1992.
- ^ Joon Lew (柳駿):A Korean model for the healing of leprosy. 1993.
- ^ 世界のハンセン病現代史 -私を閉じ込めないでー トニー グールド2009,明石書店
- ^ 業病とは前世の罪の報いとして発する病気という意味で、当時はそのような認識がされていた。
- ^ 菊池一郎:ナイセル王朝とアーニング博士.皮膚科の臨床,37:1549-1550,1995.
- ^ 日本における詳しい文献 :ダミアン イエスス・マリアの聖心会 ダミアン神父帰天百周年記念誌 平成元年:
- ^ 巻頭に「深海に生きる魚族のように、自ら燃えなければ何処にも光はない」という有名な言葉を残した。
- ^ 1954年には政府は隔離を止め、ハンセン病の新規患者はアテネで治療することになり、1957年にはJosepf Pavlakisら30名がアテネに帰還した。そのうち1986年現在、Joseph Pavlakisを含めて6名は生存している。Spinalonga-Paradise or Purgatory ? by Beryl Darby. The Star, 46,1,6-16,1986.
- ^ A4版で年6回発行している。医師、看護師、技術者からの投稿が多いのが特徴で、患者に役に立つ記事も多く掲載されている。その中には専門誌に掲載されるような高度なハンセン病の総説論文も含まれている。また、裏表紙にも専門家によるハンセン病の簡単な解説がある。「ハンセン病の歴史」「ハンセン病の疫学」「ダミアン神父」「中世のらい患者」「MDT」「ハンセン病と妊娠」「代理貨幣」「ジョップリング博士の自叙伝」「菊池恵楓園の紹介」「ソ連のイルクーツク癩療養所(日本人投稿)」「ハンセン病のリハビリテーションのやり方」「スピナロンガ島」「神経細胞内のライ菌の電子顕微鏡写真」「日本のらい予防法が廃止される」などが今までに掲載された。それ以外にも患者からの投稿もあり、興味ある記事も多く含まれている。なお、編集長の意向で悪い印象を強く想起させる「leprosy」という用語の使用は避けられたのも特徴である(ただし、投稿者の意向が強ければ使用も可能とした)。
- ^ 雑誌The Starは、ハンセン病資料館や長島愛生園の図書館に集められており閲覧することができる。;菊池一郎:ハンセン病啓発雑誌「スター」個人的に味わった魅力の数々.愛生 59,1,26-33,2005.
- ^ http://www.leprosy-review.org.uk/
- ^ 1966年に創立されたが当初はヨーロッパ救らい団体連合(ELEP)として設立し1975年に世界救らい団体連合(ILEP)と名称を変更した。2007年3月現在、ILEPにはヨーロッパ、アメリカ、日本の14団体が加入している。ILEP加入団体の活動はハンセン病問題のあるほぼ全ての国で実施されている。ILEP団体の特徴は患者・回復者と直接接して活動する点であり、草の根レベルの活動を支えている。
- ^ 笹川記念保健協力財団(Sasakawa Memorial Health Foundation)は日本のILEP団体である。日本財団(財団法人日本船舶振興会)の創始者である笹川良一(1899-1995)を会長として1974年に創設された。事業としてはハンセン病制圧事業のみならずエイズ対策など活動は多岐にわたる。
- ^ 笹川良一は日本財団創設時より国内外のハンセン病問題に関心があり積極的に活動を行っていた。以前ハンセン病治療薬のプロミン合成に成功した石館守三が理事長であった。現在は、笹川良一の三男である笹川陽平がWHOハンセン病制圧特別大使を務め、ハンセン病の制圧、ハンセン病患者の人権問題に取組んでいる。特に2006年にはインドのハンセン病回復者とその家族が自立して暮らすための支援を行う「ササカワ・インド・ハンセン病財団」を設立するなど積極的な活動を行っている。
- ^ 1897年、国際らい会議がベルリンで開催され、これが後に第1回国際ハンセン病学会となった。当時は根本的な治療法が確立されていないため、隔離以外に対策のない疾患であると結論づけている。日本から土肥慶三(皮膚科医)と北里柴三郎(細菌学)が出席した。化学療法の進歩に伴って、次々と重要な決定がこの学会を通じて出された。
- ^ 第3回国際らい学会概況 佐藤秀三 光田健輔 らいに関する論文 第2編 131ページ 1950 光田健輔が出席し司会を行った。
- ^ 1927年に「日本癩(らい)学会」として設立された。その後、「日本らい学会」を経て、「日本ハンセン病学会」の名称になった。日本ハンセン病学会は、ハンセン病医学の発展、すなわち病因の解明、診断、治療に貢献するのみならず、ハンセン病医療を向上させ、その成果を臨床や社会へ反映させ、さらに患者の福祉の向上や人権を尊重した医療の確立に向け活動を行っている。年1回の総会を行うとともに、日本ハンセン病学会雑誌を年3回発行。雑誌はインターネットで公開されている。
- ^ 募金の目標を8億円として1993年6月25日に開館式を行った。
- ^ 一般市民に対しても募金を募ったが、特に資料館と隣接する全生園の入園者の募金への熱意は凄かったという。
- ^ 当初はらい予防法の結果、国立らい研究所として発足した(1955年7月1日。)熊本分室もあったが1957年8月1日廃止された。1997年1月1日に国立衛生予防研究所の一部となり、4月1日より国立感染症研究所ハンセン病研究センターとなる。多くの基礎研究が行われ優れた結果を出した。安部正英は、非常に敏感なFTA-ABSを開発し、らい菌の感染について、多くの知見をもたらした。ハンセン病医学夏季大学(旧称らい夏季大学)を毎年一週間主宰し関心のある人々へ教育し、また外国の研究者への指導などに貢献した。;ハンセン病研究50年のあゆみ。2005年
- ^ 救らい事業に尽くした大正天皇の皇后である。
- ^ 有鄰 第430号 P4より参照[1]
- ^ 遺跡で発掘されたハンセン病疑い人骨からのらい菌DNAの証明(2010) 鈴木幸一、谷川和也、瀧川渉ら、日本ハンセン病学会誌79,2,138,
- ^ 乳幼時期感染と約30年の潜伏機関を証明しえたLL型ハンセン病チンパンジーの1例(2010) 鈴木幸一、鵜殿俊史、藤澤道子ら、日本ハンセン病学会誌、79,2,155
ハンセン病と同じ種類の言葉
ハンセン病に関係した商品



