有馬山丸 建造

有馬山丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/15 15:44 UTC 版)

建造

本船は、三井物産船舶部(後の三井船舶)が吾妻山丸級貨物船、阿蘇山丸級貨物船に次ぐ高速貨物船として計画した[2]。1936年(昭和11年)末に三井物産造船部(後の三井E&S)玉工場で起工された。建造費用は、スクラップアンドビルド方式の造船振興策である第三次船舶改善助成施設の対象船として政府の補助を受けている[2]。本船と引き換えに解体見合い船として指定された古船として、自社持ち船の中から以下の2隻を充当したが、国際情勢悪化により船腹不足が懸念されたため、解体期限延長の末いずれも戦没した[7]

解体見合い船名 船主 総トン 進水年 建造所 備考
金華山丸 三井物産船舶部 4,980トン 1911年 Sir Raylton Dixon & Co.(イギリス) [注 1]
高雄山丸 三井物産船舶部 2,076トン 1911年 J. Priestman & Co.(イギリス) [注 2]

本船は1937年(昭和12年)4月に進水して「有馬山丸」と命名、同年7月に竣工。船名の「有馬山丸」は三井物産所有船の「○○山丸」という命名慣例に則っており、頭文字がAである点は同社のニューヨーク・ライナー(後述)に共通する[10]

設計的にはパナマ運河経由のニューヨーク定期航路用の通称「ニューヨーク・ライナー」と呼ばれる高速大型貨物船群に属する。三井物産船舶部・三井船舶は4クラス計9隻のニューヨーク・ライナーを建造したが、本船はそのうちの第3グループ3隻の1番船にあたる。船体寸法は第2グループである阿蘇山丸級貨物船と同規模だが、主機関のディーゼルエンジンは出力を強化されている[11]。船首楼・船尾楼・船央楼を備えた三島型の船体デザインで起工されたが、途中で船首楼付き平甲板型に設計変更された[11]。また、392立方メートルの大容量冷蔵庫や豪華な旅客設備も本船の特徴である[11]

竣工時には、最上部の甲板に甲板下の空間を総トン数(船内容積)から除外するための非水密ハッチ(減トン開口)を設けてあり、最上部の甲板が完全な水密構造ではない遮浪甲板型だった[12]。これはパナマ運河の通航料算定基礎である総トン数を抑えることにより通航料を節減する設計上の工夫で、竣工時の総トン数は本来より2,000トン以上少ない6,552トンと称していた。後に遮浪甲板下の空間も通航料算定基礎に加えるよう基準が改定されたため、減トン開口部を閉鎖して通常の平甲板型に変わっている[13]


注釈

  1. ^ 1943年(昭和18年)10月1日、米潜ピートの雷撃により被雷沈没[8]
  2. ^ 1943年(昭和18年)3月24日、米潜ワフーの雷撃により被雷沈没。[9]
  3. ^ ヒ65船団加入時の乗船部隊は以下の4684人[21]。独立歩兵第261大隊930人、近衛歩兵第5連隊迫撃砲第1中隊154人および戦車中隊30人、独立船舶工兵第2中隊333人および同第3中隊332人、鉄道第7連隊80人および同第8連隊122人、第18師団補充要員461人、第7方面軍補充要員1,038人、第7航空情報連隊561人、第9飛行師団110人、第3航空軍要員、日本軍憲兵教習隊17人、移動製材班220人、便乗者155人。
  4. ^ ただし、魚雷が命中したとする資料もある[11]
  5. ^ マニラ・ミリ間の行程に関し、ミ船団の一つのミ05船団が同じく6月18日にマニラを出てミリへ向かっているが、駒宮(1987年)では同船団加入船に本船を挙げていない[25]
  6. ^ 野間(2002年)では6月12日からシンガポールで応急修理を受けたとしているが[11]、6月12日は本船が除かれた後のヒ65船団本隊のシンガポール到着日時である[22]
  7. ^ 野間(2002年)ではこの時の加入船団をヒ80船団としているが[11]、ヒ80船団は本文で後述のように同年11月に運航された別の船団である[28]
  8. ^ 門司から釜山へ人員5,538人・大発動艇16隻・軍需物資等を輸送。釜山から門司へ人員1,198人・軍需物資等を輸送。門司から大阪へ生ゴム・雑貨・ボーキサイトを輸送[30]
  9. ^ ほか行動不能状態の「聖川丸」(川崎汽船:6,862総トン)と「北海丸」(大阪商船:5,114総トン)があった。「聖川丸」は一度沈没した後に復旧されたが、「北海丸」はインドネシア独立戦争に巻き込まれて完全喪失となった。
  10. ^ 三井船舶の終戦時の保有船は17隻で、うち2隻は大破状態。本船のほかは中型の「空知丸」と「大江山丸」(戦時標準船)、その余は小型船。なお、海運総局の資料で残存船19隻となっているのは、戦没後の記録抹消未了だった2隻が誤認されている[34]
  11. ^ ただし、野間(2002年)によると本船による戦後日本初のニューヨーク入港は1951年2月7日である[11]

出典

  1. ^ a b c d 岩重(2011年)、111頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 「写真シリーズ 思い出の日本貨物船 その23」 『世界の艦船』第540集(1998年7月号) 海人社 P.139
  3. ^ a b c d 三井造船株式会社 『三十五年史』 三井造船、1953年、59頁。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 運輸通信省海運総局(編) 『昭和十四年版 日本汽船名簿(内地・朝鮮・台湾・関東州)』 運輸通信省海運総局、1939年、内地在籍船の部64頁、アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C08050073100、画像29枚目。
  5. ^ a b c d 田山経二郎 「船用大形2サイクル低速ディーゼル機関の技術系統化調査」『国立科学博物館 技術の系統化調査報告』第8集、国立科学博物館、2007年3月30日、193頁。
  6. ^ Arimasan_Maru_class
  7. ^ 大阪商船三井船舶株式会社 『創業百年史』 大阪商船三井船舶、1985年、332頁。
  8. ^ 金華山丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2020年3月25日閲覧。
  9. ^ 高雄山丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2020年3月25日閲覧。
  10. ^ 岩重(2011年)、23頁。
  11. ^ a b c d e f g h i j k 野間(2002年)、592-593頁。
  12. ^ 岩重多四郎 「1/700戦時輸送船模型集:有馬山丸」『Rosebury Yard』(2012年8月30日閲覧)
  13. ^ 岩重(2011年)、26頁。
  14. ^ 三井船舶(1958年)、438頁。
  15. ^ 三井船舶(1958年)、432、442頁。
  16. ^ a b c d e 三井船舶(1958年)、547-548頁。
  17. ^ 『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料』、JACAR Ref.C08050112700、画像43、46枚目。
  18. ^ 第二復員局残務処理部 『海軍指定船名簿』 JACAR Ref.C08050091700、画像2枚目。
  19. ^ 駒宮(1987年)、141頁。
  20. ^ 駒宮(1987年)、155頁。
  21. ^ 『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料』、JACAR Ref.C08050112700、画像11枚目。
  22. ^ a b 駒宮(1987年)、182-184頁。
  23. ^ a b c 『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料』、JACAR Ref.C08050112600、画像14枚目。
  24. ^ Cressman, Robert J. The Official Chronology of the US Navy in World War II, Annapolis: MD, Naval Institute Press, 1999, p. 490.
  25. ^ 駒宮(1987年)、189-190頁。
  26. ^ 駒宮(1987年)、199-200頁。
  27. ^ 駒宮(1987年)、220頁。
  28. ^ a b 駒宮(1987年)、294-295頁。
  29. ^ 駒宮(1987年)、283頁。
  30. ^ a b c d 汽船有馬山丸船長 倉橋利貞「大東亜戦争中指定船行動表 自昭和十九年十二月一日 至昭和二十年二月二八日」『大東亜戦争昭和十八年指定船行動表』 JACAR Ref.C08050057800、画像7-10枚目。
  31. ^ 駒宮(1987年)、304-305頁。
  32. ^ 「12.第九次帝国軍用病院船名通告ノ件(和浦丸、有馬山丸)」『大東亜戦争関係一件/病院船関係』第2巻 JACAR Ref.B02032924100
  33. ^ 岩重(2011年)、63頁。
  34. ^ 三井船舶(1958年)、515頁。
  35. ^ 病院船 有馬山丸船長 『行動証明書』 1946年10月14日。
  36. ^ 東城丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2020年3月25日閲覧。
  37. ^ 三井船舶(1958年)、464頁。
  38. ^ 三井船舶(1958年)、501頁。






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