ゴジラ (1954年の映画) ゴジラ (1954年の映画)の概要

ゴジラ (1954年の映画)

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ゴジラシリーズ > ゴジラ (1954年の映画)
ゴジラ
ポスター
監督 本多猪四郎
脚本
原作 香山滋
製作 田中友幸
製作総指揮 森岩雄[注釈 1]
出演者
音楽 伊福部昭
撮影 玉井正夫
編集 平泰陳
製作会社 東宝[出典 3]
配給 東宝[7]
公開 1954年11月3日[出典 4][注釈 2]
上映時間 97分[出典 5][注釈 3]
製作国 日本
言語 日本語
製作費
配給収入 1億5,214万円[28]
次作 ゴジラの逆襲
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映画の一場面

キャッチコピーは「ゴジラか科学兵器か驚異と戦慄の一大攻防戦!」「放射能を吐く大怪獣の暴威は日本全土を恐怖のドン底に叩き込んだ!」。

概要

巨大怪獣ゴジラが登場するゴジラシリーズ第1作で、日本怪獣映画の元祖[出典 8]。海底の洞窟に潜んでいた侏羅紀(ジュラ紀[注釈 5]の怪獣「ゴジラ」がたび重なる水爆実験で安住の地を追われ、東京に上陸して破壊の限りを尽くす[19]。監督は本多猪四郎、原作は香山滋、脚本は村田武雄と本多猪四郎、特殊技術は円谷英二[2]、音楽は伊福部昭。出演者は宝田明河内桃子平田昭彦ら。

同年に発生した第五福竜丸事件を背景に、反核や文明批判をテーマとした濃密な人間ドラマは単なる娯楽映画の粋を超えていると高く評価され、その後の日本映画界に大きな影響を与えている[30]

あらすじ

1954年8月13日19時5分に小笠原諸島近海の北緯24度東経141度2分[注釈 6]付近において南海汽船所属の貨物船「栄光丸」が突然SOSを発信して沈没し、それを受けて現場に急行した同社所属の貨物船「備後丸」も同じ地点で消息不明になる。その後、大戸島の漁船が貨物船の乗組員の中の生存者3名を救助したとの知らせが入るが、その漁船もまた消息を絶つ。やがて漁師の山田政治まさじが大戸島の砂浜に漂着し、「やられただ……船ぐるみ」と言い残して意識を失う。島へ取材に来た毎朝新聞記者の萩原からインタビューを受けた政治は「確かに大きな生き物だった。不漁なのもその生き物が海の中で暴れているせいだ」と語り、島の老漁師は、一連の事態は大戸島に古くから伝わる海の怪物「ゴジラ[注釈 7]」の仕業であり、ゴジラは海のものを食い尽くすと陸に上がってきて人間さえも食らうため、昔は若い娘を生贄にして遠い沖へ流すことでゴジラを鎮めていたという。その夜、暴風雨の中を何かが重い足音を響かせて島に上陸し、家屋を次々と破壊して住民や家畜を殺戮する。このとき政治と母のくにも押し潰された自宅家屋の下敷きとなってともに命を落とし、政治の弟の新吉だけが助かる。

大戸島での大被害を受けて、古生物学者の山根恭平博士は至急、調査団を編成して調査する必要があるとの見解を国会で発表し、大戸島への調査団の派遣が決まった。調査団には山根と娘の恵美子、恵美子の恋人で南海サルベージ[注釈 8]所長の尾形秀人、物理学者の田辺博士らも参加することになったが、出発の日、大戸島へ向かう海上保安庁巡視船しきね[注釈 9]に乗船した恵美子は、見送りの人々の中に元婚約者の芹沢大助博士の姿を認める。現地に到着した調査団は破壊された集落の調査を開始し、田辺はガイガーカウンターを操作し一部の井戸だけが放射能汚染されていることを確認する。山根は直径数メートルもある謎の巨大な足跡に絶滅したはずのトリロバイト(三葉虫)を発見して興奮するが、その直後に村の半鐘が鳴り、巨大な生物が八幡山の尾根の向こうで頭をもたげて咆哮するのを目撃する。

帰京した山根は、巨大生物を大戸島の伝承にもとづいてゴジラと仮称し、巨大な足跡と睨んだ地点から発見されたトリロバイトとその殻から見つかったビフロカタス層の岩砕に残留放射能ストロンチウム90が認められたことを根拠に、「海底の洞窟に潜んでいた200万年前の侏羅紀[注釈 10]に生き延びた巨大生物が、たび重なる水爆実験のために生活環境を奪われて現れたのではないか」とする見解を国会の専門委員会で発表する。その後もゴジラの仕業とみられる船舶の被害が相次いだため、ついに大戸島西方沖へフリゲート艦隊が派遣され、ゴジラへの爆雷攻撃が開始される[注釈 11]。その様子をテレビニュースで見て、物理衛生学の立場から貴重な研究資料であるゴジラを失いたくない山根は胸を痛める。

そんなある夜、東京湾を周遊中の納涼船「橘丸」の甲板でダンスに興じていた人々が目の前の海面に姿を現したゴジラを目撃し、パニックに陥る事態が発生する。ゴジラ問題を担当する特設災害対策本部は山根を招致してゴジラの生命を断つ方法を訊ねるが、山根は古生物学者の立場から水爆の洗礼を受けてなお生命を保つゴジラを抹殺することは不可能であり、むしろゴジラの生命力を研究することこそが必要であると力説する。一方、ゴジラ対策の取材の一環で、「芹沢博士がゴジラ対策につながるプランを完成させているかもしれない」とあるドイツ人が語ったとの情報を毎朝新聞のデスクから聞かされた萩原は恵美子を訪ね、芹沢との面談の仲介を依頼する。芹沢はかつて恵美子と婚約していたが、戦時中に右目を失い[注釈 12]、人間不信にも陥って恵美子を遠ざけるようになり、あたかも世捨て人のように自宅地下の実験室に籠る生活を送っていた[46][47]。恵美子とともに訪ねてきた萩原を芹沢は追い返し、恵美子に絶対に秘密と約束したうえで「ある恐るべき実験」を見せる。それを目にした恵美子は、恐怖のあまり悲鳴を上げる。

その夜、ゴジラが品川沖に現れ、重機関銃で迎撃する防衛隊をものともせずに品川埠頭から品川へ上陸する[48]。山根は警官に「ゴジラに光を当ててはいけない、怒らせるだけだ」と必死に伝えるが受け入れられず[注釈 13]、ゴジラは品川駅構内へ侵入。走行中の国鉄EF58形電気機関車客車を蹂躙し、品川運転所京急本線八ツ山橋跨線橋を破壊して東京湾に去っていく[48][49]。この結果、甚大な被害が出たことにより諸外国の調査団が相次いで来日する事態となった。

東京湾に潜むゴジラから東京を防衛するため、対策本部は東京湾の品川地区を中心に、高さ30メートルの鉄塔を海岸線一帯に建て、巨大な有刺鉄条網を幅50メートルごとに敷設して、変電所と連動して5万ボルトの強力な高圧電流を通じ、ゴジラを感電死させる作戦を実施する[出典 9]。鉄条網の工事が完成して間もなく、ゴジラが芝浦沖に出現。防衛隊は鉄条網の背後に榴弾砲重機関銃軽戦車を展開してゴジラを待ち受ける。やがてゴジラは芝浦海岸に上陸し5万ボルトの高圧電流電流が流れる鉄条網に接触するがびくともせず[49]、ゴジラが口から吐く放射能を帯びた白熱光で送電鉄塔はたちまち赤熱し水飴のように融け落ちる。防衛線を突破したゴジラは第一京浜国道を北上し札の辻で第49戦車隊を全滅させた後銀座へ侵入し[53]松坂屋和光ビル[注釈 14]日本劇場国会議事堂を次々と破壊するとともに大火災を発生させる[54][49]。さらに実況放送中の報道陣もろとも平河町テレビ塔をなぎ倒すと、勝鬨橋を横転させ破壊して東京湾に向かう[54][49]。そこへ到着した防衛隊のF-86F戦闘機隊が追撃を試みるが、ゴジラはそれを振り切って海中へ姿を消す。

東京は焦土の廃墟と化し、ゴジラによる放射能汚染は幼い子供たちにも及ぶ。恵美子は臨時救護所[注釈 15]で被災者たちの救護に当たるが、眼前に展開するあまりにも凄惨な光景に耐え切れなくなり芹沢との約束を破ってあの日に見せられた実験の秘密を尾形に明かすことを決意する。それは水中の酸素を一瞬のうちに破壊し尽くしあらゆる生物を窒息死させ、さらに溶解する液体中の酸素破壊剤「オキシジェン・デストロイヤー」の実験だった。芹沢は酸素の研究をしていた際、偶然にそれを発見したといい、平和利用できるまで公表しないつもりでいたという。尾形と恵美子は芹沢のもとへと向かい、ゴジラを倒すためにそれを使わせてほしいと必死に懇願するが、芹沢は「オキシジェン・デストロイヤーは原水爆に匹敵する恐るべき破壊兵器になり得るものであり、いったんこれを使ったならば世界の為政者たちが看過しているはずはない。彼らは必ず武器として使用するに決まっている」と言い、使用を断固として拒絶する。しかし、テレビに映し出された変わり果てた東京の光景・苦悶する被災者たちの姿・女子学生らによる真摯な「平和への祈り」の斉唱を目の当たりにして心動かされた芹沢は、「今回一回限り」の条件でオキシジェン・デストロイヤーの使用を承諾し、それに関するすべての資料を焼却する。

海上保安庁の巡視船「しきね」の甲板で、田辺はガイガーカウンターで東京湾に潜むゴジラの所在をつきとめる。芹沢は「完全な状態で作動するには水中操作以外にない」と潜水服を着てオキシジェン・デストロイヤーのカプセルを受け取ると尾形のサポートを受けて海底に潜り、ゴジラの側まで到達したところで隙を見て尾形だけを海面へ浮上させゴジラの足元でカプセルの安全弁を抜いてオキシジェン・デストロイヤーを一人で起動する。一瞬のうちに海水が激しく泡立ち、もがき苦しんだゴジラは海上で断末魔を残すと力尽きて海底へ沈み、死骸は溶解して骨となり海の泡と化して消えた。だが、人間不信の芹沢もオキシジェン・デストロイヤーの悪用を恐れ、ゴジラ絶命の成功を見届けると尾形に「幸福に暮らせ」と別れを告げると、ジャックナイフで潜水服の命綱とエアパイプを切断して海中で自決しオキシジェン・デストロイヤーの秘密を誰にも知られないよう永遠に封印してしまった。

船上で事態の推移を見守っていた人々がゴジラを倒した歓喜に湧くが、尾形らは芹沢の死の悲哀に満ち、山根は沈痛な表情で「あのゴジラが最後の一匹とは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない[注釈 16]」と呟く。人々は静けさを取り戻した海原に敬虔な黙祷を捧げるのだった。


注釈

  1. ^ ノンクレジット。
  2. ^ a b 東宝の公式ウェブサイトでは本作品の公開年月日を「1954年11月3日」としている[12]が、実際にはこの日に日本全国で本作品が一斉に公開されたというわけではない。たとえば、名古屋岐阜では10月27日(書籍によっては、同日は特別試写会が行われた日と記述している[23]。)、宇都宮では11月1日、佐世保鹿児島では11月2日、東京大阪京都福岡札幌長崎室蘭では11月3日、奈良宮崎大牟田では11月10日、徳島では11月17日、函館富山では11月18日、大分では11月23日にそれぞれ公開されている[24]
  3. ^ 資料によっては、「100分」と記述している[17]
  4. ^ a b 書籍『ゴジラ大全集』では、観客動員数を843万人と記述している[34]
  5. ^ 撮影台本決定稿(以下、「脚本」と表記)およびプレスシートでは「侏羅紀」と表記されているため、本項目ではそれに従う[37]
  6. ^ 劇中では房総半島の沖だが、実際には小笠原諸島を構成する南硫黄島西南西約49.5キロメートルの地点に当たる[38][39]
  7. ^ 検討用台本では、「呉爾羅」と表記されていたが、準備稿以降では「ゴジラ」と統一されている[40]
  8. ^ 脚本では「東京湾水難救済会サルベージ」とされているが[41]、作品中では所長室のドアに「南海サルベージKK」と記されている。
  9. ^ 脚本では、尾形秀人はサルベージ(海難救助船)「かもめ丸」の船長兼所長であり、調査団は尾形が船長を務める「かもめ丸」で大戸島へ向かうこととされていた[42]。しかし、撮影にあたり、調査団は海上保安庁の巡視船「しきね」で大戸島へ向かうとのストーリーに急遽変更された。なお、1954年3月1日ビキニ環礁にてアメリカ軍が実施した水素爆弾実験「ブラボー実験」に遭遇し、死の灰を浴びた第五福竜丸東京に曳航したのも、海上保安庁巡視船しきね」である[43]
  10. ^ 実際のジュラ紀の年代とは異なる。これについての解釈・考察は#エピソードを参照。
  11. ^ このシーンのうち、艦上での隊員たちの様子と爆雷の爆発シーンには1944年8月10日に公開された「日本ニュース 第219号」から「駆潜訓練」のシーンの映像が流用されている[44]
  12. ^ スナップ写真・スチルでは芹沢の右頬にある大きな傷がはっきりと映っているが、本作品ではあまり目立たなくなっている[45]
  13. ^ 品川で撮影された。避難シーンの鉄橋は東海道線の「八ツ山橋」。
  14. ^ 同施設では、1954年6月10日(時の記念日)からウエストミンスターの鐘を鳴らしていた[49]
  15. ^ 外観は目黒の「伝染病研究所」で撮影された。
  16. ^ この一連の山根の警句は村田武雄の筆による[55]
  17. ^ 資料によっては、物理学者と記述している[68]
  18. ^ 劇中の看板では「芹澤科學研究所」[40]
  19. ^ 日常的に黒マントを着用し、ゴジラ対策の高圧線管理員を鉄棒で殴るなどの描写が存在した[76][77]
  20. ^ 劇中では「おおとじま」「おおどしま」の2つの呼称が用いられている[39]。また、香山滋による検討用台本では「おおどじま」と読み仮名が付けられている[107]
  21. ^ 資料によっては、呉爾羅の伝説を語っていた古老がゴジラ上陸後に登場していないことから、この時に死亡したものと推測している[108][106]
  22. ^ 準備稿では田畑博士であったが[62][58]、決定稿で田辺博士に改められた[112]。資料によってはこちらで記述している[15]
  23. ^ 資料によっては、船舶会社社長と記述している[15]
  24. ^ 資料によっては、政次[113]山田政治[58]と表記している。
  25. ^ 書籍によっては、国会委員長[58]と記述している。
  26. ^ 資料によっては、大沢と記述している[出典 32]
  27. ^ 資料によっては、船舶会社無電課長と記述している[出典 34]
  28. ^ 遊覧船での出演については、DVDなどのオーディオコメンタリーにおいて当該シーンで宝田明が言及している[128]
  29. ^ 書籍によっては、対策本部伊藤次官[131]対策本部次官[58]と記述している。
  30. ^ 海外版が日本で公開された当時のポスターでは、「特技監督 円谷英二」としてクレジットされている[137]
  31. ^ 書籍『ゴジラ大百科』では、役職を撮影助手と記述している[9]
  32. ^ 書籍によっては、4月初めと記述している[23]
  33. ^ この発想の原点には、前年に公開されたハリウッド映画『原子怪獣現わる』の影響があったとされる[出典 53]。また、前年には映画『キング・コング』(1933年)もリバイバル上映され、注目を集めていた[149]
  34. ^ 資料によっては、『海底2万海里の大怪獣[156]』『海底2万の大怪獣[154]』と記述している。
  35. ^ 資料によっては、田中が森に口頭で企画内容を伝えたと記述している[144][145]
  36. ^ Gはジャイアントのイニシャルから[出典 56]
  37. ^ 特殊技術撮影の有川貞昌は、張り切っていた円谷にどのような企画か訪ねても教えてもらえなかったと証言している[158]
  38. ^ 原作者の候補には、後に『空の大怪獣 ラドン』や『大怪獣バラン』を手掛ける黒沼健も挙がっていた[146]
  39. ^ 書籍によっては、5月12日と記述している[23]
  40. ^ 田中は、企画の段階から円谷に相談していたと述べている[154]。書籍『ゴジラ・デイズ』では、田中が香山に原作を依頼したのと並行して円谷にも相談を持ちかけていたと記述している[159]
  41. ^ この企画は斉藤忠夫(当時製作宣伝係長)が企画書にして提出している[160]
  42. ^ 村田は、円谷がこの原稿を持っていたことを証言しているが、その後の所在は明らかになっていない[76]
  43. ^ 円谷は、タコを題材とした特撮にこだわりがあったといい、後年『キングコング対ゴジラ』(1962年)などで実現させている[154]大ダコ (東宝特撮作品)も参照。
  44. ^ 本多は、当時準備を進めていた映画『牧三四郎』が制作中止となり、スケジュールに空きができていた[146]。『栄光のかげに』で予定されていた谷口は、「人間ものでないものは撮れない[159]」「そんな映画撮りたくない[162]」と断ったという[出典 63]
  45. ^ 執筆作業は、村田が原作をもとに書いたプロットをたたき台にスタッフから出た意見をまとめて脚本として仕上げ、本多と村田が交互に修正をしあうというかたちで行われた[76]
  46. ^ 書籍『講談社ヒットブックス ゴジラvsモスラ』のインタビューでは、スタッフから『G作品』の「G」とは何かという疑問が挙がっていたと述べている[157]
  47. ^ 田中は、あだ名が「ゴジラ」だったとも述べている[156]。合成技師の向山宏は、「ゴジラー」と長音をつける案もあったと証言している[164]
  48. ^ 有川によれば、円谷は副案としてマリオネットによる撮影も検討していたという[158]
  49. ^ 当時本多とは家が隣同士で、家族ぐるみの付き合いだったという。
  50. ^ 書籍によっては、8月6日か7日のどちらかに開始されたものの両説を記述している[23]
  51. ^ 書籍によっては、作業日数からの逆算で8月15日ごろと推測している[23]
  52. ^ 鳥羽町加茂村長岡村鏡浦村桃取村答志村菅島村神島村が合併して鳥羽市が発足するのは1954年11月1日のことである。
  53. ^ 1954年8月の『ゴジラ』のロケにエキストラとして参加した石鏡町の古老も、「当時は石鏡町に通じる道路がなく、この辺りは鳥羽港から船で1時間くらいかかる『陸の孤島』だった。『ゴジラ』のロケ隊約60人も船で石鏡町にやって来た」と語っている[175]
  54. ^ 当時、日当600円という出演料は非常に魅力的だったため、エキストラの出演希望者が殺到する事態となった[170][175]。そこで、石鏡町の古老たちが集まって相談し、世帯ごとにそれぞれ1人までと制限したうえで出演者が決められた[175]
  55. ^ 書籍『円谷英二特撮世界』のインタビューでは、「記者発表の後」と証言している[182]
  56. ^ のちに「東宝美術センター」が建てられた場所である[73][23]
  57. ^ 本作品公開当日には、営業中であることを強調する新聞広告を出していた[189]。なお、『キングコング対ゴジラ』のオーディオ・コメンタリーによれば、東宝はこの件でしばらく銀座出入り禁止になったという。
  58. ^ 後年、東宝の特技監督を務めた中野昭慶は、このシーンが怪獣映画の照れを捨てて真面目な姿勢で取り組んでいた本多演出の真骨頂であると評している[194]
  59. ^ 美術助手の入江義夫は、ミニチュア設計のため助っ人で入ってもらったと証言している[140]
  60. ^ 設計図が入手できたのは日本劇場勝鬨橋だけであった[出典 72]
  61. ^ この紅白の棒による測量はその後の作品でも行われており、『モスラ』でもこれを用いたロケハン写真が発見されている[203]
  62. ^ 井上によれば、早稲田大学建築学科の学生も推薦状を持参して参加していた[196][199]
  63. ^ 渡辺は、電柱の大きさとの対比で電線は細くて見えないと判断し、当初のセットでは電線を張っていなかった[200]
  64. ^ 入江は、予算の上限はあったが、おおらかな時代であったため2回、3回とやり直せたと証言している[203]
  65. ^ 井上は、戸井田製作所で作ったと証言していた[196]
  66. ^ 本来は人間側のテーマ曲である[219]。「ドシラ、ドシラ…」で始まるこのモチーフは『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲第一楽章 ラプソディー・コンチェルタンテ』[218]、さらに遡ると『音詩「寒帯林」第三楽章 神酒祭樂 』に原典が見られる他、1948年松竹で公開された『社長と女社員』(監督:大庭秀雄、主演:柳家金語楼)でも流用されている。
  67. ^ 伊福部は1983年(昭和58年)に、この『ゴジラ』のメインテーマを織り込んだ管弦楽曲SF交響ファンタジー」を作曲している。
  68. ^ NHK交響楽団にもあったが貸し出し不可だったという[218]
  69. ^ 書籍によっては、戦時中の映画で使用された兵器の爆発音の頭に、エコーを足したものと記述している[23]
  70. ^ 本多は戦時中には中国戦線で陸軍曹長だった。
  71. ^ 本多によると「女性のほうが真正面から問題に向かっていくものだ」という思いがあったという。また、国会での「バカモノ」という発言は、前年のバカヤロー解散をパロディしたものである[57][35]
  72. ^ 本多は「当時、ああいう(作品中、逃げ場を失い死を覚悟して『もうすぐ、〈戦争で死んだ〉お父ちゃまのところへ行くのよ』と子供に語りかけている戦争未亡人のような)母と子はほんとうにいた。時代の代表である」と述べている[73]
  73. ^ この年、第5次吉田内閣は退陣する。
  74. ^ 田中は、入り切らない観客が忠犬ハチ公像のところまで来ていたと証言している[156]
  75. ^ 後年のインタビューで平田は、怪獣映画が軽く見られ、批評家から内容を理解してもらえなかったことが不満であったと語っている[72]
  76. ^ この進行ルートを昭和20年3月の「東京大空襲」のB-29米軍機の爆撃ルートとする解釈を、ミステリー・特撮研究家の野村宏平は自著『ゴジラと東京』において、映像と公開当時の地図から考察したうえで否定している[237]
  77. ^ ただし、上野から浅草を経て隅田川まで達する場面は劇中にはなく、テレビの実況アナウンサーの台詞で処理されている。
  78. ^ 現在でこそ日本の外貨準備高は世界有数であるが、輸入超過に悩んだ当時は、多額の外貨を稼いだことは特筆事項であった。
  79. ^ かつて兵庫県伊丹市中央に存在しており、「1980年代の関西における“特撮のメッカ”」と評されていた[259]

出典

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