農業高等学校
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農業高等学校(のうぎょうこうとうがっこう)とは、主に農業についての専門技術や知識を習得する為の高等学校であり、ISCED(国際標準教育分類)では「レベル3C」に位置づけられる[1]。
狭義には「農業に関する学科」(農業科)を中心に学科が構成されている職業高等学校を指し、広義には「農業に関する学科」や「農業の課程」が設置されている高等学校全般を指す。狭義の場合には、学校の名称に「農業」の語が含まれていることが多い。
本項では特筆のない限り、日本における農業高等学校について記述する。
概要
農業高校および農業科を有する高等学校は、第二次世界大戦以前・学制改革前の旧制の実業学校から受け継がれた高校が大半である。そのほか養蚕関係の学校が転換された例がある。昭和40年代前半(1965~1969年頃)までは、青年学校教育を継承した農閑期に授業を行う昼間定時制の学科もあったが、現在はほとんど全日制高校に集約されている。
農業高校に設置される「農業に関する学科」は、農業科に限られず、農業経営の多様化に合わせて、従来の農業科自体も多岐に分かれるようになり、地域性に合わせて、生産技術科、食品ビジネス科(農業経営科)、園芸科、農業土木科、酪農科などの学科が設けられるようになっている。
全国農業高等学校長協会の加盟校は、1959年度(昭和34年度)に541校で最多となったが、2018年度(平成30年度)には367校にまで減少した[2](ピーク比:32.2%減)。また、かつて加盟校の生徒数は全国で20万人以上いたが、2018年度(平成30年度)は88,650人とピーク比で約6割減少した[2]。すなわち、加盟校数より生徒数の減少速度の方が大きい状況にある。この間、高度経済成長期に高校進学率の上昇(普通科進学者の増加)と農業従事者の減少(機械化や大規模化)が並行し、さらに大学進学率も上昇していった。
卒業生の進路先は、農家や酪農家の後継者となるだけでなく、農協や農水省出先機関への就職(農業経済科の卒業者が多数)や食品メーカー、化学メーカー、鉄道会社(主に各地域のJR)、造園業などへの就職者も多数を占める。かつては専売公社(現・JT)などの特殊会社に技能・技術職として就職する卒業生も多数存在した。また、1990年代から大学等への進学率も高まっており、2002年3月卒業生において初めて大学等への進学率が4割を超えた。
工業高校などと同様に資格の取得に力を入れている高校も多く、特に危険物取扱者(乙種第四類、丙種)、測量士補、毒物劇物取扱責任者、ボイラー技士、土木施工管理技士、造園技能士、家畜人工授精師、日本農業技術検定などが人気である。また、農業経営科など一部の学科では商業高校と同様に日商簿記検定や農業簿記検定などの受験を奨励している学校もある。
おもな設置学科
多数の農業高等学校で設置されている学科には、次のようなものがある。なお、「農業に関する学科」の詳細については「農業 (教科)#農業に関する学科」を参照。現在は廃止されたが、新潟県立吉川高校には醸造科があり、将来の杜氏を目指して、授業で清酒の製造を行っていた。また、農業高校には家庭科が併設されることが多い。さらに、生活科・生活科学科などの学科もあり、専門教科の家庭を主として履修するものの、これも「農業に関する学科」である。
進路
農業高校生の進路をみると、年々大学等への進学者が増加しており、2002年3月卒業生において初めて進学率が4割を超えた(41.6%)[3]。農業科卒業生について見ると、大学・短大(農業大学や大学農学部など)への進学率は、1993年3月卒業生が6.2%であったのに対して、2017年3月卒業生は14.6%に達しており、専門学校等(農業大学校を含む)への進学率は、1993年3月卒業生が13.5%であったのに対して、2017年3月卒業生は25.3%に達している[4]。就農する意思のある農家子弟でも、高校卒業後すぐに就農する者は少なく、大学等に進学する者が多くなっている[5]。
廃校
- 山梨県立峡北農業高等学校(統廃合により山梨県立北杜高等学校となる)
- 福岡県立築上農業高等学校(統廃合により福岡県立青豊高等学校となる)
- 鹿児島県立阿久根農業高等学校(統廃合により鹿児島県立鶴翔高等学校となる)
- 鹿児島県立宮之城農業高等学校(統廃合により鹿児島県立薩摩中央高等学校となる)
脚注
- ^ UNESCO (2008年). “Japan ISCED mapping”. 2015年10月31日閲覧。
- ^ a b <金足農準V>東北の農高生「いつかは自分たちも」挑戦する姿に憧れ(河北新報 2018年8月22日)
- ^ 小暮通夫(2004)「農業高校生の進路をめぐる問題」『じっきょう アグリフォーラム農業教育資料』53号、7-8。
- ^ 各年の学校基本調査による。
- ^ 上野忠義(2014)「日本における農業者教育」『農林金融』2014年4月号。
関連項目
- 職業教育
- 全国農業高等学校長協会
- 全国学校農場協会
- 日本学校農業クラブ連盟(FFJ)
- 日本の農業に関する学科設置高等学校一覧
- 総合制高等学校(総合学科)
- 実業高等学校
- 農林高等学校
- 農工高等学校
- 林業高等学校
- 職業高等学校
- 農業 (教科)
- 専門教育を主とする学科
- 農業大学
- 農学部
外部リンク
農業高等学校
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「栃木県立宇都宮白楊高等学校」の記事における「農業高等学校」の解説
1948年(昭和23年)4月1日:新制高等学校実施により栃木県宇都宮農業高等学校と改称。修業年限3年。 5月10日 : 定時制課程を併設。 1949年(昭和24年)4月1日 : 校章改正。 4月20日 : 定時制課程の分校を設置。鶴峰分校:河内郡羽黒村公民館を校舎として開校。 富屋分校:河内郡富屋村公民館を校舎として開校。 城山分校:河内郡山村南小学校を校舎として開校。 1950年(昭和25年)4月8日 : 城山分校を城山中学校内に移転。 1951年(昭和26年)4月1日 : 栃木県立宇都宮農業高等学校と改称。 1953年(昭和28年)4月1日 : 畜産科を新設。 1955年(昭和30年)11月23日:校歌、校旗、校章を改正。 1957年(昭和32年)9月25日 : 鶴峰分校を上河内分校と改称。 9月30日 : 上河内分校を河内郡上河内村中里に移転。 1958年(昭和33年)4月1日 : 園芸科を新設。 1961年(昭和36年)3月31日 : 城山分校を廃止。 1962年(昭和37年)3月31日 : 富屋分校を廃止。 4月1日 : 全日制農村家庭科を新設。 1963年(昭和38年)4月1日 : 教育課程改訂に伴い農村家庭科を生活科と改称。 1964年(昭和39年)3月31日 : 定時制併置本校の廃止。 1968年(昭和43年)4月1日 : 生活科学級増定員100名。 1969年(昭和44年)4月1日 : 生活科定員80名。 1970年(昭和45年)4月1日 : 農業科定員80名、園芸科定員80名に改む。 4月14日 : 専攻科設置(農業経営科40名)。 1971年(昭和46年)4月1日上河内分校県移管。 上河内分校農業科を本年度第1学年より園芸科に転科(男・女)。 1972年(昭和47年)4月1日 : 農業科定員40名、農業土木科定員80名に改む。 1973年(昭和48年)4月1日 : 専攻科に園芸経営科新設(農業経営科、園芸経営科定員各30名)。 1976年(昭和51年)4月1日畜産科定員30名、農業科、畜産科、園芸科の一括募集開始。 上河内分校本年度第1学年より定時制園芸科を全日制園芸科に転換・定員20名。 1977年(昭和52年)4月1日 : 農・園・畜科と生活科に推薦入学制度導入。 1980年(昭和55年)4月1日 : 農園畜科、農業土木科男女募集となる。 1981年(昭和56年)4月1日 : 農業土木科に推薦入学制度導入。 1982年(昭和57年)4月1日 : 農業土木科定員40名となる。 1983年(昭和58年)4月1日 : 農業土木科定員80名、畜産科定員40名となる。 1986年(昭和61年)4月1日:園芸科定員40名に改む。専攻科、農業経営科、園芸経営科定員各20名に改む。 1988年(昭和63年)3月20日 : 生徒指導室(白楊寮)竣工。 1990年(平成2年)4月1日上河内分校生徒募集停止し、上河内分校を本校に統合。分校跡地は栃木県消防学校に転用。 農業経営科・園芸経営科を農業特別専攻科定員20名に改む。
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「農業高等学校」の例文・使い方・用例・文例
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