記紀
記紀
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記紀(きき)とは、『古事記』と『日本書紀』との総称である[1]。『古事記』の「記」と『日本書紀』の「紀」を併せて「記紀」という。
両書とも、奈良時代に編纂された日本神話や古代の歴史を伝えている歴史書である。序盤は神話そのものであり、執筆年代に近づくにつれ歴史書としての性格が強くなる。後半においてもなお疑義がもたれる記載もある一方[要説明]、近年の考古学的発見によって記紀の内容が裏付けられた例もある(法隆寺再建の記事や蘇我氏の甘樫丘など)。疑問点を含みつつも、同時代史料が極めて少ないことから、依然重要な位置を占める。
室町時代までは日本の神話や古代の歴史を伝えている重要な歴史書として『先代旧事本紀』を含めて「三部の本書」とされることが多かったが、江戸時代に入って「先代旧事本紀」が偽書であると考えられるようになり、以後この二書のみで記紀とされることが多くなった。
関連項目
- 古事記
- 日本書紀
- 記紀神話
- 記紀の道
- 記紀歌謡[2]
- 天地開闢 (日本神話)
- 天地開闢 (中国神話)
脚注
- ^ 三省堂、大辞林 第三版『記紀 キキ』コトバンク、2006年10月27日。ISBN 978-4385139050 。2017年4月1日閲覧。
- ^ 記紀歌謡の伝承に関する一考察
外部リンク
- 古事記と日本書紀のちがい|なら記紀・万葉 - 奈良県地域振興部文化資源活用課
記紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 18:37 UTC 版)
記紀のうち、『古事記』には、神器(神から受け伝える宝器)またはそれに類するものの伝承はあるものの、格別に天皇践祚に際してとなると目に付く記事は無い。しかし『日本書紀』には以下のように記載されている。 ※原文の表記について、文字は旧字体、約物は現代の補足。書き下し文の表記について、文字は新字体、振り仮名は歴史的仮名遣。卷第十三 允恭天皇元年十二月条 ── 《 原 文 》 爰大中姬命仰歡、則謂群卿曰「皇子將聽群臣之請、今當上天皇璽符。」於是、群臣大喜、卽日捧天皇之璽符、再拜上焉。 《書き下し文》 .mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}爰(ここ)に大中姫命(おほなかつひめのみこと) 仰(あふ)ぎ歓(よろこ)び、則(すなは)ち群卿(まちきむたち) に謂(い)ひて「皇子(みこ)、群臣(まへつきみたち) の請(ねがひ)を聴(ゆる)したまひて、今(いま)当(まさ)に天皇(すめらみこと)の璽符(みしるし)を上(たてまつ)るべし。」と曰(のたま)ふ。是(ここ)に、群臣(まへつきみたち) 大(おほい)に喜(よろこ)びて、即(そ)の日(ひ)、天皇(すめらみこと)の璽符(みしるし)を捧(ささ)げて、再拝(をが)みて上(たてまつ)る。 卷第十五 清寧天皇前記十月(雄略天皇廿三年十月)条 ── 《 原 文 》 (...略...)大伴室屋大連、率臣連等、奉璽於皇太子。 《書き下し文》 大伴室屋大連(おほとものむろやのおほむらじ)、臣(おみ)・連(むらじ)等(ら)を率(ゐ)て、璽(しるし)を皇太子(ひつぎのみこ) に奉(たてまつ)る。 卷第十五 顯宗天皇前記十一月(清寧天皇五年十一月)条 ── 《 原 文 》 (...略...)百官大會、皇太子億計、取天皇之璽、置之天皇之坐、(...略...)。 《書き下し文》 百官(もものつかさ)大(おほい)に会へり、皇太子(ひつぎのみこ)億計(おけ)、天皇(すめらみこと)の璽(みしるし)を取りて、天皇(すめらみこと)の坐(みまし) に置きたまふ、 卷第十七 繼體天皇元年二月条 ── 《 原 文 》 大伴金村大連、乃跪、上天子鏡劒璽符、再拜。(...略...)乃受璽符、是日、卽天皇位。 《書き下し文》 大伴金村大連(おおとものかなむらのおほむらじ)、乃(すなは)ち跪(ひざまづ)きて天子(みかど)の鏡(みかがみ)・剣(みはかし)の璽符(みしるし)を上(たてまつ)りて再拝(をが)みたてまつる。(...略...)乃(すなは)ち璽符(みしるし)を受(う)く。是(こ)の日に、即天皇位(あまつひつぎしろしめ)す。 卷第十八 宣化天皇前記十二月(安閑天皇二年十二月)条 ── 《 原 文 》 群臣奏上劒鏡於武小廣國押盾尊、使卽天皇之位焉。 《書き下し文》 群臣(まへつきみたち)、奏(そう)して、剣(みはかし)・鏡(みかがみ)を武小広国押盾尊(たけをひろくにおしたてのみこと)に上(たてまつ)りて、即天皇之位(あまつひつぎしろしめ)さしむ。 卷第廿二 推古天皇前記十一月条 ── 《 原 文 》 百寮上表勸進至于三、乃從之、因以奉天皇璽印。 《書き下し文》 百寮(もものつかさ)、表(まうしぶみ)を上(たてまつ)りて勧進(すすめまつ)る。三(みたび)に至(いた)りて、乃(すなは)ち従(したが)ひたまふ。因(よ)りて天皇(すめらみこと)の璽印(みしるし)を奉(たてまつ)る。 卷第廿三 舒明天皇元年正月条 ── 《 原 文 》 (...略...)大臣及群卿、共以天皇之璽印、獻於田村皇子。 《書き下し文》 大臣(おほおみ)及び群卿(まちきむたち)、共に天皇(すめらみこと)の璽印(みしるし)を以(もち)て、田村皇子(たむらのみこ)に献(たてまつ)る。 卷第廿五 孝德天皇前記六月条 ── 《 原 文 》 天豐財重日足姬天皇、授璽綬禪位。 《書き下し文》 天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)、璽綬(みしるし)を授(さづ)けたまひて位(みくらゐ)を禅(ゆづ)りたまふ。 【参考:卷第廿七 天智天皇七年是歳条 ── 新羅の僧による草薙剣盗難事件が起こる。】 卷第卅 持統天皇四年正月条 ── 《 原 文 》 (...略...)物部麻呂朝臣、樹大盾。神祗伯中臣大嶋朝臣、讀天神壽詞。畢、忌部宿禰色夫知、奉上神璽劒鏡於皇后。皇后、卽天皇位。 《書き下し文》 物部麻呂朝臣(もののべのまろのあそみ)、大盾(おほたて)を樹(た)て、神祇伯(かむづかさのかみ)の中臣大嶋朝臣(なかとみのおほしまのあそみ)、天神寿詞(あまつかみのよごと) を読み、畢(をわ)りて忌部宿禰色夫知(いみべのすくねしこぶち)、神璽(かみのしるし)の剣(みはかし)・鏡(みかがみ)(※異説では、神璽(かみのしるし)・剣(みはかし)・鏡(みかがみ))を皇后(きさき)に奉上(たてまつ)り、皇后(きさき)、天皇(すめらみこと)の位(みくらゐ)に即(つ)く。
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