記章・制服など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/14 03:02 UTC 版)
「ドイツ海軍小型戦闘部隊」の記事における「記章・制服など」の解説
当時、既に戦況が悪化していたこともあり、新しい制服類は定められなかった。また、K戦隊の将兵は兵科章や階級章をほとんどの場合において着用しなかった。これはハイエが隊員各自に秘密部隊の兵士である自覚を求めるべく講じた措置である。また、K戦隊には様々な階級の将兵が所属していたため、彼らの間から階級による隔たりを取り除く目的もあったという:19。 選抜されたヒトラーユーゲント団員によって構成された第611K艇団(K-Flottille 611)または第1Sボート艇団(1. Sturmboot-Flottille)として知られる部隊では、「Hitlerjugend」の袖章を着用することが青年全国指導者アルトゥール・アクスマンおよび海軍総司令デーニッツにより認められていた。袖章のデザインは布地が海軍式の紺色である以外は第12SS装甲師団のものと同様であった。ただし、戦闘中は「保安上の理由」、すなわち連合国軍による逮捕後の報復などを避けるために着用されなかった:62。 勲章等は他の部隊と異なる基準をもって授与された。通常、商船ないし駆逐艦の撃沈に成功した場合はドイツ十字章金章が授与された。巡洋艦の撃沈に成功した場合は攻撃当事者への騎士鉄十字章授与が期待できた。一級および二級の鉄十字章は、最初の出撃後に同時または個別に授与された。この授与には作戦自体の成否は関係しない:175/176。連合国軍によるノルマンディー侵攻の過程で6人のK戦隊将兵が騎士鉄十字章のうち比較的低級なものを授与されているが、それ以降の受章者はいない。一方でドイツ十字章金章は敗戦までに数十人ほどの受章者が出ており、ノルマンディー侵攻に関連したものだけでも13人の受章者がいる。特にフロッグマンとゼーフント乗員に受章者が多かった。攻撃任務中に負傷した場合は戦傷章が授与された。1944年11月末まで、K戦隊将兵には他の兵科のような戦闘章(Kampfabzeichen)が定められていなかった。当初はUボート乗員と同じ潜水艦作戦章(英語版)の授与が計画されていたが、特攻艇乗員やフロッグマンも所属するK戦隊の戦闘章には相応しくないとして却下された。1944年11月30日、K戦隊のための新しい戦闘章(K戦隊戦闘章(ドイツ語版))が制定された:26。この戦闘章では、国章でもあった「鉤十字を掴むライヒスアドラー」のデザインは取り入れられず、K戦隊のシンボルであるノコギリエイのデザインが採用されている。
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