ザ・ベストテン
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『ザ・ベストテン』(英称:The Best Ten)は、1978年(昭和53年)1月19日から1989年(平成元年)9月28日までTBS系列で、毎週木曜日の21:00 - 21:54 (JST) に生放送されていた音楽番組。全603回放送。
注釈
- ^ 洋楽アーティストは「出演させられないので除外」されていた[3]。
- ^ 初登場の曲に対しては「初登場」上昇した曲に対しては「●ランクアップ」下降した曲に対しては「●ランクダウン」順位が同じ曲に対しては「先週と変わらず」ベストテン圏外に一旦落ちて、再びランクインした曲に対しては「カムバック」もしくは「返り咲き」と言っていた。
- ^ 「(年間)上半期ベストテン」が意味としては正しいが、番組ではこのように表現
- ^ 黒柳は当初、久米の顔を知らず、声の印象から太ったコメディアンのような人物だと思い込んでいた([1],goo)。ある日、偶然からスタジオのすぐ外の(ガラス越しに見える)部屋へと入ってきた久米を、当時『土曜ワイド』のメインパーソナリティを務めていた永六輔がゲストの黒柳に紹介したことにより、黒柳は久米の外見を知ることとなった。
- ^ この曲のみオリジナル歌手による歌唱
- ^ ネット局の紹介は当番組ではこの時のみである
- ^ 番組は放送ライブラリーで視聴できる。また、調査結果は『歌謡曲ベスト1000の研究』[18]という本にまとめられている。
- ^ TBSを除く在京キー局では、1975年10月よりゴールデン・プライム両タイムのスポット枠を5分から6分に拡大したが、TBSは引き続き5分を継続、そして7年後の1982年10月にスポットタイムを6分に拡大した。
- ^ 厳密には、サービス放送期間中の1983年12月1日にネット開始。
- ^ 木曜日19:30~20:54がTBS系同時ネットだったため。但し20:54で飛び降り。
- ^ 末期の後提供は記念撮影・本編エンディングからCMを挟まずに表示していた。
- ^ 『ザ・ベストテン』関係者では黒柳のみ謝罪している。
- ^ その後、数回特別に司会に再起用していることから、『ニュースステーション』への起用が口外できなかった事情を山田も理解し、直接の謝罪がなくても受け入れていたとみられる。
- ^ 署名は現在の本名である「三浦百恵」名義
- ^ 菊池桃子と斉藤由貴の同名異曲である。
- ^ 松下は1986年10月から改めて2代目司会者として就任。
- ^ 渡り廊下でつながっており、一見同じフロアに見えるが階数が異なっている。
- ^ それでも、中森明菜やチェッカーズなどランクイン常連組や、中山美穂やC-C-Bらは積極的に出演していた。
- ^ それでも西村は「バツ?」と答えてしまったため、さすがに溜まりかねた松下は次の問題で西村が回答する前に「マルと言って下さい!!」と大声で答えを教えたことで、漸く正解し歌うことができた。
- ^ 番組終了後、『TVジェネレーション』で『世界まるごとHOWマッチ』の要領でこの2代目ランキングボードと『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』のセットの制作費を当てるクイズを行なった際に明らかにされた。
- ^ 内訳は1988年の月間ベストテン全12回、年間ベストテン(1988年・1989年上半期と1988年の年間)全3回、1989年9月7日の600回で行った12年間ベストテン、最終回のエンディング(後述)。
- ^ それまで、番組開始から使用されていたオープニング映像は、ピンクレディーの日本武道館コンサートから使用(1988年1月7日放送 オープニングでの松下の発言から)。
- ^ 変更当日である1988年1月7日放送では、新しいオープニング映像と番組テーマ曲の紹介、さらには司会者(黒柳・松下)の新年の挨拶を兼ねて、珍しくアバンタイトルで放送された。
- ^ テレビ朝日のニュースステーションに出演するため、第8位の「剣の舞」(光GENJI)歌唱前にスタジオを退出。光GENJIはCBCの第7スタジオから中継で出演。追っかけウーマンは松山香織(当時CBCアナウンサー、1994-97年にFNNスーパータイムのキャスターを務めた)。
- ^ 当時・自由民主党所属議員
- ^ 元・山梨放送アナウンサー。
- ^ 当時・社会民主連合所属議員。
- ^ 元・共同通信社記者で、『JNNニュースコープ』初代キャスター。
- ^ a b 当時・連合の会所属議員
- ^ 朝日放送第一期アナウンサー
- ^ 当時・公明党所属議員
- ^ 当時・日本社会党所属議員
- ^ 元TBS記者・ディレクター
- ^ 厳密には、サービス放送期間中の1989年9月28日の最終回でも同時ネット。
- ^ この年、2回に渡って久米の出演が可能となったのは当時『ニュースステーション』がテレビ朝日アーク放送センターからの放送で、なおかつTBSとアークヒルズが至近距離だった事によるもの。
- ^ 当初スタッフは口パクでの歌唱を勧めたが、中森本人が「TVを見ている人に対して失礼だから」と拒否したとの事。
- ^ なお『雨の西麻布』は、3日前(1985年10月14日)に日本テレビ系で放送された『ザ・トップテン』でもランクインしている。
- ^ 東京・六本木に本店がある同名の老舗寿司店の稲荷寿司。
- ^ 1989年当時は松下電器産業の国内向け音響・映像機器ブランド、および白物家電を含む海外市場向け家電製品の総合ブランドとして展開していた。なお、松下電器産業がパナソニック〈初代法人。現・パナソニックホールディングス〉に社名変更したのは2008年10月1日である。
- ^ 楽曲ではないが、渡辺正行が司会だった時代に「コーラの一気飲み」を数回披露した際、同じ理由でコーラを使えず、当番組のスポンサーだったキリンビール(清涼飲料事業部。現・キリンビバレッジ)の炭酸飲料「キリンレモン」で代用した事例もあった。
- ^ ただし、本番組スポンサーの花王もソフィーナを展開しており実質的な競合メーカーとなる。また、カネボウ化粧品は後に花王の関連会社、および化粧品ブランドとなる。
- ^ この対談のノーカット版は、山田修爾・著『ザ・ベストテン』に収録(単行本・文庫版とも)。
- ^ 1980年代に入るとシンセサイザーなどを使用した電子音を用いたアレンジが増え、特に1980年代後半に入るとオーケストラの生演奏では再現できないDTMを使ったアレンジが主流となった。
- ^ 『ト・レ・モ・ロ』(柏原芳恵)の様に、初登場時は生演奏で、2回目以降はレコードと同一のカラオケで歌唱した事例もある。
- ^ 進行補佐としてTBSの追っかけマン担当だった松宮一彦・生島ヒロシ・松下賢次が担当。なお、1989年放送分で1月5日分と正規最終回では歴代男性司会者が揃っているが、いずれの回でもこの時あくまで進行補佐役としての出演だった生島、正規最終回では加えて松宮も久米・小西・松下・渡辺・柄沢と共に歴代男性司会者の1人として紹介されている。
- ^ 緑山スタジオから中継担当。
- ^ 司会起用する際にあたっての久米・黒柳と並んで候補の1人だった。なおこの2ヵ月後にこのコンビの司会でテレビ朝日「夢のビッグスタジオ」が本番組への対抗策として始まった。
- ^ 第4位には、中村雅俊「心の色」がランクインしたため、豊臣秀長役だった中村もそのまま出演した。
- ^ 肥薩線経由で運転されていた博多 - 宮崎間の特急列車(中継時は宮崎行きに乗車)。1980年廃止。
- ^ これは後日、「ひょうきんベストテン」において片岡鶴太郎や松本竜介によってパロディのネタにされることとなる。
- ^ 当時の文化会館や県民会館の終了時間は番組開始時間の21時までが多く、そのための配慮であった。稀に自治体の特別の配慮で使用時間を延長してコンサート会場から中継させてもらえる場合もあった。
- ^ TBS労働組合のストライキに伴う代打(1987年4月23日放送)。
- ^ 1979年にTBS労働組合のストライキに伴う代打として1度だけ出演(放送日不詳)。しかし、本人が顔出しでのテレビ出演が苦手でラジオの仕事を主としていることからその後は1度も出演していない。
- ^ テレビユー福島契約アナウンサー(当時)。
- ^ 南海放送が何らか事情で中継出来ないときはRSKが愛媛県の中継を担当することもあった。
- ^ 吉本多江の「吉」のつくりは、士が「土」。
- ^ 石田が関与しない部分では良好な関係を維持し、バラエティ部門の場合、石田との関係が良くなかった横澤彪や、石田と距離を取っていた王東順の制作班は収録中に中継部隊の立ち入りを許可するなど、本番組に協力的な姿勢を取っていた。また、ドラマ制作部門も中継部隊の立ち入りを許可していた。
- ^ 『オレたちひょうきん族』のベストテンパロディ「ひょうきんベストテン」には第1位獲得時に出演している。
- ^ 『とんねるずのみなさんのおかげです』の放送時間に関しては、当初は本番組の裏番組とする案と、NHK『大河ドラマ』や日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』が放送されている日曜20時台に放送するという2案があった。日曜20時台に放送する案は『大河ドラマ』や『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に視聴率で太刀打ちできない事から断念し、最終的に本番組の裏番組とする案が選ばれた。
- ^ 同時間帯に別々の放送局で同時にテレビ出演することは禁止と明文化されているわけではないが、この当時で既にタブーな行為とされていたため、仮にシングルを発売してランクインしたとしても『ザ・ベストテン』への出演は控えざるを得なかった。
- ^ 1985年9月5日放送で第3位にチェッカーズ「俺たちのロカビリーナイト」がランクインした際に、秋田県中央家畜市場からの中継を担当。
- ^ 1983年4月1日に福島テレビはフジテレビ単独系列になったが、1983年4月から9月の半年間は視聴者保護のため番販扱いで放送。1983年10月6日 - 11月24日までの間は福島県では未放送。
- ^ 厳密には、サービス放送期間中の1983年12月1日から。
- ^ 1987年4月2日放送の「ザ・ベストテン延長戦」において、第10位に中山美穂『「派手!!!」』がランクインした際、山形県護国神社(山形市)からの中継を担当(追っかけウーマンは桑折久子、プロデューサーは佐藤資治(アナウンサー兼務))。
- ^ 当初は奄美群島地区は除く
- ^ 服部自身による、CX系放映ドラマ『兄弟刑事』のメインテーマをアレンジしたものである。
- ^ また、黒柳も番組内で新聞片手に言及したことがある。
- ^ 『朝日新聞縮刷版』の各番組表によると、通常17:00-17:30の放送だったが、1991年3月9日と1992年1月19日だけ16:00-16:30に放送されている。
- ^ 一例として、山本譲二の場合「自分の「みちのくひとり旅」と同時期にランクインしており、思い出深い」という事から、石川ひとみの「まちぶせ」を挙げていた。
- ^ 朝日・読売・毎日・日本経済各新聞縮刷版のテレビ番組表は、この日のゲストを記載しないが、個人ブログに南野陽子の出演を記すものがある(https://plaza.rakuten.co.jp/tororin2003/diary/201112220001/、2017年3月30日閲覧)。典拠の確度に問題なしとしないが、当座のものとしてこれを記す。
- ^ 朝日・読売・毎日・日本経済各新聞縮刷版のテレビ番組表ではこの日のゲストが記載されないが、ネット上で、他のゲスト14名以外では、アルフィーの出演に言及するものがある(http://mimizun.com/log/2ch/tv/1009983598/〈2017年3月30日閲覧〉など)。典拠の確度に問題なしとしないが、当座のものとしてこれを記す。
- ^ THE・プレゼンター扱いはされない。
- ^ 従って、TBSでは1989年10月以降も『突然バラエティー速報!!COUNT DOWN100』→『COUNT DOWN TV→CDTVライブ!ライブ!』に至るまで途切れる事なくランキング集計を行っている事になる。事実、TBSテレビがかつて販売していたiPhone・iPad用アプリ『TBSミュージックランキング』では、『ザ・ベストテン』『CDTV』のランキングの他、『ザ・ベストテン』放送終了の1989年10月〜『CDTV』放送開始の1993年4月までの3年6ヶ月間にTBSが集計していた『COUNTDOWN100』を含むランキングも発表されていた[54]。ただし、放送で紹介されたデータを当時『CDTV』と共有していたかは不明。
- ^ 長野オリンピック閉会式で司会を担当。
- ^ これがのちに大人気特番になる『歌がうまい王座決定戦』の元祖になる。
- ^ 同ドラマでは、100歳となった徹子さん役で出演していたが、最終話に通常の本人役として出演した。
出典
- ^ “音楽高世帯視聴率番組”. ビデオリサーチ. 2022年3月18日閲覧。
- ^ “【セミナー】 公開トークショー 第9回 人気番組メモリー「ザ・ベストテン」レポート”. 放送番組センター. 2015年7月2日閲覧。
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- ^ 1991年3月3日付『朝日新聞』テレビ番組表(『朝日新聞縮刷版』)
- ^ 『ザテレビジョン』vol.8 no.11「音楽」
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- ^ 『ザテレビジョン』vol.9 no.2「音楽」
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- ^ 『ザテレビジョン』vol.9 no.10「音楽」
- ^ iPhone・iPad用アプリ 『TBSミュージックランキング』 配信開始〜『ザ・ベストテン』から『CDTV』まで、33年分を網羅した週間音楽ランキングアプリ〜、日本エンタープライズ、2011年10月14日。 (PDF)
- ^ “TBS夏サカス2011:懐かしの「ザ・ベストテン」のセットが登場 「金八」教室や「こち亀」派出所も”. MANTANWEB (毎日jp). (2011年7月16日)
- ^ BS-TBS|復活!ザ・ベストテン
- ^ ザ・ベストテン(1979年3月15日放送)|音楽|TBS CS[TBSチャンネル]
- ^ 西城秀樹特集(2019年5月)|イチオシ!|TBS CS[TBSチャンネル]
- ^ ザ・ベストテン(1979年4月5日放送)|音楽|TBS CS[TBSチャンネル]
- ^ テレビがくれた夢 山田修爾|ドラマ・時代劇|TBS CS[TBSチャンネル]
- ^ 6月放送決定!伝説の番組『ザ・ベストテン』TBSチャンネル2でついに再放送スタート! TBSチャンネル、2020年4月28日配信
- ^ 放送ライブラリー program番号:164863
- ^ 放送ライブラリー program番号:139925
- ^ “「逃げ恥」みくりの“心のベストテン”は平匡さんが独占 視聴者も共感のパロディ”. モデルプレス. (2016年11月22日)
- ^ “現場リポート みくりが…逃げた!?”. 公式サイト (2016年11月22日). 2018年4月28日閲覧。
- ^ くす玉(垂れ幕「祝・心のベストテン1位」と紙テープが添えられている)が飾られたスタジオの様子
- ^ “平成世代が“昭和ポップス”の魅力を紹介!マツコも驚くゲストも登場『マツコの知らない世界』”. TV Life. 学研プラス (2020年4月28日). 2020年5月19日閲覧。
「The Best Ten」の例文・使い方・用例・文例
- The Malay Times に掲載されていた、非常勤の下級アナリストの職に関する広告についてご連絡を差し上げています。
- ‘They are flying kites.' はあいまいな文である.
- 話し中です (《主に英国で用いられる》 The number's engaged.).
- 名詞相当語句 《たとえば The rich are not always happier than the poor. における the rich, the poor など》.
- 総称単数 《たとえば The dog is a faithful animal. の dog》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- 王立オペラ劇場 《the Covent Garden Theatre のこと》.
- 英国学士院 (The Royal Society)の会報.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- 『Scotish』は、『The Scottish Symphony』や『Scottish authors』、あるいは、『Scottish mountains』のような、より正式な言葉遣いの傾向がある
- STD(神学博士)はラテン語のSanctae Theologiae Doctorに由来する
- 『The boy threw the ball(少年がボールを投げた)』は、能動態を使う
- 『The ball was thrown(ボールは投げられた)』は簡略化された受動態である
- 1992年,「The Animals(どうぶつたち)」という本のために,まどさんの動物の詩のいくつかが皇后美(み)智(ち)子(こ)さまによって英訳された。
- 式典は,3Dコンピューターアニメ映画「I Love スヌーピー The Peanuts Movie」の米国公開の数日前に行われた。
- ハラムを悼んで 《Tennyson が親友 Hallam /hləm/ の死を悼んで書いた詩》.
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