tamaki niime ブランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/07 15:11 UTC 版)
「玉木新雌 (企業)」の記事における「tamaki niime ブランド」の解説
西脇市を中心とした北播磨地域で発達した播州織は、1800年頃に宮大工の飛田安兵衛が京都から持ち帰った技術をもとに、農家の閑農期の副業として織物が盛んとなり、その技術が確立され長い伝統があった。播州織は、兵庫県北播磨地域で製造され、一定の品質標準に達するものだけが認定されるブランドである。tamaki niime ブランドは、2004年に玉木新雌により立ち上げられる。オリジナル生地を探すうちに、偶然に東京の素材展で播州織職人に出会い、それをきっかけに、糸を先に染めてから織る播州織の製法に大きな可能性を感じ、その後は播州織アーティストとしての活動を始めた玉木は、播州織の伝統的な製法に、あらたにオリジナルな製法を加えて進化させた。 玉木は2008年に西脇市に直営店をオープンさせるが、それをきっかけに西脇市に移住。「デザインとものづくりの現場は近い方がいい」との信条を持ち、播州織アーティストとして、播州織の本場、西脇市で活動を始める。それまではデザインだけを行っていたのを、自ら織機を操作して自分だけの作品を作ることにこだわり開発を続けたが、ある時に偶然に生地の製作中に縫うことすら難しいほどの柔らかい生地が織り上がり、首に巻いたところ大変に着け心地がよいことに気づく。これが、その後、人気商品となる綿菓子のように柔らかい感触のショールの誕生に結び付く。その後も「性別・年齢・国籍を問わず誰にでも愛される独創的なショール」をコンセプトに開発を続ける。2010年に新たに導入した1965年製のベルト式力織機で、玉木自らが織り上げる商品「only one shawl」は、最新の機械では作り出せない独自の織柄の立体感で特に評価が高いヒット商品となる。ショールの開発に当たって、当初、玉木は職人にゆるく織ってくれるよう注文するが、やったことがないと驚かれたが、ひるまずに提案し続けたことでオリジナル生地への誕生に結び付いたという逸話がある。玉木は「ブランドとして成功するには、他に真似されないオリジナル性が必要。そのためには生地から差別化するほかない」と発言している。 玉木の基本的コンセプトは「自分が着たいものを着る」であり、特に生地にこだわっている。大量生産の時代に、生地作りや縫製といったひとつひとつの工程を重んじ、同時に日本人だからこそ作れるものを意識しデザインしたとされる。 2018年現在、Labには糸染め、縫製、加工までの一貫した工程を行うための、古いシャトル織機や糸染め機、整経機、CAD/CAM、さらに多色の糸を次々とつないで一本の糸に巻き取り虹のような色のグラデーションが作り出せるアレンジワインダーや、無縫製で編める編み機である最新鋭の島精機製作所製ホールガーメントの設備までをそなえ、ショールを中心に、シャツ、パンツ、子供服、バッグなどを製作している。日本では直営店、全国各地のセレクトショップ、百貨店での販売や展示会で発売されているほか、海外での評価も高く、2017年3月現在でアメリカ、イギリス、カナダ、ベルギー、台湾ほか、卸先は世界15か国におよぶ。また、玉木新雌自身はテーラーを学んでおり、シャツを始めユニセックスでモダンな服作りも得意とし、tamaki niime ブランドのシャツや洋服を好む消費者も多く、兵庫県知事の井戸敏三も愛用している。
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