NFL選手時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 10:20 UTC 版)
「ジャック・ヤングブラッド」の記事における「NFL選手時代」の解説
1968年から1970年までの3シーズンで29サックをあげた彼は1971年のNFLドラフト1巡全体20位でロサンゼルス・ラムズに指名されて3万ドルのサインボーナスを含む3年10万5000ドルで契約を結び、入団した。この年彼は左DEディーコン・ジョーンズの控えとなり、ジョーンズが欠場した4試合で先発出場した。この年、オークランド・レイダースの320ポンドの巨漢タックル、ボブ・ブラウンに圧倒され、コーチに叱責された。 1971年シーズン終了後、ジョーンズがサンディエゴ・チャージャーズにトレードされたことから、1972年より先発選手となり、14試合中11試合で先発し、チームのディフェンシブラインマントップとなる70タックル、6サックをあげた。この年フロリダ大学を卒業した。 1973年、チャック・ノックスヘッドコーチ、レイ・マラバシラインコーチが就任すると、才能が開花し、チームトップの16.5サックをあげてオールプロセカンドチーム及びプロボウルに選出された。彼とは親類関係にないジム・ヤングブラッドが加入したこの年、ラムズのトータルディフェンス、ランディフェンスはNFLトップとなった。 1974年、彼はチームトップの15サックをあげ、オールプロファーストチームに選ばれた。チームもランディフェンスでNFLトップとなり、NFCチャンピオンシップゲームに進出したが、ミネソタ・バイキングスに10-14で敗れた。 1975年、彼はチームトップの15サックをあげて、NFC最優秀守備選手に、UPI通信、プロフットボール・ウィークリーからNFL最優秀守備選手に選ばれた。12月23日のセントルイス・カージナルスとのプレーオフでは、ジム・ハートのパスをはじき、そのままインターセプトし、47ヤードのリターンTDをあげた。またファンブルフォース、相手のトライフォーポイントのブロック、QBサックもあげている。 1976年、チームトップの14.5サックをあげてNFC最優秀守備選手、オールプロファーストチームに3年連続で選ばれた。 1977年、5年連続でチームトップのQBサックをあげた彼は、プロボウルにも5年連続で選ばれた。またオールNFCセカンドチームに選ばれている。 1978年、ラムズのトータルディフェンスはNFLトップとなった。この年、彼は5年間で4度目となるオールプロファーストチームに選ばれた。 1979年、自己ベストの18サックをあげて5度目のオールプロファーストチーム、7年連続でプロボウルに選ばれた。彼はプレーオフ初戦となったディビジョナルプレーオフのダラス・カウボーイズ戦の第2Qに左腓骨を骨折したが、サイドライン際でロジャー・ストーバックをサックするなど、負傷したまま活躍する彼のプレーに対して、ジョン・マッデンらは、「フットボールのジョン・ウェイン」だと賞賛した。チームはNFCチャンピオンシップゲームでタンパベイ・バッカニアーズを9-0で完封、彼はピッツバーグ・スティーラーズとの第14回スーパーボウル、その翌週のプロボウルにも出場している。 1980年、11.5サックをあげてオールプロセカンドチーム、オールNFCファーストチームに選ばれた。 1981年、チームトップの12.5サックをあげた。シーズン終了後、左腕の手術を行い、ホットドッグサイズの血塊を摘出した。 足の骨折や多くの怪我を負いながら、彼は201試合連続で出場し(ラムズ記録)、14シーズンのキャリアでわずか1試合しか欠場していない。プロボウルに7回、オールプロファーストチームに5回選出され、スーパーボウルに1回、NFCチャンピオンシップゲームに5回出場した。1977年から1984年までチームの守備キャプテンを務めた。チームMVPに与えられるダン・リーブス賞を3回受賞した。通算で151.5サック、9シーズンに渡ってチームトップのサックをあげた。レイ・マラバシアシスタントコーチのランをまず止めるディフェンススキームで2シーズン、フリッツ・シュアマー守備コーディネーターのラン攻撃を主に止めようとし、パスラッシュの限られた3-4ディフェンススキームで2シーズンプレーする中での活躍であった。 1983年にジョン・ロビンソンヘッドコーチが就任し、シュアマーの3-4ディフェンスが導入されると彼はポジションの選手としてはサイズが小さすぎることが懸念されたが、1983年に10.5サック、1984年にも9.5サックをあげた。ラムズはその2年間でNFLトップのランディフェンスを誇った。1983年のニューヨーク・ジャイアンツとの開幕戦で2サック、ニューオーリンズ・セインツとの最終週の試合では10タックル、2サック、セイフティをあげた。 1984年第5週のニューヨーク・ジャイアンツ戦でも2サックをあげるとともに、相手オフェンスに3回、ホールディングの反則を犯させて、NFCの週間最優秀守備選手に選ばれた。第10週のセントルイス・カージナルス戦でもニール・ロマックスを3サック、相手Tのトゥーティー・ロビンズに3回、ホールディングの反則を犯させるとともに、試合終了間際に同点を狙う相手FGをブロックし、16-13での勝利に貢献した。この年の第15週の試合で、2週間前に痛めた背中の負傷により、彼の連続出場は途絶えた。しかし最終週のサンフランシスコ・フォーティナイナーズ戦、プレーオフでは復帰して試合出場を果たした。この年、ジョン・マッデンによって、オール・マッデン・チームに選ばれている。この年、逆境を克服した勇気ある選手に与えられるエド・ブロック・カレイジ・アワード(英語版)を受賞した。 1985年、怪我からの復帰を目指していたが、8月27日、現役引退を発表した。ストロングサイドのディフェンシブエンドとしての彼の184試合連続出場はNFL記録となっている。 現役時代、彼はチームメート、相手選手から尊敬されており、殿堂入りタックルのダン・ディーアドルフは、自分が対峙した相手選手の中で最もタフな選手であったと語っている。同じく殿堂入りタックルのロン・ヤーリーも最もブロックするのが難しい選手であったと語っている。ボブ・ブラウン、レイフィールド・ライトも彼らが対峙した選手の中でもトップクラスの相手であったと語っている。ラインマン以外ではフラン・ターケントン、ロジャー・ストーバック、ロッキー・ブライアーが彼のことを高く評価している。殿堂入りディフェンシブタックルのマーリン・オルセンは彼のことを完璧なディフェンシブエンドであると評価した。
※この「NFL選手時代」の解説は、「ジャック・ヤングブラッド」の解説の一部です。
「NFL選手時代」を含む「ジャック・ヤングブラッド」の記事については、「ジャック・ヤングブラッド」の概要を参照ください。
- NFL選手時代のページへのリンク