AWAの結成とは? わかりやすく解説

AWAの結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 14:32 UTC 版)

バーン・ガニア」の記事における「AWAの結成」の解説

プロモーターとして活動と共にその後少な試合数ながらも、ルー・テーズなどと並ぶメインイベンターとして人気得ていたが、政治的な待遇面NWA会長サム・マソニック派と衝突し1960年5月ミネソタ地区プロモーターと共にNWA離脱ミネアポリス本拠地とするAWAアメリカン・レスリング・アソシエーション)を結成したAWA結成以前ミネアポリステリトリーNWA傘下にあったため、AWA当時NWA世界ヘビー級王者であったパット・オコーナー初代AWA世界ヘビー級王者としてNWA脱退後そのまま継続して認定し記録上は、オコーナーNWA王座獲得日である1959年1月9日)、オコーナーAWANWA統一世界王者とした。そして、AWA王者であるオコーナーバーン・ガニアとの指名試合勧告90以内にガニアとの試合行わない場合AWA王座剥奪をすると通達。しかし、オコーナー側は正式なオファー来ていないという理由からガニアとの指名試合拒否したため、指名試合勧告から90日後にオコーナーAWA王座剥奪され1960年8月指名挑戦者であったガニアをAWA王者認定AWANWA世界王座切り離され独立をする。 ガニアは1980年7月18日までの20年間に、同王座通算10獲得長期間トップレスラーとして君臨しプロモーターとして短期間NWA対抗勢力にまでAWA成長させ、現役レスラーであったことなどから会長にはならなかったものの、AWA実権掌握していた。また、国際プロレスとの提携欧州からビル・ロビンソン若き日アンドレ・ザ・ジャイアントなどをアメリカ迎え入れたほか、1970年代からはプロレスラー養成所ガニア・キャンプ」を開設プロレス団体内に自前ジムを持つことは当時アメリカでは珍しい事例であり、トレーナーにはガニア自身加えてビル・ロビンソンコシロ・バジリ起用して新人選手育成していた。ガニア・キャンプ出身者にはリック・フレアーリッキー・スティムボートサージェント・スローターなど、後にNWAWWF世界王者になるなど、後に名声馳せるレスラー指導育成している。 1981年1月18日にはジャイアント馬場3000試合連続出場突破記念試合馬場保持するPWFヘビー級王座自身保持するAWA世界ヘビー級王座のダブルタイトルマッチを行い3本勝負行われ1-1ドロー両者王座防衛)、その年のプロレス大賞ベストバウト選ばれている。同年5月AWA王座保持したまま引退団体経営専念するレスリングの名選手だったガニアはレスリング基礎しっかりしたレスラー重用する傾向顕著で(悪役ですらマッドドッグ・バションバロン・フォン・ラシクのように「レスリング出来る」選手重用された)、ハルク・ホーガンや、ロード・ウォリアーズなどのガニアの引退後台頭してきた派手なパワーファイターには懐疑的で、彼らの商品価値見誤りホーガン評価せずAWA世界ヘビー級王座には就かせず、1983年後半ホーガンはビンズ・マクマホンジュニアからの引き抜きによりWWFへ移籍してしまい、ホーガンWWF絶大な人気を得ることになる。その後AWA1984年から始まったWWFによる全米制圧最初ターゲットにされ、ホーガンだけでなく多く主力選手スタッフブッカーブラックジャック・ランザアナウンサージーン・オーカーランドマネージャーボビー・ヒーナンなど)を次々と引き抜かれたため、一気弱体化しWWFへ対抗手段として、NWA系のプロモーションであるMACWや、CWAとの合弁事業組織プロレスリングUSA」を立ち上げて各地合同興行開催したが、ジム・クロケット・ジュニアとの確執などでNWAとの共同路線頓挫して、本拠地であるミネアポリス観客動員激減しAWA人気凋落。そして1991年崩壊するAWA崩壊後1993年、ガニアは自己破産した。AWA崩壊以降、ガニアはミネソタ州知事となったジェシー・ベンチュラ相談役として表に出たこともあったが、プロレス業界との関係を絶っていた。

※この「AWAの結成」の解説は、「バーン・ガニア」の解説の一部です。
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