AWA以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 06:27 UTC 版)
AWA崩壊後、1990年代半ばにAWA時代の部下でもあったエリック・ビショフの仲介でWCWのブッキング・コミッティに参画していたが、ビショフとの間に軋轢が生じて解雇されている。 アトランタからミネソタに戻ると、ブルーミントンにて友人の経営する三菱自動車の販売代理店に勤務。AWAでのブッカー時代に培ったマーケティング・ノウハウを活かし、売上拡大に貢献したという。以後、しばらくプロレスリング・ビジネスから離れることとなった。 2006年、父バーン・ガニアのWWE殿堂入りが決定し、4月1日にイリノイ州ローズモントで行われた顕彰セレモニーにてインダクターを担当。バーン共々、公の場に久々に姿を見せた。その後はフルタイムのロード・エージェントとしてWWEと契約、6月からはOVWやDSWなど当時の下部団体にてブッカーやトレーナーも務めたが、9月にWWEを解雇された。 以降は自動車販売代理店に復職してマネージャーを務める一方、旧友のジム・ブランゼルらと共にプロレスリング・スクール "Gagne Wrestling Association" を運営、後進の指導・育成にあたっている。
※この「AWA以降」の解説は、「グレッグ・ガニア」の解説の一部です。
「AWA以降」を含む「グレッグ・ガニア」の記事については、「グレッグ・ガニア」の概要を参照ください。
- AWA以降のページへのリンク