ATO運転の沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 06:23 UTC 版)
「自動列車運転装置」の記事における「ATO運転の沿革」の解説
日本で初めてATOを設置したのは、名古屋市営地下鉄東山線の名古屋 - 栄町間で、1960年(昭和35年)10月21日に本格的にテストを開始したが、1962年(昭和37年)5月に終了した。同年から帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現在の東京地下鉄)日比谷線でも長期にわたって試験が行われたが、2列車限りのあくまでも限定的な採用であった。その後も大阪市営地下鉄千日前線や都営地下鉄三田線で試験が行われたものの、いずれも当時は実用化されなかった(三田線は2000年〈平成12年〉、千日前線は2014年〈平成26年〉、東山線は2015年〈平成27年〉、日比谷線は2020年〈令和2年〉に導入)。会場内輸送ではあるが、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会においてモノレールが世界初の実用運転とされている。 地下鉄での営業列車への全面採用は、1976年(昭和51年)6月10日に開業した札幌市営地下鉄東西線(車掌も乗務)で、西28丁目駅と西車両基地の間では無人自動回送運転も行われていた。1982年(昭和57年)3月21日に白石駅 - 新さっぽろ駅間 (7.4km) の延伸開業に伴い、ひばりが丘駅と東車両基地の間も当初から無人自動回送運転に対応している。1990年(平成2年)頃、同線に於いて当時の主流だった6000形の営業車両に限りATOによる自動運転を終了しており、2008年9月1日に現在の主流である8000形でATOによる自動運転を開始するまでの約18年間は営業列車は手動運転(ATC)、ひばりが丘駅と東車両基地の出入庫線のみ無人自動回送運転となっていた。次いで神戸市営地下鉄西神線で1977年(昭和52年)から採用している。 その後は、1981年(昭和56年)に開業した福岡市地下鉄空港線をはじめ、ワンマン運転を実施する路線において、乗務員の負担軽減のためにATOを採用する事例が増えた。さらに、旅客の安全対策としてホームドア(或いはホームゲート)が設置されるケースが相次いでいることに伴い、これらを採用した路線では、駅停車時にホームドア(ホームゲート)と車両のドアの位置を正確に合わせる必要があるため、ATOを採用する事例が増えている。 なお、ATOを採用した路線においても、地下鉄等在来型の鉄道においては、緊急時における運転士の技能低下を防止するため、1日数回、または一定時間に限り、手動運転を実施している路線が多い。 一方、1981年(昭和56年)に開業した神戸新交通ポートアイランド線(ポートライナー)をはじめとする新交通システムは、一部の例外を除き、無人運転を前提として設計されており、監視要員が乗務する路線・区間はあるものの、手動運転訓練や自動運転が継続できなくなった場合を除き、手動運転が行われることはない。 また、北九州高速鉄道小倉線のように、ATOを採用しながら、後に取りやめて全て手動運転(ATC)に切り替えた例も存在する。 2010年代後半から、JRの地上在来線で一般的なATSを用いた自動運転の研究が開始されており、JR九州では2019年(令和元年)12月下旬 - 2020年(令和2年)2月中旬(予定)に、香椎線 西戸崎 - 香椎間においてATS-DK形を使用した走行試験を実施予定としている。
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