21世紀への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 13:53 UTC 版)
「1960年代のカウンターカルチャー」の記事における「21世紀への影響」の解説
意図しない結果、クリエイティブな成果、カウンターカルチャーが時代に及ぼした長い影響力は、現在なお活発に議論され、ときに称賛されつづけている。豊かな若者としばしば貧困に苦しんできた両親との間の「世代間格差」は、1960年代の文化の重要な要素だった。 カウンターカルチャーがビート世代を内包した時代、後継世代への道をゆずった時代、その時代のあいだにおこったことについては議論の余地がある。有名なイギリスの「アンダ―グラウンド アンド カウンターカルチャー」の作者、バリー・マイルスは述べる。「わたしには70年代は60年代おきていたことが本当におこった時代のように見える。これは極端な時代だ。人々はよりおおくドラッグをきめ、 より暴力的に抗議し、エスタブリッシュメントへのおおくの反対にでくわしたんだ」。それはイアン・デュリーが言うように、「セックスやドラッグ、ロックンロールの時代」だった。1960年代、カウンターカルチャーの爆発の参加者は、イギリス、アメリカが中心だった。彼らは、おもにベトナム戦争に反対していたが、70年代にはそのアイディアは世界中に広がった。 2003年、作者で元フリースピーチ運動家のグリール・マーカスは言った。 「40年前に起こったこと(1960年代)は歴史である。それは短いトレンドではない。イラク戦争に反対行進する人はだれでも、いつでも、数年前に起こった同様の抗議の力とよろこびと満足感とを記憶している。過去のカウンターカルチャーは自分の違いが重要であるという感覚を人々に与えるので、それがカウンターカルチャーではないということは重要なことではない」。 グレイトフルデッドの作詞家で自称「サイバーリベリアン(cyberlibertarian)」のジョン・ペリー・バロウは、デジタル時代に進むカウンターカルチャーの動きについての質問に対して次のように答えた。 「10代にビートニックからはじめ、ヒッピーになり、それからサイバーパンクになったオレは今でもいまだカウンターカルチャーのメンバーだ。でも、それをなんて呼ぶべきかなのかわからないし、それは良いことだと思っていた。なぜならアメリカのカウンターカルチャーが一度名前をつけられたると、メディアはそれを組み合わせることができ、広告業界はそれをマーケティングしてしまう。でも、わかるだろ、今オレはそれが良いことだとは確信していない。集まる旗がないんだ。名前がないとムーブメントをまとめ合わせられないんだよ」。 逆に、 フリースピーチ主義者と社会人類学者のジェントリ・アンドレスは、彼女が住み学んだカウンターカルチャーのコミュニティーのなかで以下のような自由が支持されていることに気がついた。 「じぶん自身の可能性を探求する自由、自由な自己を創造する自由、個人的な表現の自由、スケジュールからの自由、厳格に定義された役割やヒエラルキーからの自由」 彼女は、カウンターカルチャーが子供の教育を変更し、 「美意識、自然に対する愛情、音楽に対する情熱、反省への欲求、あるいは強く自立した独立性」を落胆させるのではなく、むしろ励ましていることに気がついた。2007年、メリー・プランクスターのキャロリン・マウンテン・ガール・ガルシアは以下のようにコメントしている。 「ベン・アンド・ジェリーのアイスクリームのナッツのようなものだわ。それは完全に混じり合っている。エキセントリックなことがもう外人っぽいことじゃなかったら、素敵ね。わたしたちはいろんな方法でこの国の多様性を受け入れてる。わたし、そのことがわたしたちにとって大きな貢献だったと思うの」。
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