2015年~2017年:晩年、そして引退とは? わかりやすく解説

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2015年~2017年:晩年、そして引退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 01:42 UTC 版)

フランチェスコ・トッティ」の記事における「2015年~2017年:晩年、そして引退」の解説

2015年9月20日2-2引き分けたホームサッスオーロとの試合で、ローマにおける300点目のゴール記録した。しかし彼の39歳誕生日前日である9月26日行われたカルピ戦ではチーム5-1勝利したものの、右の股関節筋緊張により負傷してしまい、3ヶ月間の間戦線離脱することとなったその後年明けとなる1-1引き分けた2016年1月9日ホームミラン戦で復帰しジャンルカ・パリュウカの持つセリエA出場試合数3位タイに並ぶ592回目出場果たした2月監督ガルシア解任され後任として以前にもローマ指揮を採ったルチアーノ・スパレッティ再度就任すると、ホームでのパレルモ戦の前日であった20日トッティ公の場において、スパレッティによる自身起用を「敬意欠いている」と公然と批判したさらにはこれに対し当日となる21日にスパレッティはトッティに対して練習場からの帰宅命じ登録メンバーからも除外するという措置取り試合中サポーターから「フランチェスコ俺らはみんな味方だぜ」「トッティトッティゴール!」などのコール上がるなどサポータートッティ支持した一方でクラブトッティ対す敬意示しつつもスパレッティを支持する立場表明するなど大きな騒動となり、一時契約満了となるシーズン終了後退団すら噂されるまでに発展したが、27日にはスパレッティの口より「全て改善した」と関係の改善明言されるに至った3月8日アウェーUEFAチャンピオンズリーグレアル・マドリード2ndレグステファン・エル・シャーラウィとの交代途中出場し、0-2敗れはしたものの、サンティアゴ・ベルナベウ観客達からスタンディングオベーション受けた4月20日ホームトリノ戦では86分の出場から2得点挙げ3-2での勝利立役者となった。これにより1953年2月1日ラツィオ戦で当時ノヴァーラシルヴィオ・ピオラ39歳と4ヶ月2日記録抜いてセリエA史上最年長39歳と6ヶ月23日で2得点記録した選手となったまた、2点目のゴールセリエA69点目のPKによる得点となり、これによってロベルト・バッジョ記録抜いてセリエA単独1位となった5月2日3-2勝利したアウェージェノア戦では途中出場から直接フリーキックゴール決めセリエAにおける直接フリーキックによる得点数21延ばした。これはアレッサンドロ・デル・ピエロアンドレア・ピルロシニシャ・ミハイロヴィチに次ぐセリエA第4位の記録となった3-0勝利した5月8日ホームキエーヴォ戦では途中から出場して3点目をアシストし、この試合セリエA通算600試合への出場達成した。このシーズン出場13試合留まり最後の6試合では全て途中出場であったにも関わらず4得点挙げたトッティローマとの契約は同シーズン満了となっていたが、同年6月7日トッティ2016-17シーズン終了後現役引退することを発表して契約1年延長し、また引退後にはローマテクニカルディレクターとして6年間の契約結んだことも明らかにした。 2016-17シーズン初出場となった9月11日サンプドリア戦で、元ミランパオロ・マルディーニ並んで通算25シーズン連続出場達成し、また後半PKによる決勝点挙げて23シーズン連続得点挙げた選手となった40歳誕生日のちょう2日前となる9月25日行われたトリノ戦ではPKからセリエA250点目となる得点挙げたが、チーム1-3敗れた9月29日UEFAヨーロッパリーグアストラ戦では40歳迎えて初となる試合90分を通して出場し、1ゴール2アシスト記録して4-0での完勝大きく貢献した。また同じくEL10月20日3-3引き分け終わったアウストリア・ウィーン戦では、UEFA主催クラブ大会への出場数が通算100試合達した。しかしその後10月下旬練習中に、左大腿部怪我で期間未定離脱強いられることとなったとはいえ11月27日ペスカーラ戦では途中出場復帰しチーム3-2勝利した2017年2月1日2-1勝利したコッパ・イタリア準々決勝チェゼーナ戦に出場したが、後半ロスタイム97分に再びとなる怪我負った4月15日1-1引き分けたホームアタランタ戦では途中交代出場しハビエル・サネッティの持つセリエA第3位タイとなる通算出場試合数615試合の記録並んだ5月3日にはローマSDモンチトッティとの同シーズン末までの契約延長しないことを明言し5月25日には自身SNS改めローマからの退団表明、またホーム行われる5月28日ジェノア戦がローマでラストゲームになると伝えた。そして28日54分にモハメド・サラーとの交代ピッチ入り観客からのスタンディングオベーション受けた。同シーズン限りでの引退クラブへのフロント入り既定路線となっていたにも関わらず一時現役引退への名残惜しさから東京ヴェルディ等の複数クラブへの移籍可能性もあると噂され時期もあったが、7月になって正式に引退ASローマフロント入り発表された。

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