2015年~2017年:晩年、そして引退
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「フランチェスコ・トッティ」の記事における「2015年~2017年:晩年、そして引退」の解説
2015年9月20日に2-2で引き分けたホームのサッスオーロとの試合で、ローマにおける300点目のゴールを記録した。しかし彼の39歳の誕生日の前日である9月26日に行われたカルピ戦ではチームは5-1で勝利したものの、右の股関節の筋緊張により負傷してしまい、3ヶ月間の間戦線を離脱することとなった。その後年明けとなる1-1で引き分けた2016年1月9日のホームのミラン戦で復帰し、ジャンルカ・パリュウカの持つセリエA出場試合数3位タイに並ぶ592回目の出場を果たした。 2月に監督のガルシアが解任され、後任として以前にもローマの指揮を採ったルチアーノ・スパレッティが再度就任すると、ホームでのパレルモ戦の前日であった20日にトッティは公の場において、スパレッティによる自身の起用を「敬意を欠いている」と公然と批判した。さらにはこれに対し、当日となる21日にスパレッティはトッティに対して練習場からの帰宅を命じ、登録メンバーからも除外するという措置を取り、試合中はサポーターから「フランチェスコ、俺らはみんな味方だぜ」「トッティ、トッティ、ゴール!」などのコールが上がるなどサポーターはトッティを支持した一方で、クラブはトッティに対する敬意を示しつつもスパレッティを支持する立場を表明するなど大きな騒動となり、一時は契約満了となるシーズン終了後の退団すら噂されるまでに発展したが、27日にはスパレッティの口より「全てが改善した」と関係の改善が明言されるに至った。 3月8日、アウェーのUEFAチャンピオンズリーグのレアル・マドリード戦2ndレグでステファン・エル・シャーラウィとの交代で途中出場し、0-2と敗れはしたものの、サンティアゴ・ベルナベウの観客達からスタンディングオベーションを受けた。4月20日のホームのトリノ戦では86分の出場から2得点を挙げ、3-2での勝利の立役者となった。これにより1953年2月1日のラツィオ戦で当時ノヴァーラのシルヴィオ・ピオラの39歳と4ヶ月2日の記録を抜いて、セリエA史上最年長の39歳と6ヶ月23日で2得点を記録した選手となった。また、2点目のゴールはセリエA69点目のPKによる得点となり、これによってロベルト・バッジョの記録を抜いてセリエA単独1位となった。 5月2日の3-2で勝利したアウェーのジェノア戦では途中出場から直接フリーキックでゴールを決め、セリエAにおける直接フリーキックによる得点数を21に延ばした。これはアレッサンドロ・デル・ピエロ、アンドレア・ピルロ、シニシャ・ミハイロヴィチに次ぐセリエA第4位の記録となった。3-0で勝利した5月8日のホームのキエーヴォ戦では途中から出場して3点目をアシストし、この試合でセリエA通算600試合への出場を達成した。このシーズンの出場は13試合に留まり、最後の6試合では全て途中出場であったにも関わらず4得点を挙げた。トッティのローマとの契約は同シーズンで満了となっていたが、同年6月7日にトッティは2016-17シーズンの終了後に現役を引退することを発表して契約を1年延長し、また引退後にはローマのテクニカルディレクターとして6年間の契約を結んだことも明らかにした。 2016-17シーズンの初出場となった9月11日のサンプドリア戦で、元ミランのパオロ・マルディーニに並んで通算25シーズン連続の出場を達成し、また後半のPKによる決勝点を挙げて、23シーズン連続で得点を挙げた選手となった。40歳の誕生日のちょうど2日前となる9月25日に行われたトリノ戦ではPKからセリエA250点目となる得点を挙げたが、チームは1-3で敗れた。9月29日のUEFAヨーロッパリーグでアストラ戦では40歳を迎えて初となる試合に90分を通して出場し、1ゴール2アシストを記録して4-0での完勝に大きく貢献した。また同じくELの10月20日の3-3の引き分けに終わったアウストリア・ウィーン戦では、UEFA主催のクラブ大会への出場数が通算100試合に達した。しかしその後の10月下旬の練習中に、左大腿部の怪我で期間未定の離脱を強いられることとなった。とはいえ11月27日のペスカーラ戦では途中出場で復帰し、チームは3-2で勝利した。2017年2月1日、2-1で勝利したコッパ・イタリアの準々決勝のチェゼーナ戦に出場したが、後半ロスタイムの97分に再びとなる怪我を負った。4月15日の1-1で引き分けたホームのアタランタ戦では途中交代で出場し、ハビエル・サネッティの持つセリエA第3位タイとなる通算出場試合数615試合の記録に並んだ。 5月3日にはローマSDのモンチがトッティとの同シーズン末までの契約を延長しないことを明言し、5月25日には自身のSNSで改めてローマからの退団を表明、またホームで行われる5月28日のジェノア戦がローマでのラストゲームになると伝えた。そして28日、54分にモハメド・サラーとの交代でピッチに入り、観客からのスタンディングオベーションを受けた。同シーズン限りでの引退とクラブへのフロント入りは既定路線となっていたにも関わらず、一時は現役引退への名残惜しさから東京ヴェルディ等の複数のクラブへの移籍の可能性もあると噂された時期もあったが、7月になって正式に引退とASローマのフロント入りが発表された。
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