2007年〜再結成
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「ヴァン・ヘイレン」の記事における「2007年〜再結成」の解説
2007年1月8日、ロックの殿堂入りを果たす。 2007年1月18日、Winter NAMM 2007で、フェンダー/シャーベルカスタムショップから"Frankenstein Replica"が発表され、エディ自身によるデモ演奏が行われた。 2007年2月2日、デイヴィッド・リー・ロスが復帰して夏に北米ツアーを行うと発表するも、後にキャンセル。 2007年3月8日、公式サイトにエディ自身による、自分が現在リハビリ施設にいることをファンに知らせるメッセージが掲載される。 2007年3月12日、ウォルドルフ=アストリアで行われたロックの殿堂セレモニーには、当時すでにメンバーでなかったサミーとマイケルだけが出席し、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーがプレゼンターを務めた。 2007年8月13日、L.Aフォーシーズンズホテルでバンドの記者会見を開催。活動を再開することを正式に発表した。ボーカルにデイヴィッド・リー・ロス、ベースにウルフギャング・ヴァン・ヘイレンを迎え、9月27日から12月11日まで25都市のアメリカ・ツアーを行った。 2011年1月、オリジナルニューアルバムのレコーディング開始。 2011年5月、Soundwave Revolution 2011への出演がフェスオフィシャルページで発表されるが8月にフェス開催中止になる。アルバム制作を優先させたいヴァン・ヘイレンがキャンセルしたためではないか、と憶測が流れたが、主催者発表でセカンドヘッドライナーだったエアロスミスのキャンセルとチケットセールスの不振を理由としている。 2011年10月、オリジナルニューアルバム完成。 2011年11月、コロンビアレコードと交渉していたが、インタースコープレコードと正式契約が成立する。 2011年12月26日、オフィシャルサイトにて2012年ツアーのチケットを1月10日より発売する旨の動画が掲載される。また、バンドがアルバム完成後に週2.3回のペースで極秘リハーサルを行っていたことが判明した。 2012年1月5日、New Yorkのcafe wha?でプレス向けプライベートショーを行う。ツアー日程発表。ニューアルバムは2/7(日本盤は2/8)発売。タイトルは"A Different Kind of Truth"で全13曲収録。と発表。 2012年1月10日、シングル「Tattoo」リリース。 2012年2月7日、12枚目のアルバム『ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース』(原題:A Different Kind of Truth)リリース。この作品は、ウルフギャング初参加の作品となった。全米ビルボード2位、全米ロックアルバム&ハードロックアルバム1位、全英6位、オリコンチャート3位を記録。 2012年2月8日、LA ForumでDress Rehearsalを行う。スラッシュをはじめ、多くの友人やミュージシャンが招待された。 2012年2月18日、全米ツアースタート。エディ・ヴァン・ヘイレンのギタープレイがファンのみならずミュージシャンからも賞賛されている。全米ツアーは2012年6月26日まで。 2012年5月、エディ・ヴァン・ヘイレンがインタビューで2011年春に舌ガンが再発している事を明らかにする。秋には一部切除手術を受けて、定期的に検査を受けている。 2012年5月、追加30公演の延期を発表。後に正式にキャンセル。バンド内の不協和音が報じられるが、デイヴは「バンドは絶好調!少し疲れてきたのとマンネリを防ぐためオフをとらせて」と語っている。 2012年6月、14年ぶりの来日公演が正式発表される。 2012年6月、北米ツアー 1st Leg終了(一時はデイヴの不安定なボーカルが心配されたが、ツアーが進むに連れてウルフギャングのベースとコーラスの評価がそれをカバーした。2007年のライブとは別人のようなエドワード・ヴァン・ヘイレンの冴え渡るギタープレイが多くのファンを惹きつけた)。 2012年8月、エディ・ヴァン・ヘイレンが大腸憩室炎の緊急手術を受けて日本公演が2013年に延期になった。 2013年3月、エディ・ヴァン・ヘイレンがLL Cool Jのレコーディングに参加。 2013年4月20日、オーストラリア Stone Music Festivalにヘッドライナーとして出演。 2013年6月、15年振りの来日公演を行う。東京、大阪公演はバンドからの要望で、写真とビデオ撮影が許可された。なおその許可はオープニング前に客席へ、「本日はバンド側の要望で撮影・録音が許可されております。皆様、どんどん撮ってYOUTUBEにアップしてください!」という明るい女性のアナウンスで知らされるという、パーティバンドの権化のようなサービスであった。ショーの様子はYouTube等で観ることができる。 2013年7月20日、Rock USA music festivalに出演。 2015年3月31日、2013年の東京ドーム公演を収録したライヴ・アルバム『ライヴ・イン・ジャパン』をリリース。 2019年9月、噂されていたクラシックラインナップでのツアーは実現しなかった。後にマイケルは2018年後半にバンドから打診があったことを認めているが、その後話は途絶えたという。実際はエディの癌が再発しその治療に専念するためだったとの見方が強い。 2019年10月、エディ・ヴァン・ヘイレンが喉頭癌の治療のため、ドイツとアメリカを行き来していると報じられる。 2020年1月8日、デイヴィッド・リー・ロス、ラスヴェガスのハウス・オブ・ブルースでソロ・レジデンシー公演「David Lee Roth : Rocks Vegas」をスタート。 2020年4月現在、デイヴ及びスティーブ・ルカサーは2019年のインタビューにおいて、エディの体調が万全ではないことを認めている。度々アップされたエディの顔に浮腫が認められ、抗癌剤の副作用ではないかと憶測されている。2015年以降、バンド活動は一切行われていない。 2020年9月26日、初代ベースであるマークが癌と闘病の末逝去。同年10月6日、エディが65歳で逝去。ウルフギャング がTwitterで発表した。
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