2007年〜2009年 トヨタとの提携
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 18:13 UTC 版)
「ウィリアムズF1」の記事における「2007年〜2009年 トヨタとの提携」の解説
2007年にはトヨタと契約し、2009年までカスタマーエンジンの供給を受けることになった。AT&Tがメインスポンサーになり、チーム名はAT&Tウィリアムズ (AT&T Williams) とされた。ドライバーはロズベルグが残留し、3rdドライバーのアレクサンダー・ヴルツがレースドライバーに昇格した。最終戦のブラジルGPではヴルツのF1引退を受け、トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム出身の中嶋一貴(中嶋悟の息子)がF1デビューした。マクラーレンの失格やワークスチームの失速に伴い、最終的にトヨタを上回るコンストラクターズランキング4位を獲得した。 2008年はチーム創設30周年にあたり、シーズン中に出走500回(トルコGP)、決勝レース50000周回(スペインGP)を達成した。ドライバーは3年目のロズベルグとレギュラーに昇格した中嶋という、ヒル・ヴィルヌーヴ以来の二世コンビ。ロズベルグが2度表彰台を獲得したものの入賞の機会は少なく、コンストラクターズランキング8位に後退した。また、2009年に導入されるKERSの開発を見越してオートモーティブ・ハイブリッド・パワー社の株式を少数取得し、「ウィリアムズ・ハイブリッド・パワー」に改称してチームファクトリーに移転した。 2009年は大幅なレギュレーション変更があったが、レギュレーションの穴を突き、2層ディフューザを投入し議論の的となった。しかし、最終的にFIAから許可が出されたため他チームもこれを追随する形となった。シーズン序盤は2層ディフューザもあり、成績も序盤は上向くかと思われたが、信頼性の不足や中嶋がノーポイントに終わる不調もあり、コンストラクターズランキング7位に終わっている。今シーズンから規約で認められたKERSであったが、ウィリアムズは全F1チームの中で唯一フライホイール式のKERSを開発していた。しかし、実戦に投入されることはなかった。 トヨタとのエンジン供給契約はあと1年残っていたが、2009年10月14日にカスタマー供給の打ち切りが発表され、2009年末に契約を前倒しして終了する形となった。これに伴い、2010年に使用するエンジンはコスワースとなる事も後日発表された。 2009年12月にはウィリアムズの株式をトト・ヴォルフに少数売却したことを発表した。のちに、売却比率が全体の10%であり、フランクが63%、ヘッドが27%を引き続き所有していることが明らかにされた。 10年ほどスポンサーを務めたアリアンツが離脱・新興メルセデスGPのスポンサーとなった。
※この「2007年〜2009年 トヨタとの提携」の解説は、「ウィリアムズF1」の解説の一部です。
「2007年〜2009年 トヨタとの提携」を含む「ウィリアムズF1」の記事については、「ウィリアムズF1」の概要を参照ください。
- 2007年〜2009年 トヨタとの提携のページへのリンク