1964年 - 1970年代
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「新春かくし芸大会」の記事における「1964年 - 1970年代」の解説
1964年:「新春ポピュラー歌手かくし芸大会」(新聞のラテ欄では「新春かくし芸大会」と表記)としてスタート。対戦形式は東軍-西軍だった。西軍に藤田まこと、東軍に三木のり平という当時の東西の喜劇界を代表する看板役者をキャプテンに迎えて対抗色を演出した。この回に関しては正式な司会者を設置されず、審査員も小学生10名が務めた。放送時間は夕方で、16:45 - 17:55の70分間であった。 1965年:初めて司会進行役を設け、高橋圭三が担当した(1970年まで高橋が1人で司会)。同時に審査員もタレントや著名人を迎える形となった。キャプテンは渡辺プロダクション(以下ナベプロ)所属のハナ肇、植木等らハナ肇とクレージーキャッツやいかりや長介、加藤茶らザ・ドリフターズの面々が務め、さらに看板歌手であったザ・ピーナッツが出演するなど、番組の制作会社でもあるナベプロのカラーが強くなっていく。この年と翌1966年は初の生放送で放送時間は90分間に拡大し、土曜22時枠の『夜の十時劇場』内で放送した。この年から1980年代まで年間視聴率ランキングの上位の常連になっていた。なお1965年・1966年の両大会は23:30までの放送だが、これは歴代でも一番遅い。 1968年:放送枠が2時間に拡大する( - 1969年)。放送時間は夕方であった。 1969年:放送時間が再び夜に戻り、初の19時台での放送。 1970年:カラー放送を開始。番組タイトルが「新春スター・かくし芸大会」に改題し、放送枠も2時間半に拡大( - 1974年)、『木曜スペシャル』の第1回として放送。 1971年:芳村真理が司会に初参加、高橋・芳村のコンビ司会となる。以後15回に亘りこのコンビでの司会が続き、フジテレビの正月の顔として定着した。 1972年:TBSの『8時だョ!全員集合』放送(通常版)が元日放送になったため、1月2日に放送。元日は『スペクトルマン』・『クイズグランプリ』・『スター千一夜』・『清水次郎長(竹脇無我主演版)』・『ズバリ!当てましょう(第1期)』といった通常番組を放送した。 1975年:放送枠が3時間に拡大( - 1982年)。ザ・ピーナッツはこの回が最後の出演となる。 1976年:堺正章の個人芸が始まる(この時は「曲独楽」に挑戦)。 1977年:この年からお馴染み、ハナ肇の銅像コントが始まる(〜1993年)。1972年以来『8時だョ!全員集合』が元日放送となったため、放送日が1月3日に。この年の元日は『ヤッターマン(第1作)』(この日スタート)・『ズバリ!当てましょう(第2期)』・『欽ちゃんのドンとやってみよう!(第1期)』と、『欽ドン』特別版『お正月!欽ちゃんのまだまだやってみよう!』、翌2日は『サザエさん』・『世界名作劇場』(この年は『あらいぐまラスカル』)・『オールスター家族対抗歌合戦』などのレギュラー番組を中心に放送した。なお、1月3日の放送はこの年が唯一となる。 1978年:この年の元日にTBSで「お正月だョ!全員集合」(前日『第19回日本レコード大賞』で休止した『8時だョ!全員集合』の特別版)を放送したため、事務所の折り合いから1月2日に放送された。この年の元日は前年と同じく『サザエさん』『世界名作劇場』(この年は『ペリーヌ物語』でこの日スタート)などといった通常番組が放送された。
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