1950~1970年代
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「ソビエト連邦の映画」の記事における「1950~1970年代」の解説
1950年代から70年代までにはソ連で比較的盛んにウィリアム・シェイクスピアの戯曲が映画化されており、1955年にはセルゲイ・ユトケーヴィッチが『オセロ(ロシア語版)』を、ヤン・フリード(ロシア語版)が『十二夜(ロシア語版)』を映画化している。グリゴーリ・コージンツェフが1964年に撮った『ハムレット』と1971年に撮った『リア王』はとくによく知られている。
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1950-1970年代
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第二次世界大戦後、しばらくは実名報道の争点として、少年法第61条の扱いが注目された。 1950年の日大ギャング事件では未成年である犯人の実名を伝えた報道各社に対し、最高裁判所事務総長名で新聞協会に警告が発せられた。 1958年8月に起きた小松川高校女子生徒殺人事件でも、未成年であった犯人(および被害者)が実名で報道された。この事件を受けて日本新聞協会は最高裁側と協議を行い、同年12月に「少年法第61条の扱いの方針」を定めた。すなわち、(犯人が逃走中の場合など、社会的利益の擁護が強く優先する場合を除いて)原則として20歳未満の非行少年については推知報道をすべきでないとした。 その後も、浅沼稲次郎暗殺事件や連続ピストル射殺事件などでは少年であった容疑者の実名が報道された例外があったが、1970年代になると非行少年に対する実名報道は見られなくなった。 一方、プライバシーの権利が注目されるに連れ、私生活を暴こうと、キー局や全国紙を主としたマスコミの姿勢に対して誤報などの際に批判が聞かれるようになった。 三億円強奪事件をめぐって、1969年に犯行現場近くに住む男性が別件逮捕で取り調べを受けたが、この時多くの報道機関が実名入りで私生活を書きたてた。直後に男性は無実(冤罪)とわかり、人権侵害が問題視された(三億円別件逮捕事件)。 1974年に起きた松戸OL殺人事件において、警察の捜査方法に対する疑問があがる一方で、多くのマスコミは逮捕された男性を犯人視する報道を続けた。男性は一審で有罪となったが1991年二審で無罪と認定された。この事件は後に浅野健一らによる匿名報道論の出現につながっていく。 また、1972年に発生したあさま山荘事件の犯人として19歳少年と16歳少年の実名が報道された。
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