1950-51年(昭和25-26年)の噴火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 05:24 UTC 版)
「三原山」の記事における「1950-51年(昭和25-26年)の噴火」の解説
この噴火までは火口の北東にある標高754mの剣ガ峰が最高峰であったが、火口の南部にこれより高い三原新山ができた。噴火から2か月後に溶岩は内輪山を越えてカルデラに流れ出した。三原新山は竪坑状火孔再生に伴い、北半分が陥没して失われている。噴火そのものは中規模(噴出量数千万トン)の噴火であった。1957年(昭和32年)に火山弾によって1人が死亡、53人が怪我をした。この時、大島町役場の避難指示の対応が遅かったとして糾弾を受け、この時の記憶が1986年の噴火の際に活かされることとなった。
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