1964年 - 1967年製造車とは? わかりやすく解説

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1964年 - 1967年製造車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:51 UTC 版)

国鉄103系電車」の記事における「1964年 - 1967年製造車」の解説

クモハ103-1 - 133モハ103-1 - 159モハ102-1 - 292クハ103-1 - 114501 - 616サハ103-1 - 225の計1039両が該当する山手線向けを皮切りに首都圏線区導入された。 山手線先行投入されていた試作車では4両編成2本の8両編成組んでいたが、量産車では8両貫通編成とされたため、新形式のサハ103形追加された。京浜東北線向けは下十条電車区検修線が8両分しか確保できないため、7両+3両の10両編成を組むこととなり、1965年103系初の制御電動車としてクモハ103形投入された。クモハ103形奇数向き専用であり、編成で対となるクハ偶数向き固定されていたため、1966年より偶数向き専用としてクハ103形500番台登場している。 車体試作車とほぼ同様であるが、ウグイス色地色対す文字表記が白から黒に変更された。引き通し線は試作車101系と同じKE58形2本であったものを、量産車ではKE70形1本に変更された。 台車試作車実績踏まえた改良が行われ、電動台車DT33に、付随台車TR201それぞれ変更された。ブレーキ試作車では発電ブレーキ優先構造であったが、ブレーキ距離長くなり空転頻発したため、101系同じく発電ブレーキ空気ブレーキ併用する方式変更された。空気圧縮機試作車試用された2種類のうち、歯車直結式のMH113-C2000Mに統一された。 前照灯は、101系同じく250 Wの白熱灯1灯が装備された。白熱灯1970年昭和45年)までに製造され先頭車クハ103-1 - 179500番台900番台全車クモハ103-1 - 155)に採用されている。 1967年10月以降製造された「昭和42年本予算車」から、客用ドアステンレス製変更されており、それ以前製造され鋼製ドア車もステンレス製のものに交換されたが、改造工場時期によって窓の支持にHゴム使用したタイプ押え金具使用したタイプがあり、併用車両存在している。 クモハ103-127 モハ103-82 モハ102-273 クハ103-6 サハ103-25

※この「1964年 - 1967年製造車」の解説は、「国鉄103系電車」の解説の一部です。
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