1964年10月-1969年4月
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「国鉄157系電車」の記事における「1964年10月-1969年4月」の解説
東海道新幹線開業による1964年10月1日のダイヤ改正では東海道本線の昼行特急は全廃となったため「ひびき」充当車は同年11月1日から全車座席指定の急行「第1・第2伊豆」に転用されることになり、以下の運用体制に変更になった。 「伊豆」編成(使用1本) ← 伊豆急下田・修善寺 東京 → クモハ157 モハ156 サロ157 サロ157 サハ157 モハ156 クモハ157 + クモハ157 モハ156 サロ157 サロ157 モハ156 クモハ157 伊豆急下田編成 修善寺編成 「日光」編成(使用1本)は変更なし。 予備車 「伊豆」伊豆急下田編成1本+McM'ユニット2組+T1両 熱海で分割併合を実施し、私鉄となる伊豆急行線・伊豆箱根鉄道駿豆線に乗入れたが、伊豆箱根鉄道駿豆線の最大有効長が6両までのため、熱海以遠では修善寺編成は6両で、伊豆急下田編成は7両で運転した。また多客期には、伊豆急下田編成にMcM'ユニットを増結する場合があった。 これ以前は、クモハ157形が片渡り構造のために向かい合わせで連結することが不可能だった。そのため定期「日光」を含め1964年東京オリンピックの臨時列車として10月3日以降は同月28日まで運転の横浜 - 日光間臨時準急「特別日光」および11月4日まで運転の上野 - 日光間臨時準急「臨時日光」に改正前「ひびき」充当用サロ157形2両組込7両編成を共通運用で充当させながら、大井工場(現・東京総合車両センター)で順次クモハ157形の助士席側スカートに開口部を新設、制御用KE57A形2基ならびに三相引き通し用KE5形ジャンパ連結器を増設して両渡り構造とする改造工事が施工された。 「伊豆」および「日光」充当期間中の1966年(昭和41年)3月5日には、走行キロ100 km以上の準急列車は急行列車に格上げを行う料金制度改定を実施。「日光」も急行列車に格上げされた。 1968年(昭和43年)7月には、伊豆急下田編成1本を充当して信越本線東京 - 中軽井沢臨時特急「そよかぜ」2往復が設定された。本運用では横川 - 軽井沢ではEF63形補助機関車を連結することから、横軽対策・耐寒耐雪改造を全車に施工した。ただし、本系列による「そよかぜ」は同年8月限りのみとなり、翌9月からは181系に変更された。 「そよかぜ」編成 ← 東京 中軽井沢 → クモハ157 モハ156 サロ157 サロ157 サハ157 モハ156 クモハ157 1968年10月1日のダイヤ改正では、以下に示す列車愛称の整理が行われた。 同一区間の運転系統を持つ列車に関しては愛称を統一する。 上記列車の運転本数が1往復を超える場合は、「○○1号」・「○○2号」の番号区分に統一する。 そのために本系列充当列車の「日光」は「下り3号・上り2号」に、「第1・第2伊豆」は「下り1・8号・上り3・8号」への変更が行われた。
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