15-17世紀とは? わかりやすく解説

15-17世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 20:46 UTC 版)

ハーレフ城」の記事における「15-17世紀」の解説

1400年9月オワイン・グリンドゥール(オウェン・グリンドゥル)の率いイングランド支配対す反乱発生した1403年まで、ハーレフなどほんの一握り城塞がなお反乱軍抵抗していたが、城は包囲攻撃耐えるための装備が不十分でかつ要員不足であり、駐屯隊には、盾3枚、兜8頭、ランス)6本、手袋10組、それに銃4丁しかなかった。1404年、城はグリンドゥールのものになったハーレフ4年間、グリンドゥールの居住地一家住居ならびに軍事司令部となった。グリンドゥールは1405年8月ハーレフ第2次議会開いた1408年イングランド軍は将来ヘンリー5世指揮のもと、ハーレフとその指揮官エドマンド・モーティマー包囲して大砲による砲撃敢行し、外壁南・東一部破壊と見られる。この城取り不成功となったヘンリー包囲攻撃責任者ジョン・タルボット残しアベリストウィス城の対処移行した物資がいよいよ不足し、またモーティマーならびにその部下多く極度疲労亡くなると、ハーレフ1409年2月落城した。 15世紀に、ハーレフランカスター家ヨーク家対抗派閥の間で勃発した薔薇戦争として知られる一連の内戦巻き込まれた。1460年ノーサンプトンの戦いのすぐ後、王妃マーガレットは城に逃れ、そうして1461から1468年にはウェールズ反攻拠点となり、城はマーガレットランカスター支持派により、ダフィッド・アプ・イエアン (Dafydd ap Ieuan) の指揮のもと、ヨーク朝エドワード4世対抗して保守されていた。その自然の防御および海による補給路のおかげでハーレフ持ちこたえる同時に、他の要塞地が陥落するにつれ、ついにはランカスター派支配下にある最後主要拠点となった。城は地方一帯軍事基地になり、1464年作戦立案されると、1466年にリチャード・タンストール (Richard Tunstall) がハーレフからの攻撃開始し1468年にはジャスパー・テューダーフランス援軍とともに上陸すると、デンビー(英語版)の町を襲撃したテューダー登場により、エドワード4世ウィリアム・ハーバート英語版)に、多分総勢1万人もの軍隊動員して、ついに城を掌握するよう命じたヨーク派ペンブルック伯ハーバートの軍に包囲され、およそ1か月包囲攻撃の後、要塞の小守備隊1468年8月14日降伏した。この包囲戦が「メン・オブ・ハーレフ(英語版)」の歌に思い吹き込んだ評されている。 17世紀清教徒革命では、イングランド内戦1642年チャールズ1世国王派議会派の間で勃発したハーレフはどうやら1468年包囲戦の後修繕されておらず、地元巡回裁判所使用されゲートハウス除いて完全に荒廃していた。1644年プリンス・ルパート地元国王派であるウィリアム・オーウェン大佐城守任命しオーウェン防御設備修復任された。1646年6月から議会派軍に包囲され44人の守備隊がトマス・マイトン(英語版少将降伏する1647年3月15日まで長い包囲続いたハーレフ城はその戦争最後に陥落した本土の王の牙城であり、その日第一次内戦終局ともいえる。城はもはや北ウェールズ防衛のために必要ではなく国王派にこれ以上使われることのないよう議会はその廃城 (slighting)、 もしくは破壊命じた。しかし、その命令部分的に実施さただけで、ゲートハウス階段破壊されて城はおおむね使い物にならなくなったが、それが全体的に取り壊されたわけではなかった。城の石材現地の町の住宅建てるために再利用された。

※この「15-17世紀」の解説は、「ハーレフ城」の解説の一部です。
「15-17世紀」を含む「ハーレフ城」の記事については、「ハーレフ城」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「15-17世紀」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「15-17世紀」の関連用語

15-17世紀のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



15-17世紀のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのハーレフ城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS