17世紀後半〜18世紀前半
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 15:48 UTC 版)
「赤木名城」の記事における「17世紀後半〜18世紀前半」の解説
1609年の琉球侵攻の際に島津軍が笠利湾を訪れ、これ以降赤木名を拠点に薩摩藩の統治下に置かれる。赤木名城の城跡も整備され現在の形になる。当時の物品として肥前の陶磁器などが出土している。秋葉神社・観音寺はこの時期に建立され、また菅原神社も幕末には存在していたことが確認されており、聖地としての性格を考えるにあたって重要な時期である。
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