17世紀初頭以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/27 03:23 UTC 版)
1620年フレーズの長い歴史は終了し、肩の上に折り返した大きな衿が取って代わり、男女を問わず流行した。 軍人も甲冑の上にすばらしいレースをつけて肖像画を描くことをためらわなかった。 1630年代の市民の間では、男性のシャツに手を半ば隠すほどの幅広いレースのカフスをつけ、大きく折り返したブーツの上にもレースを重ねた。肩帯や、手袋・ふくらはぎ・靴のフリンジにも金レースを、キュロットの縫い目にも金レースをつけた。 1630年から1650年の間、女性はあまりレースをつけなかった。特に、既婚女性は殆ど白のシンプルな布で作られたレースの縁取りの衿またはバーサ衿 (両肩に垂れかかるレースの衿) とお揃いのカフスなどがの唯一の装飾であった。 子供達にも大人と同じようにレースを身につけ、7歳までは男女の服は区別なかった。 1650年頃バロック趣味が装飾芸術にも影響を与え、重厚なレースを男性が身に着けた。 1654年に即位したルイ14世は、折り返った衿と揃いのカフス、ズボンのすそを隠すラングラーヴ(小さなスカート)、膝周りの飾りカノンなどを流行させた。グロ・ポワン・ド・ヴニーズを身に着けずに王宮には入ることができなかった。1667年の王室の家具目録によれば、王がヴェルサイユの大運河を散策に使用する小船のアルコーヴのカーテンは、グロ・ポワン・ド・ヴニーズであった。 宮廷の女性たちは、グロ・ポワン・ド・ヴニーズの男っぽさを巧みに利用した。グロ・ポワン・ド・ヴニーズの肩の周りやスカーフとして身につけた。両側ではしょり上げられたスカートからは、グロ・ポワン・ド・ヴニーズのペティコートが見えた。 1670年代、ポワン・ド・フランスの価値が認められ、大きなフリル飾りを特徴とするフランス宮廷の公式なスタイルとなった。大きな構図のレースが壁飾り・家具の装飾・高位聖職者の祭服の裾に使われた。 ポワン・ド・フランスの登場以降、ヴェネツィアのレース商人の在庫目録には、1671年にすでに、コルベール風レースがその店の最高金額商品として登場していた。 1970年~1990年頃には、ポワン・ド・フランスの大きなフリルは、ルイ14世の画家、ゴブランと王立家具製作所の所長であったシャルル・ルブランの影響を受けていた。この時代の全ての装飾美術はフランス宮廷の公式なスタイルと一致していた。ポワン・ド・フランスの幅広い襞飾りは質が高く非常に個性的で、厳密な意味でのエレガンスを示している。 1680年に登場したポワン・ド・ネージュはヴェネツィアが創作した最後のレースであった。レースのテクニックの中でも最もすばらしい、真似のできないものの一つであった。
※この「17世紀初頭以降」の解説は、「ニードルレース」の解説の一部です。
「17世紀初頭以降」を含む「ニードルレース」の記事については、「ニードルレース」の概要を参照ください。
- 17世紀初頭以降のページへのリンク