17人会とカーメル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 06:45 UTC 版)
「オランダ東インド会社」の記事における「17人会とカーメル」の解説
詳細は「17人会」を参照 設立経緯および正式社名の「連合」の文言通り、VOCは前身となった各貿易組合の後裔である6つの支社/分社である「カーメル」の集合体だった。これは当時のオランダ、つまりネーデルラント連邦共和国が、『強力な中央政府をもたない連邦国家であったことを反映して「国家内の国家」とでもいうべきその縮図として成立し』ていたと言える。 このため、会計単位も経済活動の主体も各カーメルごとに分離しており、相互の財務的な連携も不十分で、統一的な会計処理は会社の解散までなされなかった。 VOCの経営陣は各カーメル出身の73人の取締役(Bewindhebbers)で発足し、取締役の定員は約款で60人と定められ、自然減を待って補充された。 最高経営機関は構成員の人数から17人会と呼ばれていた。構成する取締役の任命権は各カーメルの活動規模および設立時の出資金の大小によって定められていた。出資金および人数の割り当ては以下のようになっていた。 カーメル出資金 (単位:ギルダー)役員数アムステルダム 3,679,915 8 ゼーラント 1,300,405 4 エンクハイゼン 540,000 1 デルフト 469,400 1 ホールン 266,868 1 ロッテルダム 173,000 1 総計:6,424,58816となっていた。最後の一人はアムステルダムを除いた他カーメルの持ち回りで任命されることになっており、アムステルダムが単独過半数を得ないようになっていた。 17人会の会合は最初は年2回、後には年3回行われるようになった。開催地は8年サイクルで決まっており、6年間アムステルダムで開催されたのち、2年間はミデルブルフ(ゼーラント)で開催された。毎年、17人会では輸入する商品リストを作成し、経営に関する重要事項、配当や交易船団の規模、アジア向けの商品の量(金と銀を含む)、商品販売のためのオークションの日程と各カーメルごとの出品枠などの決定がなされていた。 17人会はその活動を支援する下部組織を持っていた。このうち、ハーグ市に置かれたハーグ委員会は東インド地域との書類の往来を管理し記録するという重要な役割を担っていた。
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