国王派に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 22:37 UTC 版)
「トマス・ウェントワース (初代ストラフォード伯爵)」の記事における「国王派に」の解説
ウェントワース取り込みに腐心していた国王は、ウェントワースを1628年7月22日にウェントワース男爵(英語版)、同年12月13日にウェントワース子爵に叙し、さらに12月25日には北部評議会議長(英語版)に任じた。さらに同年8月にはこれまでウェントワースが強く批判してきたバッキンガム公が暗殺された。これによりウェントワースは政府への態度を軟化させていき、国王と議会の調停役になり、ついには国王派に転じることになった。 1629年には枢密顧問官に任じられる。 1629年3月に議会が停会された後、国王は1640年まで議会を開かず、親政を開始した。その親政下において権力を握ったのがウィリアム・ロードとウェントワースだった。しかしウェントワースが中央の実権を握ったのは1639年9月から1640年に議会が再開されるまでの親政最末期だけであり、大半の期間はロードが実権を掌握していた。 北部評議会議長としてイングランド北部を統治したが、王権に背くものを徹底的に弾圧した。後のクラレンドン伯爵エドワード・ハイドはその統治を「北部を専制的権力の海に沈め、人々を社会不安、抑圧、貧困の迷路に引きずり込んだ」と表現している。 1631年には2人目の妻を亡くして翌1632年にエリザベス・ローズと結婚した。
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