国王第一の寵姫へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 06:11 UTC 版)
「モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス」の記事における「国王第一の寵姫へ」の解説
1641年、名門貴族モルトゥマール公爵ガブリエル・ドゥ・ロシュシュアール(英語版)の娘として生まれ、1660年に王妃マリー・テレーズの侍女となる。1663年にモンテスパン侯爵ルイ・アンリ・ドゥ・パルダヤン・ドゥ・ゴンドランと結婚、同年にマリー・クリスティーヌ(英語版)を、1664年にルイ・アントワーヌ(英語版)を生んだ。 1666年、ルイ14世の母后アンヌ・ドートリッシュの追悼ミサで、フランソワーズはルイ14世と知り合った。当時、夫のモンテスパン侯爵は遠隔地のルーシオンに駐屯していた。野心家のフランソワーズは、なんとか国王の寵姫になりたいと、以前から機会を窺っていたのであった。この年、彼女は王の寵姫になった。 ルイ14世は、金髪に青い瞳の豊満な美女で、快活で才気があり、優れた話術と機知と辛辣なユーモアを持ったフランソワーズに急速に惹かれていった。しかし、依然として王は、フランソワーズより先に寵姫となったルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールを深く愛していた。気性が激しく、権力欲が強いフランソワーズは、国王第一の寵姫にふさわしいのは自分だと思い、ルイーズに強い競争意識を抱いた。1667年のネーデルラント継承戦争の戦地に国王と同行する侍女のリストにルイーズの名前がなく、自分の名前を見た彼女は勝利を確信した。フランソワーズはルイ14世第一の寵姫となった。
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