国王軍との和平とは? わかりやすく解説

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国王軍との和平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 04:21 UTC 版)

清教徒革命」の記事における「国王軍との和平」の解説

カトリック同盟は自らの名分として「神のため、王のため」立ったとした。したがって国王軍との和解協力既定路線になるはずであったが、国王派中にはカトリック快く思わない者も少なからず存在しており、同盟側にも国王敵視する勢力があり、交渉難航きわめた当初チャールズ1世カトリック同盟敵視せざるを得なかった。国王派国教会与しており、カトリックを嫌う者も多かったためである。そのため一時アイルランドに兵を差し向けたが、議会軍との戦闘が始まると、アイルランドどころではなくなり和平に傾いた。チャールズ1世委任受けてカトリック同盟交渉当たったのはアイルランド軍司令官反乱鎮圧当たったオーモンド侯ジェームズ・バトラーで、アイルランド貴族ありながらステュアート朝プロテスタントとして養育されストラフォード伯の下で従軍したこともある経験と、カトリック同盟にも旧知縁者が多い人脈買われた。1643年9月15日両者はまず休戦続いて11月13日アイルランド総督任命されオーモンド侯カトリック同盟和平交渉取り組んだ。 しかし和平交渉はようやく1644年始まったものの両者要求紛糾して進まなかった。特に国王側はカトリック教会財産保持認めず国教会返還するよう要求したが、聖職者影響力が強いカトリック同盟には応じられるものではなかった。カトリック同盟カトリック刑罰撤廃要求双方要求実現難しいため暗礁に乗り上げたチャールズ1世介入もあって話はややこしくなり、グラモーガン伯エドワード・サマセットチャールズ1世密使としてアイルランド行き1645年7月到着するオーモンド侯出し抜きカトリック同盟軍事援助秘密条約を結ぶことを画策した。さらに悪いことに、同年11月アイルランド赴任したローマ教皇インノケンティウス10世特使ジョヴァンニ・バッティスタ・リヌチーニ(英語版)はアイルランド対抗宗教改革実現することを望む強硬派で、カトリック同盟オーモンド侯交渉反対、グラモーガン伯に接触しながらもそれぞれの交渉破棄することを計画和平交渉決裂する危険が高まったカトリック同盟オーモンド侯交渉加速するのは1646年3月国王軍拠点チェスター陥落してからのことである。3月28日それぞれの要求先送りする形で和平条約調印したが、この条約は遅きに失した勝利をおさめつつある議会軍はカトリック敵視していたからである。一方のグラモーガン伯は秘密条約締結失敗しオーモンド侯逮捕されたが、条約調印めぐってカトリック同盟内で抗争がおこり、リヌチーニに扇動されオーウェン軍人聖職者中心とした反対派反乱起こし条約賛成派投獄されるという事件も起こった。リヌチーニが主導権握ったカトリック同盟条約破棄したが、やがてリヌチーニは独裁批判され失脚条約賛成派復帰し改め1649年1月オーモンド侯和平条約結んだ(リヌチーニは2月アイルランド離れた)。条約内容最初の頃と変わらないため、外部人間招いた無用な混乱3年無駄な時間過ぎたことになるが、そうこうしているうちにチャールズ1世断頭台の露と消えクロムウェル率い共和政府軍が迫ってきていた。

※この「国王軍との和平」の解説は、「清教徒革命」の解説の一部です。
「国王軍との和平」を含む「清教徒革命」の記事については、「清教徒革命」の概要を参照ください。

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