辛辣なユーモア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/16 07:40 UTC 版)
「ピエール・デプロージュ」の記事における「辛辣なユーモア」の解説
上記のとおり、「何もかも笑い飛ばしていいが、誰彼なく笑いの種にしていいわけではない」というデプロージュの言葉は、彼のユーモリストとしての姿勢を最もよく表わす言葉としてしばしば引用される。先の「公然たるたわごとの裁判」で極右政党「国民戦線」の初代党首ジャン=マリー・ル・ペンをゲストに招き、被告席に立たせたとき、デプロージュ「検察官」は、「ユーモアが絶望の遠回しな表現であるとしたら、笑いが、あらゆる宗教・宗派の信心に凝り固まった連中が下品だ、悪趣味だと非難するような神聖冒涜であるとしたら、そしてこのような笑いが、神聖視させてきた愚行を暴き、真の悲しみを拭い去り、死ぬほどの苦悩と闘うことだとしたら、そうだ、我々はすべて笑い飛ばしていいし、笑い飛ばさなければならない」と訴えている。 さらに、「笑いとは感情のはけ口である。他人の感情を害するようなことを笑いの種にしてはいけないと言う人がいるが、私には理解できない。笑い飛ばした方が心の痛みは少ないはずだ。夏の終わりにものすごく好きだった人が癌で亡くなった。だけど、癌なんて笑い飛ばさなければならないものだ。イヴ・モンタンを笑い飛ばすのと同じように。私が癌を話のネタにするとき、私は自分にとって身近なものについて話しているのであって、他人が大事にしているものについて話しているのではない」と説明している。 こうしたユーモアの特徴から、彼の個人主義、人生を楽しむ快楽主義、アンチコンフォーミズム(反体制順応主義、反体制)を指摘し、「右派の無政府主義者」と言う者もあるが、彼が挑発を好むのは社会の既成概念を打ち破るためであり、そう簡単に分類できるものではなく、実際、かなりきわどい話題も容赦なく、しかも非常に巧みに扱っている。たとえば、1983年にラッツィンガー枢機卿(後のローマ教皇ベネディクト16世)がテレビ局「アンテーヌ2」(「フランス2」の前身)でのユーモリストらによる宗教批判について非難したとき、デプロージュは枢機卿宛に公開状を書き、カメラの前で読み上げた。彼はこの公開状で「アンテーヌ2」の日曜の宗教番組(特に日曜のミサの生中継)を批判し、さらに「私は言葉をよく選んで書いているつもりだが、ドレス(法衣)をまとった宗教団体がグロテスクな呪いを唱えながらデモをするせいで、こんな言語道断な行いをせず、信心に凝り固まることなく、たわごとをまくしたてることもめったにない少数派の無神論者が軽蔑され、嘲弄されている」と容赦ない言葉でやり返し、最後に「この手紙のコピーを一部『神』宛に転送しよう、厄介なことになるぞ」と書き添えている。
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