『ロロール』の記者からテレビ界デビューへ
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「ピエール・デプロージュ」の記事における「『ロロール』の記者からテレビ界デビューへ」の解説
デプロージュはやがて知り合いのつてで『ロロール (L'Aurore)』の記者の仕事を得たが、間もなく上司のジャック・ペリエに嫌われ、解雇された。同じ出版グループの競馬新聞『パリ競馬 (Paris Turf)』の記者になったが、今度はジャック・ペリエが解雇されたため、後任のベルナール・モロ (Bernard Morrot) に呼び戻され、辛辣なユーモアを交えて最新情報を提供する短いコラムを担当することになった。デプロージュはこのコラムを「轢き殺された猫のコラム」と名付けたが、彼の挑発的で場違いなユーモアに腹を立てた読者から抗議の手紙が殺到した。助け船を出したのはフランソワーズ・サガンだった。彼女は、「私は『ロロール』は読まないけれど、毎朝、デプロージュのコラムだけ読むために買っている」と書いた手紙を編集部に送ったのである。 さらに新聞からテレビにも活動の場を広げることになり、TF1のジャック・マルタン (Jacques Martin) の日曜の風刺テレビ番組「チクリ屋 (Le Petit Rapporteur)」に俳優・ユーモリストのダニエル・プレヴォ (Daniel Prévost) とともに出演することになった。
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