国王派連合の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/03 21:52 UTC 版)
「クロムウェルのアイルランド侵略」の記事における「国王派連合の崩壊」の解説
5月、チャールズ2世は父(チャールズ1世)がカトリック同盟と結んでいた同盟を破棄した。これはカトリック同盟よりもスコットランドの国民盟約との同盟を選んだためである(ブレダ条約(英語版)も参照)。これはオーモンド侯のアイルランドにおける国王派の長としての地位を完全に引きずり下ろす形になった。 クロムウェルはアイルランドのプロテスタント系国王派に対して寛大な降伏条約を提示し、結果多くが降伏もしくは議会派側へつくことになった。これによりアイルランドにはアイルランドカトリック兵の残党と、徹底抗戦の構えを崩さない少数のイングランド人国王派だけが残ることになった。また、先述の点から、司教や聖職者を含む多くのアイルランド人カトリック教徒には、なぜオーモンド侯の主君である国王が自分たちとの同盟を拒否したこの期に及んでも、彼がリーダーであることを認めているのかという疑問が出た。5月、クロムウェルは第三次イングランド内戦(1649年 - 1651年)においてスコットランドの国民盟約と戦うためにアイルランドを去り、指揮権は副司令官アイアトンに移された。
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