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メトロ・ゴールドウィン・メイヤー

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メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
Metro-Goldwyn-Mayer Inc.
A Goldwyn Picture.jpg
本社所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ビバリーヒルズ
設立 1924年4月17日
主要株主 MGMホールディングス
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メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(Metro-Goldwyn-Mayer Inc., MGM)はアメリカの巨大マスメディア企業。主に映画テレビ番組の製作・供給を行う。

歴史

「MGMスタジオ」成立

『ブロードウェイ・メロディ』

1924年、3社の映画スタジオが合併し「MGMスタジオ」が成立。MGMの名前の由来は、その3社の頭文字を取ったもの。「メトロ・ピクチャーズ・コーポレーション」(1915年創業)、サミュエル・ゴールドウィンの「ゴールドウィン・ピクチャーズ」 (1917年創業)、ルイス・B・メイヤーの「ルイス・B・メイヤー・ピクチャーズ」(1918年創業)の3社。

親会社は当時最大の劇場チェーン「ロウズ」社だったために財力に恵まれ、製作も豪華主義で、設立当時から業界トップの地位を約束された。さらに同社を潤わせたのは「ボーイ・ワンダー(神童)」と謳われたアーヴィング・タルバーグの存在である。心臓疾患を持ちながら24時間編集室を出ないという働きぶりで、総帥ルイス・B・メイヤーと組んで初期作品を一手に手がけた。しかし37歳で1936年に早世した。

最初期のミュージカル映画『ブロードウェイ・メロディ』が大ヒットし、その後も多数の所属スターによる豪華なキャスティングや豪華なセットと衣装、そして音楽をつぎ込んだ「大作主義」でミュージカル映画全盛期の1950年代まで隆盛を極めることとなる。

全盛期

その後メイヤーがスタジオに独裁体制を敷くことになる。1930年代には「芸術のための芸術」をモットーに、ライオンが咆哮するトレードマーク「レオ・ザ・ライオン」が生まれた。

メイヤー体制下のMGMはジーン・ハーロウロバート・テイラーグレタ・ガルボノーマ・シアラージョーン・クロフォードクラーク・ゲーブルジミー・デュランテをはじめとする多数の大スターを擁し、「空の星の数よりも多いスターたちがいる」がキャッチフレーズだった。またメイヤーは同時に子役スターの育成にも力を入れ、ミッキー・ルーニージュディ・ガーランドなどの子役を発掘、育成し自社のファミリー向け作品の主役に抜擢、スターに育て上げた。

また、1939年9月に勃発し、1941年12月からアメリカが参戦した第二次世界大戦時には、メイヤーの主導でイギリス女優グリア・ガーソンなどが主演した戦時プロパガンダ的な作品を多数製作し、銃後からアメリカ政府や連合国を支援した。

第二次世界大戦終結後の1946年には、レコード事業に参入する(MGMレコード)。ハンク・ウィリアムスコニー・フランシスハーマンズ・ハーミッツなどのスターを生み出すが、ロックンロール全盛の波に乗れず1972年ポリグラムへ売却した。

衰退

その後、巨大になりすぎた社の、豪華な「大作主義」を中心とした方針は、当時人々の人気を掴んでいた「アメリカン・ニューシネマ」という時代の流れに折り合わず、1960年代辺りから次第に衰退。1973年には配給部門を整理し、ユナイテッド・アーティスツ」(UA)が配給権を掌握した(日本公開はCIC=のちのUIPが委託)。しかしUAは『天国の門』の大失敗で経営破綻し、1981年にMGMが逆にこれを吸収して「MGM/UA」になった。

かつてMGMはロサンゼルス・カルヴァーシティーに巨大なスタジオを所有していたが、1970年にスタジオの敷地を一部売却。売却された土地はその後高級住宅地に生まれ変わった。現在、残された敷地をソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント(SPE)がスタジオとして使用している。

経営権移動

1986年にはテッド・ターナー率いる「ターナー・ブロードキャスティング・システム(TBS、現在はワーナーメディア傘下)」傘下になり、この時にMGM(1986年5月23日以前の旧作)・ワーナー(1950年1月1日以前の旧作(ただし、ワーナー・ブラザース・カートゥーン英語版(カラー作品のみ)における1948年8月以前の旧作とハーマン=アイジング製作によるメリー・メロディーズの作品を含む))・RKOアソシエイテッド・アーティスツ・プロダクション英語版(a.a.p.)製作の旧作の版権の大部分(『オズの魔法使』・『風と共に去りぬ』・『トムとジェリー』・『ビクター/ビクトリア』など)がターナー・エンターテイメントに移され、版権が残されたのはUA製作の作品(『お熱いのがお好き』・『噂の二人』・『ロッキー』など)および少数のMGM作品(『野郎どもと女たち』・『昼下りの情事』・『007 美しき獲物たち』など。MGM/UA名義の作品はUA作品の続編(『007』シリーズなど)のみMGMに残されたが、『ポルターガイスト』シリーズのように版権が分断されたものもある)となった。

しかしターナーの取引銀行はMGMの巨額の負債を理由にこの買収を支持しなかったため、実質UAの後継会社となった「MGM/UA」を買収から74日後に再度カーコリアンに売却した。さらに1990年代初頭はオーナーの交代が相次ぎ、1996年に前社長で大投資家のカーク・カーコリアンが株を買い戻し、元のMGMに復帰。1997年に、復興後のオライオン・ピクチャーズを傘下に収めた。

2005年には、ソニーを始めとする投資家グループ(コンソーシアム)がMGM/UAを約6,000億円で買収(ソニーのMGM所有権は20%で非連結である)。北アメリカ市場においてMGMとUAの映画はソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント (SPE)が配給・DVD発売をしていた。しかし2006年にアメリカでは自社配給に改め、20世紀フォックスからDVDを発売するようになった(SPEとの共同製作品を除く)。日本では20世紀フォックスが劇場配給やDVDの発売を行っていた。なお、アップルiTunesによる映像の配信は、他の資本から独立して行われていた。

ソニーの資本が入っていた2005年から2015年までの間には、UA作品の続編・リメークを中心にSPEとの合作が頻繁に行われた(『ロッキー・ザ・ファイナル』、『ピンクパンサー』(2006年版)、『007 カジノ・ロワイヤル』(2006年版)、等)。20世紀フォックスとSPEの、どちらが配給/DVD発売するかは作品毎に決めていた。

2006年11月には、UAのトップに人気俳優のトム・クルーズと、パートナーのポーラ・ワグナーが就任。「新生UA」として2007年から映画製作を開始したが、数本の映画を製作したのみで、2008年8月に退任した。

2010年4月20日には経営難を理由に2011年公開予定であった007シリーズ第23作目『007 スカイフォール』が2012年に公開された。2010年3月には約37億ドルの負債返済延期を決定しており、タイム・ワーナー(現:ワーナーメディア)をはじめとする同社の買収に複数のオファーがあったが不成功に終わっている。コンソーシアム傘下になり経営再建が急がれていたが、2010年10月29日、債権者による投票で採択された再建案により、米連邦倒産法第11章の適用を申請。事前調整型の法的整理により、結果米国の投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメント傘下の新興映画制作会社スパイグラス・エンターテインメントの支援で再建を行った。

現在

2015年11月に、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント との契約が終了し、資本関係が解消された[1]。また、2017年3月には、アンナプルナ・ピクチャーズとの間で、長期に渡る配給と共同製作の契約を結んだ事が発表された[2]。2018年夏に20世紀フォックスに変わり、「Bond25」の世界配給を担当するユニバーサル・ピクチャーズがホームエンターテイメント部門の販売を継承することになった。(時期は未定)

主な映画

1920年代

1930年代

1940年代

1950年代

1960年代

1970年代

1980年 - 1985年

↑ここまでは現在タイム・ワーナーが版権を保有(注釈付きを除く)↑

1986年以降

レオ・ザ・ライオン

1924年の創業当時からライオンがほえるオープニングロゴを使用、「レオ・ザ・ライオンLeo the Lion)」の愛称で親しまれている。一時期ライオンのシルエット静止画を意匠としたものも使われた(『グラン・プリ』・『2001年宇宙の旅』で使用)が、すぐに元に戻している(MGMレコードのロゴにも使われた)。

パロディとして使われることも多い。一例として『トムとジェリー』では、チャック・ジョーンズ期のオープニングでライオンのかわりにトムがほえるというものがあったり、ジーン・ダイッチ期の一部作品でもジェリーが同様のまねをしている。またMGM作品以外にも『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』では、凶暴なジャイアンが冒頭でライオンの代わりにほえており、バラエティ番組の『内村プロデュース』ではメインMCの内村光良がライオンの代わりにほえるオープニングが一時(2005年4月25日放送分から最終回まで)使用されていた。タケモトピアノのテレビCMでも最後に財津一郎がバージョンごとに異なる一言を言う際に使われている。『ざわざわ森のがんこちゃん』の20周年でも、BGM中に吠える。この他、『ポケットモンスター』でピカチュウが鳴いたり(「ピカチュウのドキドキNG大賞」では吠える)、『それいけ!アンパンマン』で、ばいきんまんがライオンの鳴き声を真似て吠え、『銀魂』、『Dr.スランプ アラレちゃん』などでも、パロディシーンが出てくる。

主要子会社

関連項目

脚注

外部リンク


ヤマハ・MG-M

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/13 05:41 UTC 版)

MG-M(エムジー・エム)は、ヤマハが開発・発売した、日本ロックユニットであるB'zのギタリスト、松本孝弘モデルのエレクトリックギターである。

概要

ヤマハ MG-Mはヤマハが同社のMGシリーズをベースに松本孝弘に製作したシグネイチャーモデルエレクトリックギター。TM NETWORKサポート時代の1988年にT'S TOYS(孝弘の玩具)とプリントされた黒、B'zデビュー後、白のプロトタイプを使用し、初期のライブからブルーサンバーストをメインで使用する。1990年から1993年頃まで使用していたMG-MII、ネックのグリップ形状等がギブソンレスポールを意識したMG-M Custom等が存在する。MG-MIIからはロック式トレモロが採用され、グラフィックペイントのモデル、サスティナー搭載モデル、ダブルネックなど多くのMG-Mが製作された。

重量が軽く(MG-M Customはレスポールを意識したため重い物も存在する)、取り回しが良いため当時多くのギタリストに愛用された。レスポール等を使用することが多くなった松本が今でもレコーディングでMG-Mを使用していることからも、MG-Mが良質なギターであることが判る。

また、FENCE OF DEFENSE北島健二が、MG-M CUSTOMを基に制作されたシグネイチャーモデル「MG-M CUSTOMPro」をメインで使用している(市販はされていない)。

MG-Mは市販もされたが2013年6月現在、生産されていない。

市販モデル一覧

  • MG-M 販売期間:1989年10月~1992年 定価65000円
    バスウッドボディ、ロングスケール・メイプル22F (648mm)、色はブルーサンバースト。ブリッジは固定式でトレモロアームはついていない。
  • MG-MII 販売期間:1990年10月~2002年 定価75000円
    フロイド・ローズ式のトレモロユニット『Rockin'Magic-ProII』を採用。他はMG-Mと同仕様。
  • MG-MIIG 販売期間:1991年10月~2002年 定価85000円
    ピックアップのハムを"FORCUS"-SH1T (Ceramic) から"LIVE"-GH1 (AlnicoV) へ変更。色は紫と黒の"NEON-LIGHT"Graphic。
  • MG-MIII 販売期間:1993年11月~1996年 定価88000円
    ボディの角が丸みを帯びた形状から角ばった形状へ変更、ミディアムスケール (628mm)、ピックアップはセンターを無くし2ハム化 ("LIVE-GH1" "LIVE-GH6")、色はゼブラフィニッシュ。
  • MG-M Custom(ハードケース付き) 販売期間:1993年11月~1996年 定価220000円
    当時松本が使用していたものと同じスペックで販売。
    ボディは、メイプル+スプルース+メイプル+マホガニーの4層構造、ネックはメイプルとマホガニーの5層構造でセットネック、ジャンボフレット、指板にバインディングあり。ピックアップはYGDH-5B(ディマジオ PAF)、YGDH-6B(ディマジオ TONE ZONE)を前後共にダイレクトマウント。ブリッジはRockin'Magic-ProIII。ペグやブリッジなどのハードウェアがこのモデルだけのミラーブラック。

また、これらの他にもイケベ楽器がヤマハにオーダーしたHMG-IIIZFというモデルも存在する。

  • HMG-IIIZF 販売期間:1995年頃 販売価格68000円
    MG-MIIIと同様のゼブラフィニッシュではあるが、ボディがメイプルトップ・バスウッドバック仕様、ハードウェアはクロームカラー、ポジションマークはドットタイプになっているなどの違いがある。

モデル一覧と代表的な使用作品

  • MG-M prototype Black "T'S TOYS"(1988年)
  • MG-M prototype WHITE (1989年)
    BAD COMMUNICATION』PV等で使用。
  • MG-M BLUE (1989年)
  • MG-MII prototype purple(1990年)
    『LIVE-GYM BREAK THROUGHTOUR』で使用。カーリーメイプルトップ、マホガニーバック仕様。
  • MG-MII BLUE (1990年)
    RISKY』で使用。所有機3本の内2本がPleasure'93で演奏され、爆破された。残りの1本がPleasure2008で演奏された「だからその手を離して」で使用された。
  • MG-MIIG Neon (1991年)
    LADY NAVIGATION」「ALONE」「BLOWIN'」 で使用。プロトタイプの為、紫色のラインが市販品よりも太い。
  • MG-M CUSTOM NATURAL (1992年)
    '92 Live "RUN" で使用。12フレットのインレイがチョーカーになっている。
  • MG-M CUSTOM ZEBRA (1993年)
    JAP THE RIPPER」で使用。2本製作され後に1本はサスティナーを搭載する改造が施され2003年頃までレコーディングで使用されていた。もう1本はGLAYTAKUROに譲っている。
  • MG-MIII ZEBRA (1994年)
    廉価版。ゼブラの白色に淡い緑色が付け加えられている。本人は使用していない。
  • MG-M CUSTOM Red Sunburst (1994年)
    「B'z LIVE-GYM '94 "The 9th Blues"【PART 2】」「love me, I love you」レコーディングで使用。キルトメイプルトップ、マホガニーバック仕様。イケベ楽器特注品。
  • MG-M CUSTOM Black Burst (1994年)
    「B'z LIVE-GYM '94 "The 9th Blues"【PART 2】」】「love me, I love you」ジャケット「LOVE PHANTOM」レコーディング、'95 Live "BUZZ!!"で使用。ボディにもバインディングが施され、マッチングヘッド、レスポールと同じ三点スイッチ仕様になっている。同仕様の物が2本製作された。
  • MG-M CUSTOM Double Neck
    日本文化好きなヤマハUSAのビルダーが製作。ピックアップはHSHレイアウトで指板にはビルダーの趣味で「大五郎」の文字や侍のインレイが施されている。

関連項目



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