黒谷和紙用途の変遷とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 黒谷和紙用途の変遷の意味・解説 

黒谷和紙用途の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:25 UTC 版)

黒谷和紙」の記事における「黒谷和紙用途の変遷」の解説

黒谷古来生産されてきた和紙は、主に半紙傘紙であった渋紙襖紙障子紙などに用いられた。やがて、文庫紙包装紙雲龍紙などがそこに加わった明治期以降洋紙との競合機械化による実用紙の大量生産により、全国的に手漉き和紙産地打撃を受けるが、黒谷和紙伝統的な手漉き和紙技法活かして変遷重ねつつ、苦境乗り越えてきた。 明治時代には京都府内の各地養蚕盛んになり、その関連商品生産するようになった1896年明治29年)、綾部市創業した郡是製糸会社(現・グンゼ株式会社)からは生糸包装紙産卵紙や繭袋紙などの注文を受け、大正時代には黒谷生産する和紙の6割がグンゼ納められた。黒谷和紙の繭袋は、袋外側和紙キハダ煮汁をしみ込ませて防虫効果施したもので、『紙漉旅行記』を著した寿岳文章その手触り品位著書のなかで絶賛した1917年大正6年)には大日本帝国陸軍携帯食である乾パン入れ紙袋として最高の評価を得、その生産引き受けた地産100パーセント割合漉いていた黒谷和紙強度評価されたという。軍の依頼黒谷経済をおおいに潤しこの頃黒谷集落全盛期であった江戸時代以前から生産してきた傘紙は、1955年昭和30年)頃まで丹後丹波一帯広く使用されていた。近隣の他の産地例え宮津市畑でも傘紙漉いた染色工程は黒谷委託されるなど、圧倒的な市場シェア握っていたが、安価なナイロン傘の普及に伴い傘紙需要激減した。この窮地兆し見え始めていた1954年昭和29年)、大阪企業依頼家具を磨くサンドペーパー台紙生産する機会恵まれ黒谷和紙はこれに起死回生をかけて工業用紙の生産乗り出し最盛期には生産の6割をサンドペーパー占めた。しかしこの需要も、昭和40年代に入ると機械漉きを行う他府県生産地にとって代わられた。 1940年~1941年昭和15年~16年)頃には京都向けに呉服値札主な生産物で、この需要1950年昭和25年)頃まで続いた。 これらの品々替わって黒谷和紙昭和30年代から評価高め生産増やした和紙用途に、はがきや便箋などの民芸的な二次加工品生産がある。出版物表装や、文化財修理修復にも上質な和紙求められるようになり、和紙需要徐々に日用品産業的なものから美術工芸的な用途へと移行するに伴い黒谷和紙種類多様化していったなかでも文化財修理用紙需要は、量的に微々たるものであったが、灰汁抜き木灰用いるなど昔ながら製法による上質な紙を作る技術の伝承に、大きな意義があったという。 現代生産されている黒谷和紙は、楮紙文庫紙奉書紙木版画紙、生漉半紙紙、民芸紙、美術紙、紙衣原紙など多岐にわたり、その用途は、書物版画、はがき、染紙小間物加工用品など多種多様なものとなっている。 客層寺社仏閣呉服屋から、一般の人々とりわけ女性需要伸びクッションハンドバッグ座布団札入れなどの紙工芸品の製造販売にも注力されている。 黒谷和紙製の商品化協同組合によって運営される黒谷和紙工芸の里」が請け負い生産・加工販売の独自ルート通して国内外発信されている。

※この「黒谷和紙用途の変遷」の解説は、「黒谷和紙」の解説の一部です。
「黒谷和紙用途の変遷」を含む「黒谷和紙」の記事については、「黒谷和紙」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「黒谷和紙用途の変遷」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「黒谷和紙用途の変遷」の関連用語

黒谷和紙用途の変遷のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



黒谷和紙用途の変遷のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの黒谷和紙 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS