音楽と影響
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「ハインリヒ・シャイデマン」の記事における「音楽と影響」の解説
シャイデマンが著名なオルガニスト・作曲家であったことは、彼の作品が幅広く広まっていることで証明される。シャイデマンによるオルガン音楽は、同時期のどの作曲家の作品よりも多くが現存しているのである。プレトリウス、シュッツ、シャイト、シャインといった初期バロックのドイツ人作曲家たちが当時最新のジャンルや様式のほぼ全てに対して作品を作っていたのとは異なり、シャイデマンはほぼ完全にオルガン音楽しか作らなかった。少量の歌曲や、チェンバロの小品が現存しているが、それらは多彩なオルガン音楽の作品群と比べるとごく矮小なものである。 シャイデマンのオルガン作品やバロック音楽一般に対する永続的な貢献としてはコラールの作曲があり、その内容は主に3つのタイプに分けられる。コラール前奏曲の初期の形態である定旋律形式の作曲、当時流行だったモノディー形式(通奏低音つきの単声)を模倣したオルガン独奏のためのモノディー形式の作曲、そしてもう1つは精巧なコラール幻想曲(英語版)で、これはスウェーリンクの鍵盤楽器用形式をもとにしているが、当時発展していたドイツのバロック・オルガンの要素を最大限に用いたものである。コラールの作曲に加えて、シャイデマンはマニフィカトの作曲も行っている。これは複合形式だけでなく、以降19世紀に至るまで勢力を取り戻すことのなかった技術である循環形式を用いているのが特徴である。
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音楽と影響
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「アンドレーアス・ハンマーシュミット」の記事における「音楽と影響」の解説
ハンマーシュミットはモテット、コンチェルト、アリアを執筆しており、彼の作品はほぼ全てがコンチェルタート形式である。音楽学者のマンフレッド・ブコフツァーによると(1947年)、ハンマーシュミットは「様々な点でシュッツの功績の質を落とした」という。彼の作曲の多くは、初期イタリア・バロックのモノディ形式を宗教(特にプロテスタント)向けに翻案したコラール・モノディの様式をとっている。実際ハンマーシュミットは、イタリアから持ち込まれた形式から離れてドイツ・バロックの伝統を洗練してゆく第二世代の作曲家の典型である。 ハンマーシュミットの作品は400作以上が現存しており、それらは合計12の曲集に分けられている。モテットはハンマーシュミット本人が記している通り、より保守的な形式を示し、教会コンチェルト(声楽と器楽のグループの対立をもつコンチェルタートの小品)は、当時流行の様式をとっている。 彼のコンチェルトの一部は大規模な楽団のために書かれており、楽器と歌唱の幅広い組み合わせをもっている。彼はこうした作品を日曜日や教会の祝日に執筆した。これらの構成や趣旨は、後のヨハン・ゼバスティアン・バッハに例示されるようなドイツの教会カンタータの予兆を示している。ハンマーシュミットの作品はミサ曲でさえもコンチェルタート形式であり、それらはたいてい協奏曲と見なされている。 ハンマーシュミットは生涯にわたりオルガニストであったにもかかわらず、彼のオルガン音楽は現存しない—実際のところ、作曲したという形跡すら見あたらない。いくつかの器楽曲が、3冊の書物に残されている。これらのほとんどは、ドイツ北部で流行していたイギリス形式の影響を受けたダンス組曲である。
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音楽と影響
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「ジュリオ・カッチーニ」の記事における「音楽と影響」の解説
スタイル・レチタティーヴォ(stile recitativo)と呼ばれた新たに生み出されたモノディ形式は、フィレンツェだけでなく、イタリアの他の地方でも評判になった。フィレンツェとヴェネツィアは、16世紀末には最も先進的な音楽の発信地であり、それぞれの地における音楽的発明の融合が、結果としてバロック様式として知られるものを発展させた。カッチーニの功績は、演説などで簡単に理解可能となる直接的な音楽の表現様式の考案である。この表現様式は後にオペラのレチタティーヴォに発展し、その他多くのバロック音楽の様式的あるいは本文的要素に影響を与えた。 カッチーニの最も影響を及ぼした作品は、1601年に出版された『新しい音楽』と題する、マドリガーレや単声と通奏低音のための音楽などの曲集である。この書物の導入部は、当時のモノディ様式の趣旨、目的および正しい演奏法について最も明確に書かれた描写かも知れない。それには装飾の音楽的実例が含まれている—たとえば、歌手達が説明してほしがっている素直な感情に基づいた、特定の楽節を異なった目的に装飾する方法など—。また、彼自身が創作した様式に対する感情溢れる賞賛も含まれており、同時期のより保守的な作曲家たちの作品を見下して楽しんでいるようである。
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