雪華文散図大小鐔
せっかもんちらしつば
改めて説明するまでもなく、幕末の名工後藤一乗は、後藤家の中にあって特異な感性を示した偉大な人物であり、金工彫金のみならず近代芸術の分野に多大な貢献をなし、また、流派を越えて多くの作家に影響を与えた作家として知らぬ者はない。殊に、ここに紹介する雪華文を題に採った大小鐔は、一乗の得意とする図柄を文様として展開させた作品の一つで、江戸時代後期の天保頃、自然科学の面から雪の結晶を観察し研究した、下総国古河藩主土井利位の著書『雪華図説』にも通ずる神秘的な趣がある。土井家の遺品にもその文様を図柄に採り入れた工芸作品の数々があり、同家と後藤一乗との関係を改めて見直す必要もあろうかと思える。この大小鐔は、わずかに青みのある光沢を呈する上質の赤銅地を、ごく浅い切り込みを設けた泥障風の一乗式木瓜形に造り込み、耳を打ち返して地面を微細な石目地に仕上げ、さらに地叢風に槌目を施すことにより静かに雪の降る空、あるいは雪の降り積もった野の様子を表現し、厳冬の眩い陽の光を受けて輝く雪を意味するのであろうか星形と点状の文様を金の平象嵌の手法で配し、これらを背景として雪華文を打ち込み風の工法により華麗に表現している。自然味の感じられる地肌に散らされた雪華文が、少ない金の色絵の中にあって落ち着いた風情を示し、渋い光沢を伴って浮かぴ上がって見える。一点の傷もなく保存状態は極めて良好。銘は大小とも『洛北居一乗作』と切られ、二重箱入で、外箱には佐藤寒山博士の箱書、内箱には桑原羊次郎の箱書がある。後藤一乗は寛政三年に後籐七郎右衛門重乗の次男として誕生、幼名を栄次郎と称し、寛政十一年に謙乗の養子となる。文化二年、謙乗の病死に伴い八郎兵衛家の家督を継いで六代目を襲い光貨と名乗り、文化八年二十一歳には光行と改名。さらに文政はじめ頃に光代と改名、文政七年には法橋に叙され、翌年三十四歳にて一乗と名乗り、文久三年には法眼に叙される。銘は、後藤八郎兵衛光貨・後藤光代・後藤光行・後藤法橋一乗・後藤法眼一乗などの他、伯應・凸凹山人・凸凹翁・寿翁・喜寿翁などの添銘がある。この大小鐔は、銘文から京都に住居を構えていた慶応頃、七十六、七歳時の作とみられる。 |
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