障害転向後とは? わかりやすく解説

障害転向後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 14:03 UTC 版)

コウエイトライ」の記事における「障害転向後」の解説

2005年12月阪神競馬場障害競走デビュー戦迎える。すると、6番人気ながら障害デビュー勝利飾った。なお、同レースでは後の中山大障害馬のマルカラスカル障害デビューし1番人気に推されたものの3着に敗れている。その後三木ホースランドパークジャンプステークスでナイストップボーイの2着に入る。しかし2006年入り牛若丸ジャンプステークスでマルカラスカルの8着に敗れるとその後オープン競走落馬競走中止スプリングゲントの4着に敗れ休養に入る。 そして休養明け小倉サマージャンプ出走する。このときは14頭立て12番人気と全く人気がなかったが57キロの軽ハンデ大逃げ打って10馬身差の大差重賞を初勝利する小倉障害オープン競走では61キロ背負いノボリハウツークビ差で敗れるがその直後阪神ジャンプステークスこの年阪神競馬場外回りコース増設工事のため、中京競馬場3330mで行われた)で再び逃げノボリハウツーやラージヒルジャンプの猛追クビ差でしのいでレコードタイム重賞2勝目となる勝利を収めたさらには東京オータムジャンプではスタートから先頭を譲ることなく見事レコード逃げ切り勝ちを収め障害重賞3勝目となった2007年緒戦春麗ジャンプステークス。レース中に落鉄した上、最終障害前にかわされる最後直線ダートコースで再び差し返し勝利を挙げる(同レース中には同馬の落鉄した蹄鉄後ろ追走していたフミノトキメキの左目の下突き刺さるというアクシデント起きたその影響からかフミノトキメキは3着に敗れている)。 続いて挑戦したのは阪神スプリングジャンプ唯一の牝馬58キロ斤量にも恵まれ圧倒的1番支持支持されたが、スリーオペレーターとの激し争い敗れ2着になる。しかし3着との差は2秒4もあり、完全に2頭のマッチレースであったことが分かるその後中山グランドジャンプには出走せず次の週の京都障害オープン競走出走相手にも恵まれ圧勝するものと思われたが、最後は2着のテイエムトッパズレハナ差まで詰め寄られ勝利を収めたものの非常に僅差勝利となった次に東京障害オープン競走出走。しかし前走と比べて馬体重20キロ減っていたことも影響してか、勝ち馬ミヤビペルセウスに2.6秒もの差をつけられ2着に敗れた。さらに続いて東京ハイジャンプでは自身前年東京オータムジャンプレコードタイム勝利したコースであった出遅れ響き6着に敗れ、さらに勝ったメルシーエイタイムレコードタイム更新された。しかし次走の小倉サマージャンプでは好スタートから先頭に立つとそのまま逃げ切り、トップハンデとなる62kgの斤量克服しレース連覇達成した。続く阪神ジャンプステークスではスタート後は好位につけ途中から先頭に並ぶとそのまま最後まで押し切りレコードタイム勝利昨年に続く同レース連覇達成した。しかし次の京都ハイジャンプでは1番人気に押されたものの、約1年7ヶ月ぶりの復帰果たしたテイエムドラゴンに3馬身差で敗れた2008年牛若丸ジャンプステークスに出走するマルカラスカル並んで先頭迎えた最後障害落馬競走中止となったその後阪神スプリングジャンプでは、エイシンニーザン敗れ2着だった。次走の東京ハイジャンプでは、テイエムエースの6着に敗れたその後、同レース3連覇目指し小倉サマージャンプ出走した斤量62.5キロのトップハンデが響きバトルブレーヴの2着に敗れたその後阪神ジャンプステークス出走、見事勝利し3連覇果たした。続く京都ハイジャンプでは2着に敗れた2009年山内研二厩舎転厩して全休2010年は前走から1年2ヶ月ぶりとなる牛若丸ジャンプステークスに出走するが、4着に敗れたその後5年ぶりに平地競走出走した16着とシンガリ負け終わった。続く阪神スプリングジャンプでは14着と2戦続けてシンガリ負けとなった。続く京都ハイジャンプでは人気通りの6着に敗れた東京ジャンプステークスでは軽快逃げるも直線ギルティストライクかわされ2着に敗れた小倉サマージャンプでは1番人気に支持され前走同様レース主導したが、最後直線でランヘランバ・バトルブレーヴにかわされて3着だった。新潟ジャンプステークスでは障害競走2戦目以降騎乗続けた小坂忠士代わり高田潤初騎乗し軽快逃げ切り勝ちを収め障害重賞7勝目達成。なお、高田はこの勝利によりJRA障害競走が行われる6つ競馬場全て障害重賞競走勝利したことになった1999年障害競走グレード制導入され6つ競馬場障害重賞競走施行されるようになって以降史上初)。続く阪神ジャンプステークスでは好スタートから1〜2馬身ほどのリード保って逃げると向正面進出してきたエイシンボストン追撃直線入り口振り切って勝利障害重賞8勝目挙げた東京ハイジャンプでは逃げテイエムトッパズレマークする形で追走する直線伸び切れず4着に敗れた京都ジャンプステークスではレース途中からテイエムトッパズレ絡まれる展開になり、直線失速し7着に敗れた2011年緒戦新潟ジャンプステークスレースでは2番手以下を引き離す逃げ打った失速し9着。連覇狙った阪神ジャンプステークスではハナ奪いレース引っ張るも5着に敗れたその後9月22日付けで登録を抹消された。引退後繁殖牝馬にならず、生まれ故郷伊東牧場乗馬になる。障害重賞勝った牝馬であるが、乗馬になる理由不明である。2016年から鹿児島県霧島高原乗馬クラブ引退名馬繋養展示事業対象となっている。

※この「障害転向後」の解説は、「コウエイトライ」の解説の一部です。
「障害転向後」を含む「コウエイトライ」の記事については、「コウエイトライ」の概要を参照ください。


障害転向後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 08:10 UTC 版)

スマートアペックス」の記事における「障害転向後」の解説

転向初戦となる阪神競馬場での障害未勝利戦中村将之鞍上迎え4番人気推されるも、8着に終わる。その後転向後3戦目の8月23日小倉競馬場での未勝利戦障害勝利を挙げたオープン入り後初戦9月26日清秋ジャンプステークスでは難波剛健乗り替わり10番人気という低評価ながら中段から追い上げて2着に入ったオープン戦2着、秋陽ジャンプステークス4着を経て12月12日中京競馬場でのオープン戦で、中村将之騎乗障害2勝目挙げた

※この「障害転向後」の解説は、「スマートアペックス」の解説の一部です。
「障害転向後」を含む「スマートアペックス」の記事については、「スマートアペックス」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「障害転向後」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「障害転向後」の関連用語

障害転向後のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



障害転向後のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのコウエイトライ (改訂履歴)、スマートアペックス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS