障害転向
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7歳となった2020年の2月22日、ダイヤモンドステークス(GIII)にて、優勝したミライヘノツバサに2.8秒離された10着敗退を最後に、平地競走に見切りをつけて障害競走に転向。3月29日、阪神競馬場の障害4歳以上未勝利戦に佐久間寛志を鞍上に障害競走デビューを果たした。初出走ながら単勝オッズ2.8倍の1番人気に推されたが、6着に敗れた。 続いて、夏の第3回新潟競馬場開催(8月 - 9月)の障害競走に向けて、栗東トレーニングセンターに入厩し調整が進められていた。しかし、7月25日朝、坂路での調整中に騎乗者を振り落として坂路を遁走、厩舎地区まで走り回り転倒。転倒により右前脚の繋靭帯不全断裂を発症し、競走能力喪失と診断され競走馬引退が決まり、2020年8月5日付でJRAの競走馬登録を抹消した。
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障害転向
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障害初戦は京都競馬場の障害3歳以上未勝利戦で鞍上に白浜雄造を迎える。レースは逃げるとそのまま突き放し6馬身差をつけ圧勝。その後、白浜とは平地競走を除くすべてのレースでコンビを組むことになる。転向2戦目の秋陽ジャンプステークスは1.7倍の人気を集めるも2着、年が明け7歳初戦の障害4歳オープンで2勝目を挙げる。その後は4着、1着となり、重賞の東京ジャンプステークスに出走し4着となる。その後、脚部不安により休養する。休養明けは平地の中山記念を選択し14着。62 kgを背負った三木ホースランドパークジャンプステークスは4着となり、再び62 kgを背負った障害オープンを2着馬に2.7秒差をつけて1着、障害4勝目となる。次走の京都ハイジャンプは先手を取れず5着、新潟ジャンプステークスは7着となる。前年と同じく秋は全休。9歳になった2014年初戦の三木ホースランドパークジャンプステークスは11着と惨敗するが、続く京都ハイジャンプで先手を取ると2着のメイショウヨウドウに7馬身差をつけ優勝、重賞初制覇を飾った。その後は長期休養し、10歳となった初戦、六甲ステークスで復帰、17着とし、連覇を狙い京都ハイジャンプに出走、得意の逃げ戦法で、安定したジャンプでレースを進め、4馬身差をつけ逃げ切り、連覇達成。この勝利により、デビューから9年連続勝利を挙げたことになる。秋は休まず京都ジャンプステークスに出走、得意の京都ということもあり1番人気となるが、後方に置いて行かれる展開となり、完走した中で最下位の9着に敗れる。11歳になっても現役を続け、六甲ステークス16着から、3連覇を目指し京都ハイジャンプに出走するも5着となる。このレースが最後となり、2016年6月2日に登録を抹消、同志社大学で乗馬となる。 2014年京都ハイジャンプ 2015年京都ハイジャンプ 表彰式
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障害転向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 00:02 UTC 版)
9月の未勝利戦4着から4か月後、4歳になり障害競走を使われる。障害初戦は7着に敗れたが、転向2戦目の未勝利戦を6番人気で勝ち上がり初勝利を挙げる。次走の昇級初戦は3着に入る。続くオープン戦は11着、平地で7着に敗れたが9月のオープン戦を3/4馬身差をつけ勝利し2勝目を挙げる。次走は14着と大敗、三木ホースランドパークジャンプステークスは離された5着に敗れる。 5歳初戦の中山新春ジャンプステークスは7着、続く障害オープンを勝利し3勝目を飾る。次走のペガサスジャンプステークスは8着に敗れる。このレースから引退までの全レースを難波剛健が騎乗した。8か月の休養明けとなったイルミネーションジャンプステークスは9着に終わる。初の重賞出走がJ.GIとなった中山大障害は7着に敗れる。 2014年初戦の障害オープンは2着に入り、2度目のJ.GIとなった中山グランドジャンプは10頭立て5着に入る。生涯唯一の1番人気での出走となった青富士ジャンプステークスは大差をつけられた3着となる。続く東京ジャンプステークスは6着に敗れる。半年の休み明けとなった東京ハイジャンプはブービー人気の低評価を覆し、ゴール寸前でエーシンホワイティをクビ差捕らえ優勝。鞍上の難波とともに重賞初制覇となった。続く中山大障害はレッドキングダム、アポロマーベリックに次ぐ3着に入った。 7歳となった2015年初戦、阪神スプリングジャンプは道中タマモプラネットが大逃げを打つなか後方でレースを進め、徐々に中団に位置を上げると最後の直線で猛追し、2着サンライズソイヤルをハナ差交わし1着。2度目の重賞勝ちを果たした。次走の中山グランドジャンプは優勝したアップトゥデイトに大差をつけられたものの3着を確保する。連覇を狙った東京ハイジャンプは4着に敗れた。その後は屈腱炎を発症し長期休養に入る。 1年の休養を経て東京ハイジャンプで復帰し6着、続く中山大障害は4着となり2016年は2戦で終える。 9歳となった2017年初戦、阪神スプリングジャンプは4着に入ると、中山グランドジャンプはオジュウチョウサンに次ぐ2着と好走する。その後は東京ハイジャンプ7着、中山大障害5着とそれぞれ敗れる。 10歳になっても現役を続け、阪神スプリングジャンプは6着に敗れると中山グランドジャンプ9着と惨敗。このレースが最後となり、4月19日付でJRAの競走馬登録を抹消された。 引退後は馬事公苑で乗馬となったのち中京競馬場で誘導馬となった。
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